2001年5月

■樋口聡 「キューバで恋する」 祥伝社黄金文庫 2001/5/11

  なんということのない描写の連続なのだけど、キューバって楽しそうやなあ、と思わせられる。
 ヘミングウェーが通ったフロリディータやボデギータ・デル・メディオといったバーの話を読むと、ヘミングウェーがそうしたように、ベルモットを注文したくなる。分厚い一枚板のカウンター、天井には大きな扇風機がカタカタと音をたててまわっていて、氷が入ったグラスだけはびっしりと露がたれている。そんな情景を想像して無性に行ってみたくなる。彼の小説の読みすぎかなあ。
 バカルディはかつてはキューバの企業だったが、革命とともに国外に出た。キューバの旧バカルディの工場で作るラムは「ハバナクラブ」として売られている。なるほど、そういう歴史があったのか。
 「キャバレー」は日本とは違い、ショーを観ながら飲食するレストランシアターのことだそうな。
 飛行機の機内誌、ファッション誌が人気をはくしたり、ドルショップのナイロン袋まで貴重品とされた時代があった。それがいま、物質的に豊かになるにともない、ペットボトルやナイロン袋は道ばたに捨てられ、ゴミがすっかり増えたという。ニカラグアと同じだ。88年当時は、スーパーのナイロン袋さえもみんなが欲しがったもんなあ。
 無責任に「昔のほうがよかった」とは言えないけれど、でもやっぱり何か大切なものを失っているような……。日本も同じだけどね。

■佐高信 「非会社人間」のすすめ 講談社文庫 2001/5

 相変わらずの佐高節は気持ちいい。が、この本はちょっとトーンダウンかな。 以下覚え書き。
  ▽ニセ札事件について竹内好はジャーナリズムを批判し「必要流通量以上に放出される通貨はすべて偽札ではないのか。ニセ札とインフレを結びつけて論じる評論があらわれぬのはおかしい」
  ▽終身雇用がおぼつかなくなった企業は「不必要」と判断した人間を「スカウトされた」と思わせて退職させる方法「逆ヘッドハンティング」を編み出した。
 ▽日商岩井の合併時、岩井産業側のMは、岩井側の不良債権などについては極力表にださないようにした。が、合併後はMの行為は「背信」とされてしまった。対等合併といいながら、いまや日商系に牛耳られている。
 ▽帰国子女の子がいじめられる。「たったひとつの青い空」(文藝春秋)
 ▽アメリカでは雇用における年齢による差別も厳しく禁じている。日本の企業はまだまだ国際的に通用するルールで競争に参加していない。87年の大手証券4社のニューヨーク証券取引所への上場申請見送りもそのためだ。

■松下竜一「豆腐屋の四季」講談社文庫 2001/5

 学生時代に「風成の女たち」という本を読んだことがある。火力発電建設に反対する漁村の女達の物語だ。当時読みあさっていた社会問題の本にはない情感が印象的だった。社会問題にかかわる記者になるにしても、こんな美しい文章を書けたらいいなあと思った。
 「豆腐屋」を読んで、なぜあれだけ美しい文章が書けるのかわかった。
 金がなくて進学できず、病弱なのに、豆腐を売り歩くために入院もできない。貧しさ故に兄弟の仲も険悪になる。自殺を考えるどん底で、「短歌」をつくりはじめる。
 朝日新聞の歌壇に、日々の暮らしをつづる歌を載せるのを唯一の励みにした。10歳下の19歳の妻(妻が中学生の時からみそめていたという)をめとった愛の歌、老いた父とのかかわり……、どれも心に染み渡ってくる。
 新聞に載るということが、つらい思いをしている人に生きる希望を与えることもある。読者の投稿を打ち込んだりする作業は面倒くさいのだけど、そんな読者もいることを忘れてはあかんなあと思った。
 歌が認められ、毎日新聞の県版や地元テレビに紹介され、「それでも自分は豆腐屋だ」と自戒しながら、ただ周囲にやさしくありたいと思い続ける。
 体が弱く、暴力に弱く、貧弱な体を見られるのがいやで上半身裸になることもなかった。
 そういう劣等感は共感できる。強さにあこがれ、強くなろうとするほど、弱者に対して暴力的になり、強者に対して卑屈になる。そうわかっていながら「強さ」には今もあこがれてしまう。
 松下氏は、自分が弱いからこそ周囲にやさしくあらねば、と思い続ける。寂しさと弱さ故に、自然の美しさや他人の気持ちを鋭敏に感じ取る。そうした弱さと共感しあえるやさしさが、後になって、死刑廃止運動や火力発電廃止運動に先頭を切ってかかわる強さに転じていく。
 加藤周一は「どんな強い人でもゴリラにはかなわないのだから」と、理性で暴力に対する劣等感を克服していた。松下は、自分の弱さを骨の髄まで味わったうえで、それを超克したように思える。
 人間の弱さや寂しさを感じ尽くしているからこそ、あれだけの文章を書けるのだろう。僕らみたいに恵まれた境遇に安住していては、彼の境地には達せられまい。恵まれてるのはいいのだけど、「守り」に入ったら感受性の扉を閉ざすことになってしまう。

