2001年10月

■松下竜一 「底抜けビンボー暮らし」筑摩書房 1600円 2001/10/2

   著者が発行しているミニコミ誌「草の根通信」につづったエッセーをまとめたもの。70年代にあちこちで生まれたミニコミ誌の大半は消えてしまったのに、彼の「通信」がつぶれない理由が読み進むとよくわかる。
 火力発電反対運動、反原発運動……にかかわるフリーライター、というと、強面を想像するのだけど、この本に出てくる著書の姿はぜんぜん違う。
 妻がいっしょにいないと寂しくて仕方なくて、ホテルの部屋で1人では眠れないほどこわがりで、河岸に来るカモメの群に食パンをまいて河原でごろりとなる散歩が何よりの楽しみで。夏は昼間から妻といっしょにシャワーを浴びて娘から嫌がられ、結婚28年記念に妻の裸の写真を撮ってしまう。
 ついでに、自分の生活でも精いっぱいなはずなのに、突然転がり込んだ老人を同居させ、不動産の処理まで引き受けてしまう。
 底抜けにお人好しなのだけど情けなくて頼りなげで、読んでいる方がつい心配になってしまうのだ。
 ここまで自分の周囲を赤裸々に見せるなんて、ボクには無理だなあ。というか、露わにするだけの感受性も摩耗してしまっているような気もする。
              【以下抜粋】
 ▽東京に出張しようものなら電話をかける。「うちのことばっかり思いよったら眠れるんやないの?」「そうだな、おまえのことばっかり思いながら、もう一度眠る努力をしてみよう」。講演では、人々に勇気と励ましを与えるような話をしてほしいと求められているのに、真夜中のホテルで悪夢におののきながら細君に助けを求めているなどと誰が想像するだろうか。
 ▽未来へとわれへと向かいて走りつつとどかぬ星の光あるべし
 ▽(長男がくれた「カモメのパン代」を別会計の袋に入れておいたら)細君が何かの支払いにその袋からお金を出しているのを見た松下センセが「おい、それは別会計じゃないのか」と注意すると、「ちょっとカモメさんに借りるだけよ」と細君は澄まして答えた。(カモメさんに借りるって、いい表現だなあ)
 ▽「怒りていう、逃亡には非ず」は4年5カ月という歳月を要した……中断期の方がずっと多くて、実際の執筆はせいぜい半年たらずであったろう。むつかしいテーマになると、ついずるずると執筆中断を繰り返してしまうのが松下センセのクセで、……細君がまた「もっと仕事をしなさいよ」といって尻を叩くどころか「いっしょに遊ぼうよ」と誘う方だから怠けグセには歯止めがきかない。
 ▽光と風となにかの予感に誘われて、心が宙に浮いている。とてもではないが机などにむかってはおれない。「今日は早めに散歩に出ようよ」と細君をせかし始める。……1年にまたとないような美しい日かも知れないのに、むざむざとそれをやり過ごしていいものかという、切ない焦りに追い立てられている。
 ▽「いまどきクーラーもない家には友達も寄りつかないんよ。うちはそのうえダニやネズミ、ゴキブリまでいるんやから……」そんなふうに杏子から責められるのが一番こたえる。
 ▽松下センセと細君は1日に2度か3度はシャワーを浴びて暑気を払っている。「なにもまっぴるまから2人でいっしょにシャワーを浴びんでもいいやろ。お客さんでも訪ねてきたら、2人で裸でどうするつもりなの」「だってね、1人で浴びたってちっとも面白くないじゃないか。おかあさんシャワーを掛け合ったり、身体や髪を洗いあったりして遊べるから暑さも忘れるんだ。水遊びを1人でしたって味気ないだけだろ?」  

■「いま、市民の図書館は何をすべきか−前川恒雄さんの古希を祝して」
   出版ニュース社 3500円 2001年10月

 ふだん興味があるテーマではないのだが、仕事のために読んだ。が、以外におもしろい。
  司書という専門職がいて初めて図書館の機能は生かせるのに、それを一般職員に置き換えてしまう流れは、福祉の分野も同じだ。水道局の職員だった人が人事異動で福祉事務所のケースワーカーになり生活保護の相談を受けるというウソのようなホントの話が福祉現場ではまかり通っているが、これと全く同じパターンだ。
 すべての職種から「専門家」を排除して一般職員にやらせれば、他の職場へと使い回しが効く。「効率」の名のもとに、「専門性」が軽視されている。弁護士をやっていた人間に「キミはなかなか優秀だから、次の異動で市立病院の医者になってね」と言うようなもんだ。とくに東京23区はひどいという。
 ま、新聞社も同じ傾向があるけどね。個性より「マシーン」を求めているわけだな。

