2001年6月

■池添徳明「日の丸がある風景」日本評論社 2001年4月28日

 日の丸・君が代の議論は民主主義の問題である。日の丸が好きな人がいてもいいけど他人に強制してはいけない、という著者の意見に共感を覚えた。
 僕自身、高校時代に日の丸掲揚に反対する小さな運動に参加したが、「日の丸そのものが悪(あく)なんだ」という意見には違和感を感じた。日の丸それじたいが悪というより、日の丸に負の歴史とイメージを塗りたくった勢力がいたのが悪いのではないのか、と思った。
 この本の描く風景はまさにそうした「強制」の現場であり、民主主義を根本から破壊する雰囲気にNOと言えない大人たちの振る舞いである。
 日の丸を引き下ろし、その後、転校という道を選ばざるを得なかった中学生みのりさんについての記事が、この本の核心だ。
 「国の象徴を侮蔑するようでは……困る」という校長以上にみのりさんが許せなかったのは,「私にできないことをやってくれたね」「頑張ってね」などと、表面だけ共感を寄せる教師だった。取材に対して、教師らはひと通りの反省を述べるが、公式の場でみのりさんの転校について議論されなかった。
 これは教師だけの問題ではない。サービス残業にNOを言えない会社員、無罪の可能性がある人のプライバシーを暴き散らす取材にNOを言えない新聞記者、ノーパン接待を断れなかった旧大蔵官僚……、組織の論理の奴隷になり、個人の良心を押し潰しているすべての大人への警告と受け止めるべきだろう。
 著者の取材は綿密だ。記者は対立した二者の代表的意見を取材するのが基本だが、彼はみのりさんに「理解」を示した教師たちを1人2人3人……と訪ねて話を聞いている。日の丸・君が代に悩む校長についての記事も、これだけの人数の校長に話を聞くのは大変だったろうなあと思わせられた。
 福岡の小学校6年生が、卒業製作のゲルニカの絵がステージからはがされて日の丸が掲げられたことについて「怒りや屈辱をもって卒業します。校長先生のような人間になりたくない」と卒業式で表明をした事件があった。式が終わって退場するときにPTA会長が「この子には手をたたかんでいい」と在校生をとめた。嫌がらせは卒業後何年も続いた……という。
 この事件のことを4年ほど前に聞いたとき、悔しくて涙を流した覚えがある。改めて詳細を読んで、奥歯をかみしめた。「切なくて悲しくて胸がしめつけられる思い」という著者の表現がスウっと胸に入ってきた。「取材者」である以上の愛情と共感をも感じられるけど。
 強い人間に卑屈になる人間は、弱い人間には抑圧的になる。優越感と劣等感は盾の裏表である、という当たり前のテーゼを思い起こした。
 著者の記事が他人事とは思えなかったのは、僕が大宮市(さいたま市)の植水中学校の第2回の卒業生だったからでもある。何年か前に校長が「大東亜戦争」とか言って問題になった中学だが、今から思えば、開校当初から生徒が日の丸掲揚をしていた。
 高校のときは、日の丸・君が代や制服の強制に消極的に反対し、祭りの法被やジャージで登校しながらも、先鋭的に教師と対立する雑誌部や新聞部の生徒には「あいつらは理屈ばかりだ」と反発を感じていた。たぶんそれは、仲の良かった運動部系の友人から遊離したくなかったからなんだろう。3年になってずいぶん遊離しちまったけど。