−−−−以下抜粋−−−−

 ▽暗い日々が続いた。ただひとつ私は信じ始めていた。必ず「時」が解決するのだと。
 ▽妻の成人式、「贈り物はいらないから、休みがほしいなあ」と言う。金はないけれど、庭に大きな雪山を築いてやろう……。
 ▽この冬もまた1冊の本も読めぬまま過ぎるだろう。……私と妻の小世界に進歩などなかろう。これでいいのだろうか……。
  ▽このなつかしさ、このせつなさを詠いたいのだ……(「切なさ」を詠う)
  ▽(母を亡くし義母とその娘が来た。兄弟は4年間「母」「妹」と呼ばず、なじめずに出ていった)近所に挨拶回りをして去っていく母娘を思うとさすがに心が痛んだ。だが、ともに暮らせば些細なことで憎み合う……人間とはなぜこうもあわれなのか。
  ▽だれひとりから愛されずとも、私の心からやさしさの灯を消してはならぬのだ。
  ▽妻がテレビを観るのを禁じた。それを守っている妻を寂しがらせてはならぬ。読書していても書いていても、幾度となく顔をあげて話しかける。テレビを拒絶することで夫婦の愛が深むのでなければ意味はないのだ。
  ▽(著者は右目にホシがあり失明している。それをいじめられると)母は「そんなに泣くと目のお星様が流れてしまうよ」。「目の星なんか流れた方がいいやい」。「お星様が流れて消えたら、竜一ちゃんのやさしさも心から消えるのだよ」と母。泣き虫の私に、母は一度も強い子になれとはいわなかった。ただ、やさしかれ、やさしかれと語りかけた。
  ▽母はたぶん知っていたのでしょう。やさしさに徹することでしか、ぼくは強くなれないのだと。でも、ほんとうにやさしくなることはなんと至難なことでしょう。ぼくはきょうも些細なことで妻を怒ってしまいました。ぼくより小さく弱い妻を。
  ▽寂しさを寂しいと歌で詠える人間と、何も訴えず雄々しく寂しさに耐えている人間とどちらが本当に偉いのか。詠ったり書いたりする文筆の徒は、深い羞恥を抱くのが当然なのだ。弱虫で行動できないから詠ったり書いたりしているのだ。いかにもてはやされてもこの羞恥心だけは失いたくない。
  ▽悲しみや怒りですら、それを詠いとらえて幾十度も口につぶやくとき、なにかしらいとしいもの、愛みたいなものに変わっていく。詠うとは愛することなのですね。
  ▽重油タンクもボイラーも、ゴム長も……ほんとうは詩を奏でているのかもしれぬ。精いっぱいの凝視で、ひとつひとつの詩を掘り出していかねばならぬのだ。
  ▽現実を詠え、生活を詠えというのはすでに信条となった。……歌が現実の直接表現である以上、充実した真実の歌を生み出すためには、充実した真実の現実生活がなければならぬ……。(女の子としゃべるネタが悩んでいたときに「語るべき自分がないんや」と批判された十数年前を思い出す。そして今も、惰性に流され続けたら表現したいものは消え去ってしまう、と思う)
  ▽生まれくる子よ。私は父となる前の夜々、しきりにお前の名を想いつつ、ひとり労働に耐えていたのだよ。そんな私の顔にいつしか笑みが浮かんでいるのにふと気づくのだよ。
  ▽健一(息子)のクシャミひとつにも憂いは波立つ。「世の人の親はみな、こんな愛しい不安に心ふるえつつ子の命をはぐくんできたのであろう」亡くなった母が、老いた父が、かつて幼い私にそそいだ愛情を、今からの日々、こんどは私が私の幼い者へとそそぎ継いでいくのだ。人の世の愛しさはこうして限りなく流れ続けていくのだろう。
  ▽恋愛の歌についての解説(岡部伊都子) 「婚約の成りし部屋昏れ 亡き母の 針箱君に 継がせんと見す」 「稚ければその頬にも未だ触れず帰る我が唇に雪ながれ消ゆ」 恋があくまで人格の高揚であることを……いたずらに遊びに堕した恋の氾濫が、決して幸福でないことを語ってやまない。(ボケの研究をしている浜松医大の金子さんという医師が、「恋をする人は呆けないが、不倫をする呆ける」と言っていた。なんとなくその違いを示唆される)