■野村進「事件記者をやってみた」 日経ビジネス文庫 2001/10/14

 雑多なテーマを毎月、10-14日の取材で書き上げる。マスコミが殺到しているなかで新しい切り口を見つける。「しんどいかと思ったが、マスコミはワンパターンだった」という。確かに、彼の独自の視点はおもしろい。以下それぞれのルポの要約や抜粋、感想。
 【多摩ニュータウン】 僕も公営住宅のルポをしたことがあるが、これほどまで多角的な視点は提供できなかった。「福祉」「居住」「スラム化」「差別」といったキーワードは取材したが、歴史や風土、葬儀屋やドラマといった意外な視点は提示できなかった。
 環境がよく、「住みやすい」「わずらわしくない」という声が多い。細野助博助教授が91年に調査した。だがその裏には新しい形の差別があった。「資産価値下がる」「都営の子が入ると悪くなる」といった都営住宅住民への蔑視だ。
 宮沢りえ主演のドラマをここを舞台に作ったプロデューサーは「ロケにはいいんだけど、安定感がない。なんかこわいんですよ」。葬儀社は「近所に猛反対された」。環境団体の人は「へんな商法に手を出す人が多い」。旧地主の息子が殺された事件では「地主の息子がヤクザに狙われるんだよ。駅前の貸しビルをそっくり取られちゃっちゃり」……と、いろいろな人の視点を紹介する。
 旧住民は喪失感、新住民は過去との断絶という不安を感じている。少しでも違う価値観があるとたちまち拒絶する。 「住みやすい、というのはマッチ箱の幸福。下町と住み心地を比較したらどうでしょう。冷たい風が心をえぐるところがあるのでは」。事実、都立大の倉沢進教授が都営と分譲の中学生の調査をすると、都営も分譲も他地区に比べて心身症的な傾向を示す子が多いという。
 【奥尻島】 土地の文化、食事、漁師的なざっくばらんで喧嘩っ早い人々の気質をまずしるす。漁獲を揚げたものが勝者、という社会が過疎に陥り、それに対抗するために観光開発をはじめたところに地震が起きた。
 12日の滞在の半分を、仮設住宅への支援物資の配達などのボランティア活動にあてた。被災後の精霊流し。たくさんの人が亡くなったのに数が増えない。精霊流しをしていた人たちまでが亡くなったからという。
 【天皇が山形に来たときの発煙筒事件】 天皇がたどった道を取材。案内した人、ホテルの従業員。中国で虐殺をした元憲兵。生活綴り方運動をしていた人。県警内部のたたき上げとキャリアの反目。長い歴史で培われた反中央意識が今回の事件の底流にあると結論づける。歴史的な視点が新鮮だ。
 【竹下首相と風土】 首相の故郷を訪ね、竹下の娘にインタビューし、中学教師時代の教え子らを取材する。公共事業がものすごく増えているのに、角栄の新潟と違い、出雲は淡々としている。「首相・竹下登」の著者、中村宏神戸学院大教授は「角栄は高い山を削ってしまえば雪は降らない、という発想。竹下は自然もふるさともそのままにというところがあるんですね。出雲は地主と小作の下克上がなく封建的な人間関係もそのまま残している」と言う。「えらそう」と言われるのがはずかしいと思う「出雲人らしさ」が竹下にはあるという。逆に石見人は。「出雲人ははらにいちもつ持ってる」と批判する。
 【金丸事件】 まず弟や姉の家を訪ねる。山梨学院大・椎名慎太郎教授の話で「庶民金融の無尽」に焦点をあてる取材の枠組みを決めたのだろう。無尽を使って選挙資金や情報を集め、人脈づくりもした。
 【トヨタ】 下請け会社の焼身自殺の現場。発見者や喫茶店での仲間の取材から入り、木型工などの話を聞く。かんばん方式のトヨタシステムを、ドイツ金属産業労組は「労組が労働者の利益代表として弱い」「労働者が不安定で不利な地位にある」「社会的・生態的・環境的結果について労働者の関心が欠落している」……と断じる。
 工員は「一生ねじ回しで終わるのかと思うとたまらないんだよ」と言う。
 底辺の日系ブラジル人がさらに下にいるペルー人を差別する。
 中京大猿田正機氏は「トヨタの管理と愛知県の管理教育の共通性」を指摘。「学校でも労務管理のやり方そのものを採用している」という。市内にできたディスコは、入口での「愛のパトロール」によって閉店に追い込まれた。
 管理社会日本の管理教育愛知の企業に従順な管理的な豊田市の管理のトヨタ。キーワードは「管理」だ。自殺者の兄が弟の手帳をくるが友達すらいない。「10年前からトヨタに働きに行ってたのに」
 【公園のイラン人】 黒澤の映画はほとんど見て、憲法9条もそらんじる。愛読書はガルシア・マルケス。彼らのほとんどは、イラン・イラク戦争の復員兵という。元教授、公務員、サッカーの代表選手、オリンピック金メダリストもいる。イランの各党派のビラや機関誌がまかれる。
 【カンボジアPKOのその後】 それまで自分たちで道路工事をして喜捨を受けていた。自衛隊が一気に工事したため、喜捨だけ続けることに。つまり物乞いを増やしてしまった。