■スーザン・ジョージ「債務ブーメラン−−第3世界債務は地球を脅かす」 朝日選書

   第3世界の債務がいかにその国を疲弊させ、ひいては先進国の住民をも脅かすかを丹念に描いている。
 IMFや世銀のすすめる構造調整政策が農民を麻薬栽培に向かわせているのに、「麻薬根絶」といって軍事援助をするアメリカの行為は、あたかも火に油を注ぎながら水をかけているようなものだ。
 国の借金を返済するために換金作物への転換がおこり、それによって土地を追われた農民はアマゾンの密林に入りこみ森林伐採をして金を稼ぐ。森林火災の現場の多くは、世銀が融資した幹線道路の沿線だという。「焼き畑によって森林が失われている」と、先住民族のせいにする論調のおかしさ、大農業資本の農園建設による森林伐採以外でも、世界経済の構造のなかで自然環境が破壊される様子がよくわかる。
 ハイチでも薪を売るしか生活の糧がないがために、国中が禿げ山だらけになっていた。これも自然発生的な「貧困」だけが原因なのではなく、グローバル経済に大きく影響されているのだと気付かされる。
 欧米諸国への移民も、第3世界の国における、地方から都市への人口流出から生じる傾向があるという。貧困や債務のために構造調整を押しつけられ「輸出主導型」になったときに、この流れが加速するという。(カリブ諸国)
 債務や経済停滞が続く限り、送り出し国は出国を阻止しない。出稼ぎ労働者からの送金が外貨獲得源だからだ。欧米に出国しようとするのはその国ではエネルギッシュな階層だから、その国の社会の停滞を招くことになる。
 エルサルバドルでは、外貨獲得の主要手段がコーヒー農園から海外からの送金に変わることで、国内の権力も大農園主から銀行資本へと移った。内戦を続ける理由(土地問題)が希薄なったことが、エルサルバドル内戦の終結の背景にはある。ある意味で、経済のグローバリゼーションが内戦を終わらせ、そのかわりに人々の豊かな社会への「夢」も奪ったとも言えるだろう。
 債務を削減し景気後退を生み出す構造調整をやめ、欧米が余剰生産物を南でダンピング販売するのをやめれば、農村から都市へ、都市から海外へという移動を止めることにもなると著者は主張する。
−−−−−−−−−−−以下覚え書き−−−−−−−−−−−
 ▽ボリビアは、軍事政権時に債務が一気にふくらんだ。71-82。それまでに軍部が国から盗むものがなくなってしまい、民政に戻された。が、債務が残る。しかも、主産物の錫が大暴落した。政府はペソ紙幣を増刷し、その結果、84-85には3万%のインフレに。
 85年政権が変わり、緊縮へ。公的セクターにおけるレイオフ、錫鉱山の閉鎖により、多くの労働者が解雇される。彼らはコカに向かうしかなかった。「新経済政策が実行可能となるのは、麻薬取引によって生み出された雇用と外貨を通してのみである」
 ボリビアは、3-4人に1人の雇用が、麻薬関連事業により提供されている。コカは耐寒性にすぐれ、年数回の収穫がある。ボリビアでは、コカの葉とコカインペーストの一次加工が外貨獲得の主要源泉になっている。すべての合法的輸出額を上回っている……。
 ▽ペルー。債務を作ったのはボリビアと同じく将軍たちだ。政府の歳入の40%を軍事費に使った。外国の金融機関は潤沢に資金を貸し付けた。ガルシアは債務支払いを拒否し、「融資不適格」のレッテルを貼られる。ドルを奪われ、輸入を切りつめ、輸出から生計を絞り出す。輸入は外貨準備を取り崩して対応した。それが87年に枯渇し、現金が必要だから、銀行と保険会社を国有化した。インフレによって実質賃金は大幅に下落。88-89年にかけて20%のマイナス成長だった。
 その後、フジモリによるショック療法で、石油が30倍に値上げされた。水を買えない貧困層の居住地ではコレラなどの伝染病がまん延。IMFの信用は回復したが、債務を返済するためにより多くのコカイン生産に励まなければならなくなった。農民にとっては他の農産物よりコカを作った方が金になる。
 ▽コロンビア。コカペーストをコカインに加工する工程でもうける。コーヒー価格が下落でますます外貨獲得産業として重要な位置を占めるようになった。
 コロンビア政府は、コカインカルテルを公式には非難しながら、ひそかにコカインダラーの環流を奨励している。麻薬ダラーのおかげで、他の国に比べて、大幅な通貨切り下げと実質賃金の低下を避けることができたという。
 ▽大手の製薬会社は、熱帯植物を可能な限り収集する。中央アメリカは、トウモロコシ、インゲン豆、トマト、キャッサバ、アボガド、カボチャ、ヒョウタン、シシトウガラシ、サイザル、カカオの生殖質の原型を提供した。
 ▽米墨国境のリオグランデ川から飲料水を取っているアメリカの33郡の調査では、全国平均よりもはるかに高い肝臓ガン、膀胱ガンの発生が示されている。
 ▽債務返済に従うことを条件に、外国投資の増加と「北」の市場へのアクセスというニンジンを差し出す。自由貿易は、多国籍企業に最も規制の少ない条件を提供することになる。 (2001/6/6)

