■藤原敏隆「保守王国の崩壊」創風社出版 1600円
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■佐藤孝子「四国遍路を歩く」日本文芸社 705円
元小学校教師の女性が、信心があったわけではないけれど歩いてお遍路をして、いつのまにやら弘法大師に心酔するというおめでたい話。結論は陳腐で月並みなのだけど、寺やお遍路宿でのいろいろな人との出会いといった細かい部分では興味深かった。へぇ、お遍路ってこうやってやるんだぁ、という興味もわいた。一度やってみたいもんだな。
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▽「おつえはお大師さんや。宿についたらまずおつえを洗ってやりや」
▽徳島の焼山寺の手前の長尺庵には男の人が住みついていたそうな。
▽白装束を着たままだったからこそのふれあい……
▽内子には善根宿をする家が何軒か。「仙人宿太師堂」
▽「平成へんろ石建立運動」をする「へんろみち保存協力会」の宮崎建樹さん(松山市〓)が立て札やシールをつけて……
▽北条市の養護院庵主の沖田耐夫さんは、妻をなくし会社経営をやめ遍路に。
▽「四国遍路ひとり歩き同行2人」(へんろみち保存協力会)の地図が最適。
▽http//www.kushima.com/henro/
■余田実「愛媛県民の選択−伊賀県政から加戸県政へ」 1700円 5月7日
長年愛媛県政を見てきたテレビ局の元記者が県内政治の流れをまとめた。
政治家の実名がしっかりと出てくるから資料的な価値はある。この県の政治を知りたい人には有用だろう。だが、新聞のスクラップを寄せ集めた感は否めず、読み物としてはおもしろくない。
■高木仁三郎「原発事故はなぜくりかえすのか」岩波新書 02年6月5日
死の直前に書き上げた遺書である。
化学屋として放射能を自らの手で扱っていたからこそ細心の注意を払ってきた。それが今はパソコンでのシミュレーションや計算だけ。だから、危なさの実感がわからない。
さらには、技術屋が根本から根腐れていることにも警鐘を発する。昔から「隠蔽」はあったが、もんじゅや東海村再処理工場では、隠蔽だけでなく虚位の報告がされた。東海村に至ると事故隠しのみならず鎮火を確認してないのに鎮火と報告していた。プルトニウム運搬問題のときも輸送容器のデータねつ造があった。
技術屋の寄って立つべき「データ」を書き換える。つまり技術屋としての誇りさえもなくしてしまった。
会社に関係なく個人としての問題意識を持ち続けなければならぬ。私企業の利益と公共性の間にどう折り合いをつけるのか、緊張感のある努力をしていく。その結果、挫折して離れる人も出てくる。そういう意識がどんどん消えてしまっているという。こういった問題は技術屋の世界だけではない。マスコミの世界ではもっと顕著に現れているように思う。
▽富国強兵政策の延長で国策として中曽根が呼びかけたのをきっかけに日本の原子力産業は大きくなった。そのなかで、「原子力は特殊だから、考えるのは上に任せよう」と中小工場の技術者から大企業の技術者にいたるまで、主体性がそがれ責任の所在があいまいになるプロセスが生まれてきたという。
▽アメリカでは事故を想定した際の責任を企業が負いきれなくなって電力産業が原子力から撤退する傾向にある。
▽「脱原発だから公益性がない」という政府。役人にとっては公益性を定義するのは国家の側。
■松田道雄「日常を愛する」平凡社ライブラリー 02年6月26日
戦前の左翼学生が「人民への奉仕」をテーマに小児科医に。晩年、「日常」を愛しその大切さを訴えてつづったエッセー。老いと死を前にして、自立した個人としての生き方を絶えず何気ない日々の生活のなかで追求する姿が神々しい。死ぬ前日まで、育児本の改定をするために、最新の医学書のチェックを怠らなかったという。日々の生活や政治と格闘しながら、細やかな感受性と青年時代からの志を持ち続けられたのはなぜ? と問いたい。以下抜粋−−−−−−−−−−−−−−