■松下竜一「怒りていう、逃亡には非ず」 河出文庫 2001/5/26

 泉水博といえばダッカ事件で釈放された日本赤軍活動家というおどろおどろしいイメージと、「卑怯なことをして脱獄した奴」という印象しかなかった。その像を一気に覆される。
 作者は、泉水の不幸な生い立ちに寄り添い、共感し、体温のある人間として描く。「豆腐屋の四季」に記した作者自身の不幸な青春時代をなぞるかのように。
 泉水はもともと思想のかけらもなかった。
 殺人事件の共犯として無期懲役をくらった(これさえも本人は否認していたし物的証拠もない杜撰な裁判だった)。仮釈放間近、刑務所の仲間が死にそうなのに医者にかからせてもらえないことに怒り、立てこもり事件を起こした。それを知った日本赤軍が、勝手に釈放リストに指名したのだという。
 しかも、釈放に応じたのは、「自分が行かなければ人質が殺される」という義侠心によるものだというのだ。刑務所当局が「釈放要求が来ているが、どうだ」と持ちかけ、悩みに悩んで決断した。もしハイジャック犯の要求を泉水に伝えなければ、泉水はリストに入っていることさえ知る術がなかった。国家が決めるべき決断を、何も知らない個人に負わせ、それが結果として、泉水を赤軍側に追いやったとも言える。
 1988年に潜伏先のフィリピンで旅券法違反で逮捕された。
 政府も、警察発表をうのみにするマスコミも「刑事犯あがりのテロリスト」というイメージをふりまいた。赤軍に入ることの是非はともかく、政府がそういう立場に追いやったのに、「逃亡」とされて無期刑の「続き」をくらい、獄中にいる。
 作者はできあがった記事を獄中の泉水に差し入れた。だが感想は黙して語らない。作者は「その沈黙の重さの前に、作者はたじろいでいる」と結んでいる。「たじろいでいる」という部分に、同じ文章を書く人間としては親しみとホッとする部分と共感とを感じる。そのたじろぎがなくなったら、おしまいなのだろうな、と思う。
 泉水は、日本赤軍のなかでも貴重な人材だったという。理屈っぽい左翼学生あがりの活動家に人間的なものを吹き込んでいたとされる。以下、その抜粋。インテリ的な左翼運動の欠点と、泉水の人間性が如実に示されている。
 重信房子の発言「泉水さんが『こうやったら勝てるわ、いけそや』と、非常に創造的なわけ。ところが学生あがりは理論的であろうとして『そんなことレーニンがいってない』などといって観念的になってしまう」
 泉水の自己批判書「自分のダメさ、同志のダメさを出し合って共に克服すること、誰もが本音をぶつけあうこと、それが互いにかえあっていく根本であると」
 「私はその同志の人間性の貧しさに気づきました。時に、やくざ組織にいた人間の方が義理も人情もわきまえていたと思うことが幾度かあります」
 丸岡修の著者への手紙「彼の方が常識的な判断をするので、組織内では上の同志でもしばしば彼の判断をあおいだくらい。彼の投票の基準は、同志に嘘をつくか否か、行動が普通の人から見て常識的か、理屈ではなく実際に行動しているか、だった。機械の補修などは完全に彼に任されていた。(概して左翼の学生あがりはいい加減である)」

