■斎藤茂男「記者志願」築地書館 1010710
9年ぶり再読。以前読んだときも松山にいた。当時の書き込みや傍線を引いた部分を見ると、いまだに同じ問題意識と悩みかたじゃないか、と愕然とする。成長がないというのか、なんというのか。以下抜粋と要約。
▽政治や経済の取材対象と同じ比重で、現代社会では生活の場の日常こそ、きわめて重要なニュースソースであるはずだが、記者自身が生活者でなければ、そこに潜む予兆を敏感に読みとれないのではないか。
▽ 天皇が死んだ日。ピンクキャバレーの女は逮捕された男の恩赦を待つ。オカルトハウスや占い屋。銀行の様子。
▽ややこしい時代の状況を切り取って見せるという作業は、取材者個人の人間としてのこだわりから発してこそ可能なのではないか。こだわりつづけ、多角的に接近していくことで、状況はいくらか見えてくるのではないか。(県庁のどこに接点が?という8年前のメモ)
(自殺、明浜老人ホーム、ゴールドプラン)(現場と接し、現場を歩く、農業の現場、福祉の現場、スラム……)
▽地球市民的発想に立つ人々の運動のなかで、ジャーナリストたちが発見し、変革させられていく。市民グループからの情報と人の動きをつかんで上で独自の取材で裏付けし……
(市民運動とのとながりと学び合いと生き方探し)
▽あのころは「闘う」ということが生活や人生に溶け込んで一体化していたけれども、いまは自分の生活は別にあって、そこで「幸福芝居」を演じるというわけ。
▽テレビが取り上げてしまうと、意欲がそがれてしまう。それにうち勝たなければ。テレビを観ながら、自分だったら何を尋ねるか考えたりして行動に移るきっかけをつくる
▽「毎日忙しくて、状況に食い込むような仕事ができない」というけれど、「でも自分たちをどこか外国から派遣されてきた特派員と考えれば、こんな面白い国はないぜ」とよくいっている。日常にひたりきっていると、はげしい変化やその予兆が感じとれません。おしきせの情報と別のところに耳を傾け、目を向けないとだめだと思うんです。
▽自分が目標を設定して自分として、こういうことをやりたいとたえず思い続けながら、何かに執着することなしに暮らしていると、仕事の生き甲斐(疑似生き甲斐)を増幅させるような課題が次から次へと待っている。そういうサイクルに巻き込まれると、知らず知らずに自分が何をやりたいのか、どう生きたいのかということをあまりつきつめないですんでしまう。そうなると問題がなくなって、そのなかで眠りこけていく危険がたえず取り巻いているのではないか。
▽部長がいるから夜遅くまでいる……というような。以前は残業はしないとか、そういった権利意識はすごくありましたね。いまや自己主張が全然できないような社会になってしまった。労働者の権利意識が教育されないから、企業に入ったらそおまま受け入れる。いまの価値観だけにとらえられてしまっている。権利意識ないままに「社会っていうのは厳しいから、お前がんばれよ」と教育する。
▽記者が、現状肯定的ななまぬるい気分に満足していたり、上司の考えをいつも気にして保身の気持ちで体を堅くしていたのでは、なかなかラジカルな問題追及力が充満してこない。結果的に出世するのは結構だが、その前に、組織内での位置ににこだわらない精神的一匹オオカミになることをぜひ若い記者にすすめたい。
▽健康は善で病気は悪なのか。病気によって、心身症によって、人間にもどることが許され人間という生きものでありつづけることができる。病むこと悩むこと貧しいこと、そういうチャンスを与えられた人はそこから現代の光に向かって歩き始めるだろう。と。
■灰谷健次郎「島物語TU」 2002年7月22日
画家をしているお父さんと、妻と、その娘と息子が都会を離れて淡路島の北淡町に移り住み、畑を耕し、魚を釣る生活を始める。はじめは反発した姉弟も次第に「いのち」とふれあう実感を深めていって……という物語。小学生の男の子の語り口調でつづられている。
最初、違和感をもった。「太陽の子」や「兎の目」のときのように、素直にじわーっとこない。自然との共生、他人の痛みを自分の痛みと感じること、といったテーマが表に出過ぎているような気がして理屈っぽさを感じた。
筋は予想がついてしまうし、言いたいことは見えてしまう。それでもところどころで泣かされるのは不思議だった。何より、子供の語り口調で書いているのに、大人くさいところがほとんど出てこない。よっぽどの他人の気持ちに寄り添う想像力がなければ、子供の視点に立ちきれないだろうに。
