{題名日付}

■金子勝 「月光仮面の経済学」 NHK出版 20021010

  タイタニックの事故と、いまの日本を対比する論文が圧巻。たとえば次のように。
 農協の合併、銀行の合併、省庁の合併……、そして市町村合併。
 地方自治体を公共事業に動員してきたために財政赤字が悪化したのに加え、交付税特別会計の隠れ借金も38兆円もの巨額に達して弱小町村に配分できなくなったらだ。だが、貧乏な自治体同士がくっついても貧乏のまま。さらに公共事業を手厚く配分することで合併を促そうとしているから泥沼が続くだけ。「沈まないように」とどんどん大きくなり、それでもちっとも安心できず、ますます沈みそうな気配になる。
 危機的状況なのに、一等船室の客は危機感を持っていない。「最近の学生は学力低下した」「国を愛する気持ちが足りずモラルが低下している」などという。経営の失敗や背任をかばいあっている世代が、国旗国家法の制定などに一生懸命だ。
 世界同時不況、という氷山に衝突する危険が迫るなか、「市場に任せろ」といって乗客の格差を広げている。船が沈みそうになると、1等、2等、3等の順番に逃げることになる。地獄の沙汰も金次第という風潮が強まりモラルの崩壊が始まっている。
−−−−−−−−−−以下抜粋など−−−−−−−−−−−
 ▽不良債権を処理するには、経営責任と監督責任を問いつつ、自己資本不足に陥る銀行には公的資金を投入するしかない。だが、これはタブー。99年に投入した公的資金7.5兆円に損失が出ていることがばれるからだ。政策的失敗の露見を怖れて、株価が回復するまで公的資金の投入を先延ばししようとする。
 ▽郵貯は株価維持操作にも使われてきた。その結果赤字になると「国がやってるからだ」と民営化論が幅をきかす。。政治家と官僚の利益政治で特殊法人にたかりながら、もたなくなると「民営化」でチャラにする。負債累積のつけを国民にまわす。構造改革とは国民の税金をむしりとるマッチポンプだ。
 ▽過小資本の銀行の国有化が打ち出される一方で、郵貯を民営化する、という理論。
 ▽インターネット取引によるモジュール化は、少品種大量生産に適合している。現場労働者の密接なコミュニケーションによる微調整は必要性がなく、コストだけが問題になる。消費の著しい画一化を引き起こしていく。
 ▽「チーズはどこへ消えた?」比較的安定していたホワイトカラーの首切りが当たり前になるなか、「ブルーカラーのように割りきって首切りに慣れなさい(環境に適応しなさい)」と言っているのだ。しかもこの本は、チーズをだれが作ったのか、が最後まで書かれていない。世界中が自分のチーズというアメリカ人らしい発想だ。物作りを忘れ、投機によって世界中を食い荒らしてきた。
 ▽ペイオフは本来、1000万円までの預金を保護する預金者保護のための制度だった。ところが、いつのまにか、1000万円までの預金しか保証しない制度にすり替えられ、中小銀行を潰す手段になった。
 ▽世界恐慌との比較。第1次大戦によるバブルがはじけ、積極経営に出た銀行や企業は経営危機に。日銀が救済融資し、今日と同様不良債権処理を先延ばしし続ける。銀行の取り付け騒ぎも日銀などによる救済融資で切り抜ける。台湾銀行と鈴木商店の経営破綻で金融恐慌が起きると、日銀はじゃぶじゃぶと資金を市場に流し込むが、資金は運用されず不況は深刻化する。当時のグローバルスタンダードである再建国際金本位制への復帰が、デフレ圧力に。ついに、不良債権の処理ができないままに行き詰まり、企業整理が打ち出される。緊縮財政(聖域なき構造改革)も。浜口首相は「国民諸君とともに一時の苦痛をしのんで、後日の大なる発展を」と呼びかける。まさに今日の「痛みを伴う構造改革」だ。世界経済は同時不況から大恐慌へ。日銀は国債を買い支えつづけ……。
 ▽市場原理主義者ほど、バブル経済を引き起こした「自己責任」をとろうとしない。銀行経営者の罪は官庁もグルになってごまかす。公的資金で救済し、それをつかってゼネコンにたいする借金棒引きをする。ところがまじめに働いてきた勤労者は首切りにある。
 ▽〓国から地方への税源委譲を含む地方分権化によって、地域に役立つ小さな公共事業や社会福祉事業に転換することが必要だ。
 ▽天皇制下の無責任体制。一億総懺悔によって天皇の責任が曖昧にされた。銀行経営者がやめないのと同じ理屈。憲法改正や靖国参拝を好む人が、銀行経営者や監督官庁の責任を問おうとしないのは偶然ではない。米国への経済的敗北感のいやしをナショナリズムに求める。過去の美化によって現在の自分たちの失敗をも自己正当化する一石二鳥の効果を期待している。
 ▽「君は戦争で国のために死ねるか」と問うよりも「なぜ人は命がけで戦争を防ぐことができなかったのか」と問うべきだろう。また、前者の問いには、殺される他者の問題が抜け落ちている。
 ナショナリストは、一方でアメリカ批判のふりをしながら、他方で過去の戦争を美化してアジアを敵に回す。「つくる会」は「国益」を売り払い、この国の経済と社会を泥沼に引きずり込もうとしているのだ