■佐高信(編)「日本国憲法の逆襲」岩波書店 2001年5月31日

 観念的な「護憲」ではなく、憲法を今の社会で創造的に生かしている人との対談集。硬い、古い、頑迷というイメージで捉えられがちな護憲の論理に、新鮮な風を当てている。以下抜粋と要約
  ▽石橋湛山
 「我が国が支那またはシベリアに勢力を張ろうとする。彼がそれをさせまいとする。ここに戦争が起きれば起こる。その結果、海外領土も本土も敵軍に襲わるる危険が迫る。……これらの領土を勢力範囲として置こうとすればこそ、国防の必要が起こる。それらは軍備を必要とする原因となっている」 。現在も説得力をもつ指摘。「貧困故に満州への進出を夢見たのではなく、軍事国家の道を歩んだがゆえに貧困となり、他人の土地をうばって……という夢を見ざるを得なくなったのだ」(佐高)
  ▽田原総一朗
 強いリーダーが出るときはとても危険な時代だと思う
 全共闘は総括しないままで雲散霧消して、するすると会社へ入ってしまったり……これは若い連中に目標をなくさせてしまったのでは
  政党政治に対してマスコミはこてんぱんに叩いている。そういうマスコミの声が軍人の台頭をどんどんつのらせていく。これは昭和の初期と同じです
 「いまは『リストラ』はいいことで、カルロス・ゴーンを新聞もみんなほめてしまう。以前は首切り1万人なんてやったら袋だたきだった
 ▽辛淑玉
 憲法は日本人にはもったいない。憲法を作って半世紀もたっても日本は変わっていない。10年やってだめだったら違う闘い方をしようとしないのです。何かというと『頑張ろう』です。がんばれない人を追い落とし、頑張る構造を温存し、何も変えていかない
 (自衛隊で海外に行くのがいやなら)仮病使って帰ってくるような感覚で国際社会を乗り切っていかないといけない。憲法が求めた人間像はペルーの日本大使公邸事件のときいのミニグ氏です。赤十字というゼッケン1つつけてあの紛争のなかを入っていった。国際紛争のなかに、日本国憲法というゼッケンひとつつけて日本は一度として入っていったことがあるか
 北朝鮮とオウムをいやがるのは、そのなかに天皇制を見るからでは
 武力を持てという言論人は戦争体験が『被害者』から始まっている
 柳美里はサイン会を中止したのがニュースになって私は脅迫に負けずに強行突破しているのにニュースにならない。怖さだけが醸成されていく社会。怖いからこそ闘う。闘うには言論しかない。言論で闘っていくためにも憲法を守っていかなければいけないのです。だから、闘わない日本人にはこの憲法はもったいない
  (帰化申請書類を取りに行くと)……「あなたはよき日本人になろうとする意思が感じられない」という。
 ▽むのたけじ
 米軍が憲法を押しつけたというが、占領軍の起こした事件を新聞に載せるなという命令書が新聞社には山のようにあった。占領軍自身が憲法を徹底的に踏みにじったなかで、必死になって憲法を生かそうと民衆は努力しておった
 第9条を世界中に広めるには、戦争ではなくこういう手段があるとどんどん提示する……絹のハンカチじゃなくて『ぞうきん』でやらなきゃ
 ジャーナリズムは世の出来事を記録しながら歴史の証言を体系だてていく作業ですね。社会のありようをただして人間生活を高めようとする志がある。いまのマスコミはトッピクスの販売に熱中している……
 憲法99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」……改憲を主張するならその地位を退いて主張せよ
  ▽宮崎学
 自分の中心的な考え方がまちがっている可能性を考えるのが人間。中坊氏的なものは、自分の考え方が正義であって、それに反対するものを圧殺するためには警察権力でも使う