メデタシだけの物語でもない。いいことがあったと思ったら、悪いことがあり、みんなが幸せかと思ったら震災が起きる。
野菜の作り方や魚の採り方などのディテールが描かれているのもおもしろい。経験してはじめてわかる部分だ。お百姓さんや漁師さんの苦労をすべて金で買ってしまう理不尽さ。「もっと安くしてよ」という言葉が生産者にとってどんな意味をもつのかと。
「人とつながっていないことは寂しいことや……」。下町の市場のおっちゃんと子供がつながりあって、お互いを思い合って、助け合って、物理的にも子供をあずけあって、暮らしている姿。そこには「プライバシー」という言葉はない。みんながみんなに対して家を開き、裸足で出入りしあっている。
家に他人が入ってくると気を遣ってしまい、しんどくなってしまう、という感覚は昔はあまりなかったんだろうなあ。家に他人がいることが当たり前になっていくことが、高齢になったときに支えあうことにつながるし、地域のなかで生きることになるのだろう。大阪教育大のT教授なんかは、まさにそんな暮らしを実践していた。
動物が死ぬ。そのつらさが身にしみる。弱い仔をひやひやしながら見守る。「いのち」にふれることで、やさしさや共感をはぐくんでいく−−。以前ならこういう場面でウンウンを頷いた。今は「じゃあ、いま仕事のなかでどう活かせばいいの?」と考え込んでしまう。
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・ひよこが死ぬ。「みんながヒヨコのいのちを心配したのやないか。ねえちゃんを責めるとヒヨコが生きかえるとでもいうのか。それをいうといちばん傷つくのがねえちゃんやということがおまえにはわからんのか」
・「息子も娘もひとりだちして出ていったが、それでええの。やがてわたしは1人で死んでいくけど、それは空を飛んでいる鳥や、そこに咲いている花と同じこと、みんな順番……」
・いのちがお金や物に囲まれて1人ぼっちになりだすと、危険信号を出す……。
・走ることによって心と体の対話がはじまります。ぼんやり生きていては感じることのできない自然のこまやかさ、やさしさ、美しさを知ることができます。
・「おかあちゃんが死ぬとき、いっしょにわたしも死んであげる、というてしもた、と(4歳の)ハナエはいうの……だけどハナエは死ぬのがこわいの……と、そういうて泣く……親のことを自分のことのように心配する。そして自分も大事にする。自分にウソをついて、いいことだけをいうなんてことはしない……」
・「あかんたれやない。かあちゃんといっしょに泣いていたおまえは、ひとの痛みのわかるやさしい子や」
■宮城音弥「ストレス」講談社現代新書 2002年7月19日
表題にひかれて買った。よっぽどやな。
内容は簡単な学術書って感じ。
ヒトラーはオーストリア、ナポレオンがコルシカ島、スターリンはグルジア出身。3人の共通項はどれも「周辺人」であり差別される側の出身だったこと。差別される側の劣等感(周辺人的劣等感のストレスへの反動としての補償)が逆に強烈なナショナリズムに転化してしまう。貧しい家の出身なのに、なんで貧乏人を踏みにじるようなこと言うんやろ、と思ったことがあったけど、まるで逆の面もあり得るのだ、ということは経験的にわかっていた。3人の独裁者がその典型だった、というのがおもしろい。
・爆発的な行動をとりやすい死刑囚は濃縮された時間に生きている。その逆は無期囚の「うすめられた時間」だ。単調な繰り返しの生活で、感情の動きをなくし、まひした状態になる。ストレス喪失状態だ。
・1938年の岡山県の作北の西加茂村の33人惨殺事件。
・野口英世は、天皇の侍医になることを目標にした劣等感を医学の勉強で克服した。同時に吉原で金を浪費し、「不品行なほら吹き」と非難された。劣等感的ストレスの補償で作られた性格。米国からの手紙のなかでいかに自分が認められているかを記す。「ノーベル賞を受けられるだろうという学会のうわさ」とまで書いている。「偉人」の代表のような人だけど、裏が見えるとおもしろい。
・吉展ちゃん事件の小原被告。
・葛藤性ストレスの場合には、何もしない、のは望ましくない。「何もしないで過ごすより不必要なことをせよ」という指導法。
■灰谷健次郎「アメリカ嫌い」角川文庫 2002年7月24日
小説や「私の出会った子どもたち」ほどのインパクトはないが、彼らしいやさしいエッセー集。ルポや実用書ばかりでなく、小説も読まなければなあ、と思わせられる。以下抜粋。