荒木経惟「天才アラーキー 写真ノ方法」 集英社新書 2001/6/11

 なんということのない内容なのだけど、写真撮りたいなあ、もっとガンガン撮りたいなあと思わせられる。
 アラーキーの写真は、ヘアヌードと、普通のポートレートとの境界線があいまいなのがいい。ヘアヌードなのにあまりいやらしくなくて、逆に、服を着ている写真にゾクっとさせられる。それが彼の熱情でもあり、優しさでもあるのかなあ。
 肖像の撮り方、影の使い方など、読んでいるとなるほどなあと思う。「雨の日がいい」というのも、考えたことがなかった。こうして勉強にはなるけど、自分では撮れないんだよなあ。
 以下抜粋。
 ▽悲しむのいやだったら被写体に近づくことさ。合体がいちばん。……近づくんだって、そう思って人を撮るんですよ。
 ▽50歳の女を見て、その人の過去が頭の中に彷彿と浮かんでこなくちゃダメなんだ。50歳、60歳のポートレートで大切なのはその過去ですよ。
 ▽モデルのとこに行って囁くの。……これがね、女の子をいい顔にするいちばんのコツだね。
 ▽いまは35ミリ。ホントに顔だけ触れたい、人の優しさみたいなものに触れたいっていうときは50ミリで50センチとか1メートルっていうのがいいんですよ。
 ▽1冊1冊私家版の写真集を作ってたわけだ。期せずして時代の整理っつうか、そういうこと撮っちゃってるんだ。
 ▽1冊だけ教科書を選べと言われたらアウグスト・ザンダーの肖像写真集だね。とにかくまず人と対峙する、そしてしっかりと見つめる、見つめ合ってシャッターを押す。それが写真の基本ですよ。
 ▽自分がこう、お婆さんにポンポンて近づいていく。自分の身体でズーミングする、その2,3歩で決まるね。そんときの、こっちが向こうに与える気合いみたいなもので勝負は決まる。
 ▽肖像写真は目で決まるから。目ぇにいちばん凝縮されてるわけだよ。

■宮脇檀 「いい家」の本 PHP研究所 2001年6月26日(抜粋)

 ▽「家ではゴロゴロしてます」という人には、クッションが散らばっている部屋があればいい。「家族とは食べるか飲むかしています」という家には大きなテーブルがでんとあればよい。ダイニングで会話して、あとはそれぞれの趣味をという家には応接3点セットなどやめてそれぞれの趣味のコーナーがあればよい。(リビングについて)
 ▽男の机は、大きくがっしりした木製がよい。甲板は集成材のような傷ついてもよい分厚い木、DIYの店で甲板を買い市販品の脚を買ってくればよい。
 ▽椅子は立派にして、課長の机のように家人の方を向くように置く。背後には本箱などがあればよい。
 ▽午後7時に家に帰り、食事をとって酒を飲んでちょっと休み、それから原稿を書く。それが楽しみ。2時間半ほど買いて11時半に寝る。
 都市居住について
 ▽代官山や千駄ヶ谷などに住む。パリやニューヨークは早朝から深夜まで住民たちでにぎわっている。都市に人が住んでいる。
 ▽戦前までは、都市では持ち家はほとんどなかった。46年に石炭と鉄に重点的に投資することが決まり、八幡と三井三池という九州に金が投じられた。いわゆる傾斜生産だ。住宅不足なのに住宅にまで金がまわらず、その結果「持ち家方式」が幅を利かすことになった。
 戦前にあった民営借家は、戦後直後に家賃が一気に高騰した。借地借家法ができて家賃を安く押さえたため、借家企業が消えてしまった。(なるほど、借地借家法にはこういう側面もあったのか)

■梅棹忠夫 「情報の家政学」 中公文庫 2001年6月22日

 15年ほど前、「知的生産の技術」(岩波新書)を読んではじめて「情報整理」の手法を知った。それからしばらく「京大カード」を使っていたが、図書カードと名刺整理以外は大学ノートに移行し、最近は大学ノートとパソコンの併用という形に落ち着いている。
 でも久しぶりに梅棹氏の情報整理手法に接して、決して古いとは感じなかった。
 食事の歴史などの記述は柳田国男の本を読んでいるようだった。
 以下抜粋。
 ▽ふたつおりのフォルダーに1つの件に関する書類を全部入れる。……書類を積まないというのがみそ。机に引き出しはいらず棚だけでよい。
 ▽いつでもカードを持っており、気付いたことをすぐ書く。
 ▽タンスだの押入なんかいりません。
 ▽手紙の整理もファイリングシステムに。
 ▽子供たちは自分に関する情報はおしげもなくすててしまうものです。こういうものを保存するのは親の役目のようです。
 ▽フランス料理は時系列型だが、昔は、ヨーロッパでも、テーブルの真ん中に料理を盛った皿がデンとおいてあって、それをとりわけた。中国料理も時系列型。日本料理は空間展開型。
 ▽食べ物も飲み物も神様を抜きにしては考えられない。酒はもともと神とともに集団で飲むもの。ひとりで飲む習慣というのは、大変新しいのではないか。日本では20世紀に入ってからでは。
 ▽日本では、個人ごとのお膳があり、徹底した個人ごとの空間隔離が原理になっていた。「絶縁型」だ。
 ▽日本人が米を主食にしはじめたのは、明治以後、それも戦時中の配給制度以後という説もあるくらい。たいた御飯も鎌倉時代以後のこと。それ以前はコシキで蒸した。