  憲法を擁護する運動にしても、負け続けると思う。盗聴法も日の丸・君が代も全部負けた。しかしみっともない負け方さえしなければ、それが人の心のなかに残っていけばそれでいい。……タイで憲法9条を読み上げたら、それはものすごい評価です。タイで新しい憲法をつくった人たちは、76年の虐殺事件を経験した世代です。事件の後、彼らはゲリラになるが投降して、いまの法曹界の枢要を担って、ものすごい民主的な憲法をつくるのです。……日本の憲法状況は要するに政府が悪いのであって、憲法が悪いのではない
 ▽田中康夫
 憲法記念日に、学者3人の意見を並べた記事の一番右に田中明彦の発言を載せているような朝日のバランス感覚は、ブチックの時代において敗北してるんですよ。自分のお客がわからないような連中に力なんて持ち得ない。
 ▽原田正純
 川本輝夫なんて、最初は生意気な奴と思っていましたよ。だけど話をしてみるといつも彼の方が正しかったですね。
 95年の「和解」に私は反対でした。どれくらい時間がかかるか弁護団だってわかっていたことでしょ。「生きているうちに」「時間がない」と急に言い出されると、途中でだまされたような気がする。何よりも原告を水俣病であるときちんと認定するのかどうかが決め手であって……。
 民事訴訟で国と争うのは法的には交通事故と同じ。でも交通事故ならば被害者が明日は加害者になるかもしれない。でも水俣病のような事件では、加害者が被害者になることはありえない。訴訟の担当もくるくるかわるが患者は一生かわれない。そういう不公平がある。
 権力もお金も国側は独占している。チッソが相手の裁判のときはチッソ側に立つ学者はいなかった。国が被告になった途端に、国側の証人の方がずっと多くなってしまった。
 不公平ななかでどんどん「和解」に追い込まれていく仕組みになっている。
 ▽喜納昌吉
 小林よしのりが受け入れられるのは、眠ったような平和運動に比べて、戦争の方が情熱的で生きた心地がするから。だから平和運動も、戦争よりももっと情熱的な平和運動をしないといけない。
 日本でも星川淳などが紹介していますが、〓〓イロコイ連邦はいまもアメリカ国内にある独立国なんです。合衆国は1794年、この連邦と主権対等・相互不可侵などの契約を結んで建国している。国連も認めている。
  ▽辻元清美
 憲法は戦争を知らない世代へのプレゼントですよ。改憲派は老舗旅館の2代目ボンボンですよ。初代の苦労もよくわからずに、安易に「古いから変えてしまえ」と、ええカッコしいだけで変えてしまって、その結果旅館がつぶれようとしている。
 ▽落合恵子
 強力なリーダーほど、個人の選択権を侵す人はいない。私は「リーダー待望論」というのがとってもこわい。最近の週刊誌なんかそればっかり。メディアがリーダーを作ってしまうことの怖さを感じています。
 ▽ダグラス・ラミス
 海兵隊では、ちょっとでも弱い部分を見せると「おまえたちは女か」「ママのところへ泣いて帰るのか」と責める。兵士と母親のつながりを断ち切るわけです。殺せない人間から殺せる人間へ、つくりかえる。戦争という暴力と女性に対する暴力とは、潜在的な部分でどこかつながっているような……。
 世界中の憲法は「押しつけ憲法」なのです。憲法とは政府権力を押さえるためのもの。
 半世紀の間、アメリカからは9条に反するような押しつけがたくさんあった。日本国民の下からの押しつけがあってかろうじて9条は残されてきた。
 軍隊を持てば守ってもらえるという考え方は、まったく根拠がない。政府が軍隊を持てば持つほど、その国の国民自身が抑圧され苦しめられる。「戦争ができる国になった方が国民が安全だ」というのは非現実的な「国家ロマン主義」的な考え方。 「現実主義」という看板をこちらが奪い取るべきです。