■飯沢耕太郎「写真美術館へようこそ」講談社現代新書 2001/10/26

 カメラの発明から、今のデジカメによる作品まで、さまざまなジャンルの写真を紹介している。「つくる写真」から「ありのまま」へ、「抽象」へ……。絵画の世界が右に左に揺れたように、写真の世界も揺れてきたことがわかる。さまざまな作者の作品を載せ、簡単なコメントや時代背景を加えてあるから、理解しやすい。
 ユージン・スミスとサルガドはどちらも僕が好きな写真家だが、何が違うのか言葉にして説明できなかった。それを的確に表現してくれた。
 同じ報道写真であっても、ここ30年の間で大きく変化してきている。じゃあ、僕が撮りたい写真っていったい何なんだろう?
 そう考えると、ほんまに撮りたいものが見えていないんだなあと気付かされる。以下抜粋。
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 ▽被写体が「特殊で、より個性的であればあるほど、その写真というのはある普遍性をもつ」 ダイアン・アーバスは、巨人・小人・両性具有者・ヌーディスト・狂信的愛国者といった「特殊」な人を被写体に選ぶが、その写真を見るうちにもう1人の自分自身の姿を見いだしてしまう。
 ▽ユージン・スミス 受難の場面を祈りとともに受け入れ提示しようという。ヒューマニズムへの信頼を信仰のように保ち続けている。
 ▽写真家たちの社会に向けたまなざしを支えているのは、ルイス・ハインやユージン・スミス、土門拳のように、1人1人の人間の生のごく近くに寄り添い、彼らの尊厳をそこなわないように注意深くイメージに置き換えていく姿勢。
 ▽サルガドは、情緒的なヒューマニズムに頼ることなく、労働者たちが置かれている状況を構造的に把握しようとしている。

■マーティン・C・アロステギ 「暗闇の戦士たち」 朝日文庫 2001/10/28

 スパイ活動や暗殺の手法や訓練の様子を具体的に描写している。
 車でホテルを出てきた「標的」を運転手や警備もろとも一斉射撃し、生き残って病院に運び込まれたら、病室まで進入して殺す。IRAの活動家を何日も見張った末に2発の銃弾で確実に殺す……。
 グアテマラやエルサルバドルでは、殺されて放置された死体を見て、被害者の遺族の怒りや悲しみに接したが、闇のなかにあった「殺す側」の具体的な姿や行動を丹念にしるしていて興味深かった。
 殺された側からみると、「暗殺者」であり「テロリスト」という悪魔なのだが、当人は「自由を守る」とか「治安を守る」といった正義を信じている。彼らからみれば、「暗殺はダメ」という人たちは「平和ボケ」であり、汚い仕事があったからこそ平和を守れるのだと考える。そのために、暗視スコープや盗聴技術、赤外線の探知装置といったものが開発されてきた。
 ところがその技術が敵にまわると大変なことになる。サダム・フセインのボディーガードは英国のSASが訓練をほどこしたし、フォークランド紛争時のアルゼンチンの特殊部隊は米国のグリーンベレーが指導した。SASは、エグゾセミサイルのアルゼンチンへの供給を防ぐために友好国であるフランスの工場を吹き飛ばすことまで考えたという。
 国内にそれが向けられると、「反権力」「反政府」を唱える人々への監視と管理につながる。
 筆者は特殊部隊側を支持する立場だが、読めば読むほど、暴力機構の規模と行動は、自己増殖するものだということを確認させられる。
−−−−−−−−−−あらすじ−−−−−−−−−−−−−−−
 凶悪犯を集めて命と引き替えに闘わせるという発想で、大戦中に、敵の後方を撹乱する独立愚連隊ができた。戦争が終わると闇に葬られたが、各地でゲリラ戦が頻発するなかで復活する。イギリスのSASがその元祖で、外人部隊をもつフランス、イギリスから技術を得たアメリカなどで育った。
 イギリスはボルネオやマレーでジャングル戦、アラビア半島では砂漠戦、イエメンの路地裏で近接戦闘、北アイルランドでは都市ゲリラ、フォークランドでは極地戦のノウハウを蓄積した。
 北アイルランドでは、屋根裏に何日も隠れてIRAの情報を収集し、活動家を暗殺する。
 地上から空爆を誘導してアルゼンチンのヘリ基地を破壊したフォークランド紛争は、米国で特殊作戦を学んだアルゼンチン人のコマンドー部隊との特殊部隊の争いでもあった。
 湾岸戦争では、スカッドミサイルを潰すために砂漠に潜んだ。穴に潜んでいるところを地元住民や子供にみつかることもあった。
 ブッシュ元大統領のCIA時代の同志でもあったノリエガを捕縛するために、米軍はパナマで市街戦を展開し、一般市民が大量に死んだ。特殊部隊はノリエガの立ち寄りそうなところを徹底的にマークし、ニカラグア大使館に突入したこともあったという。
 国境をこえて武器や訓練の共通化やコンピュータリンク、突入・掃討手法の公式化で「勝ちパターン」をつくりあげた。日本の警察のSATもこの技術を学んでいる。