・どう生きてよいかわからないと悩む若い人が多い。それも一つの誠実さかもしれないが、自分の中にある、なんだかよくわからない部分を、しっかり面白がることがあってもいいんじゃないか。
・本を読むことで、無限の自由と魂の飛翔が与えられる。ひとたびその世界に入り込めば、あらゆる人生を生きることができるし……想像力もまたきたえられ、深い人間に至る道がひらかれる。……ものごとが思ったようにいかず、挫折をくり返す。人生とはそういうものだ。勇気とねばり腰がいる。そのエネルギーの源は想像力だろう。
・死んでやろうと思い詰めることがどんなに罪なのかということが、こんにち、よくわかる。生きているとは思っても、そのとき、生かされているとは思わなかった。
■灰谷健次郎「林先生に伝えたいこと」角川文庫
10年ぶりくらいの再読。以下抜粋
・15歳の少女が自ら命を断つために毒をあおぐところまで追いつめた現実。そのうえ、無惨なことに、新聞沙汰にしないでくれと、ベッドに伏す彼女にいい、どうして探し出してきたのかと思われる「犯人」に謝罪させ、責任逃れをしようとした教師集団……
・「チューインガムを盗んだ。もうしないから、先生、ごめんしてください」という紙切れをもって、母親に首筋をつかまれて引きずられてきたわけです。ぼくが「ほんとのことを書こうな」と一言いっただけでまた泣き出してしまったのです。盗みという行為と向き合うことはほんとうに苦しいわけで、彼女は許しを請うことによってそこから解放されようとしている。しかし、許しを請う世界からは魂の自立はないという思いがぼくにある。
・「私(林)の人間の授業を受けて、もっとも集中して学んでいるのは、社会的にもっとも過酷な条件下で生きることを強いられている部落出身者や在日朝鮮人の子弟であり……学校教育のなかでは、小中学校でもっとも無残な位置に立たされつづけた生徒たちである」
・「一片の知識が学習の成果であるならば、それは学ばないでしまったことではないか。学ぶことの証は、何かがかわることである」
・「苦労をしないと人間は優しくなれないように思えて、かなしくなります」そんな手紙を書く若者の不幸をおもう。きみたちは本当に幸せなのか。若者が反抗とか反逆の精神を失ってしまった社会はみじめで、暗い。社会は決して若者にあたたかくない。甘やかされていることと、ほんとうのあたたかさを混同するな。今ある社会と学校にもたれかかるな。優しさの通る社会は自分たちで創るしかないと腹をくくれ。
・死んだ兎の子を穴に埋めていた子「死んでも、死んでも、死んでも死んでもいい。ここにおるもーん。死んでも死んでも死んでも死んでもいい。また生むもーん」人は幼児のころから、すでに死を歩んでいるということだ。死を遠ざけるところから死を意識するという二律背反が、幼児をして人間への道へとおもむかせる。……死をしっかり歩まなかった人間は、陰影に欠けるし、存在感が希薄だ。(小学生のとき、死が恐くて仕方の無かった時機がある)
・死者を生かす「生」というものがある。それ以外の生き方は、みんな、堕落ではないのか。人は死を思うことによって、人間になり得る道を歩みはじめる。
・〓渡嘉敷島の戦争体験をしるした小学生の副読本……本土では忘れつつある平和教育を、島の子どもたちは身をもって実践している。
・食がかわりはじめたのは、自分で育てた野菜を食べるようになってからだ。……まめご飯の味だけを味わいたい……そのものの味を大切にすることを覚えた。必然的に味付けが薄くなり、あれやこれや料理するということをしなくなった。
・今の自分の暮らしに不満のある人は、どこかの保育園で1日中、子どもを見ているとよい。どの部分をとっても実に表情がよく動く。子どもの生活の大部分は生への喜びによってなりたっているからこそ、表情は豊かなのだろう。暮らしの中に喜びをつくらないでいては、それとたたかう意欲も失ってしまう。さて、わたしはこれからソバを打つ……。
・文明という衣装をはぎとって、裸1つでおっぽり出せばまともに生きていくことさえできないというのが現代人の正体ではないか。そういう人間のまま人生を終わりたくないというのがわたしの気持ちだ。……自然のなかでたっぷり遊んで、そして学ぶことができれば、ほんとうに生ききったという実感が持てるのではないか。
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