世界は虚無であるからこそ、人間と人間でつながりあった世界をきずかねばならぬ。
「私は、若い頃の理想どおり気に入った人とだけつき合い、自分が自分の主人として自分の思い通りに生きることができた
自由を好む人間にとって恐ろしいのは、神の名や家族の愛の名のもとに、個人の生き方(自己決定権)が否定されることです
20年も前にヘルパーの大切さを指摘。病院や施設の貧困、住み慣れた町で住み慣れたモノに囲まれて、個室で、という感覚。
迫る死への焦りと準備。「先が見えてきた」なかで本を読み続ける。
社会主義の階級闘争説が、中流時代には大時代的になってきた。「市民的抵抗」にしても、「市民というのは政治でめしを食っている人んはわからないほど、なかなか忙しいモノだ」。そうした変化を冷静に見つめ、日常へと視点を移す。
自分のような人間は世界じゅうにただ1人だというほこりがあったら、責任をまもりたくなる。それが人間の威厳というものだ。責任というのは、自分の威厳にふさわしいようにふるまおうということだ。
私は私だという個性を大事にしたい気持ち、その個性を少しでもいいものにしようという気持ち、それが他人から認められたときに誇りが生まれます。……人格の尊重、人権の尊重のない社会では人間の威厳はありません。
情報産業が力をもつと、日常を支える平凡をくだらなく思う風習になってきた。旅行、商品、海外……どれも日常からの脱出だ。……戦争という日常の否定に国民がかつてなぜ参加したか。当時の情報産業が、新規なもの、センセーショナルなものとし送り込んだものが、やがて洪水になって日常をのみこんでしまったのだ。
地球全体の体制がかえられるように思い、半生をその考えにとりつかれて生きたものの、結局は日常に密着して生きねばならなくなった。大志を抱くことは青年の日のしげきにはなる。だが、日常そばにいる人間に、この人につくしたいという気持ちになれることの方が、大志を抱くより骨が折れる。
(老い)むだだった骨折りの集積のなかに、むなしさばかりでないものが、でてくる。その少しばかりの甘美なものが、やがておそってくる理不尽な虚無である死を、多少こわくなくしてくれる。
「不沈空母」74歳になる私は艦のどこで本を読めばいいのか。孫の男の子は艦のどこでミニカーを押していいのか。まだ治療を続けている妻は艦のどこで休んでいればいいのか。とまどわねばならぬ。大いにとまどわねば。国を航空母艦にするということは、老人、女、子供、障害者は足手まといになるということだ。
キューバにミサイルを持ち込んだとき、ケネディの相手がフルシチョフでなかったら核戦争が起きていたかもしれない。スターリンの強制収容所から何万人かの人を救い出せたのも彼よりほかにいなかった。……引退させられて以後の、農家の子らしい自適の日々。
「夫は、……どんなことがあっても生きていてよかったと思えるような日々を過ごしてほしいと書きのこして逝きました」
革命運動も学生たちにとってはボランティア活動だったというべきだろう。いまその運動から離れている人には、その運動がいかに偉大だったかではなく、それに参加したことが自分の生をどれだけ豊かにしたかを書いて欲しい。
(熱心に生徒に音楽を指導した先生の話)じっさい音楽は人間にとって、算術や国語よりも長く支えになるものだ。昨年から童女のようになられた先生は、病院で終日、唱歌をうたっていられたという。
いっしょに生き、おなじ思想をもち……65年たったが、まだおたがいを知りつくせない。それだから、いつ会っても、いくら話してもたりない気持ちで別れる。だから人間は孤独であるとは言わない。だからこそ、みんなで、おたがいに理解できる部分をつくっておかないと社会はもたないと言いたい。
少しでも身軽になって老いと格闘することが、これからの仕事だ。
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