■内橋克人 「不安社会を生きる」 文春文庫 20021006

  個人には「自己責任」を問うのに、大企業や官僚トップは経済破綻の責任をとらない。グローバルスタンダードといいながら、人権規約や単身赴任を禁じたILO条約などは批准しようとせず、強者に都合のよい部分だけつまみ食いする。
 規制緩和の先進国とされるニュージーランドでは、雇用契約は使用者と労働者との個人的なものとされ、労組などによる「集団的契約」は使用者が同意したときしか認められない。団結権が消え、労組の組織率は半減した。
 電話1本で呼び出されるオンコールワーカー(1日だけの契約社)はまるで釜ケ崎の日雇い労働者。米国で生まれパソナの子会社などが導入しようとした、社員を個人事業主化させて個人契約(業務委託契約)させるという手法も、建設業の1人親方と同じだ。
 そうした実態を紹介する。
−−−−−−−−−抜粋−−−−−−−−−−−−
 ▽旭川の「あさでん」は、既存のバスス会社の100%子会社。大量の臨時社員をやとい、正職員との格差をつくる。重荷は旧会社にのこし、優良部門は新会社へ。旧会社は従業員もろとも整理の対象に、という流れ。国鉄と同じやり方だ。
 ▽イギリスはサッチャー政権は、小さな政府を実現するために権力の「大きな政府」となった。中央集権政治のもとで、地方自治は荒廃し、投票率は下がった。ブレア政権は自治体の課税自主権の復活に力を入れている。
 ▽コーポレートガバナンス論(会社は株主のもの)。株主は、経営努力による増配よりも、短期的・投機的でも株価値上がりを求めるようになる。経営者はストックオプションの値上がりを求める。経営のチェック機能をこえて、株主エゴの段階に達した。
 ▽銀行や企業の抱える借金は、国へと移し替えられた。天文学的な借金は近い将来、国から家計へと移し替えられる。「消費税14%は避けがたい」という発言も。
 ▽経団連の会長、その提言を受ける「産業競争力会議」の有力メンバー、経団連提言によって救済される業界の1つ、鉄鋼業界の新日鐵の会長−−そのすべてを今井敬氏がになっている。しかもその「提言」には、バブル期の巨大な過剰投資を解消するための公的支援を求める。銀行に債権放棄を求める代わりに、その分、自社の株を取得してもらう。そのために独禁法の運用緩和(企業に対する銀行の持ち株比率の規制緩和)を要求する。銀行に投入された巨額の公的資金の「おすそわけ」を求めたともいえる。中小企業はこうした支援策とは無縁だ。
 ▽不況を支える「最後の消費」は、シルバー世代の厚生年金族が支えている。
 ▽個人貯蓄1200兆円というが、個人事業者の事業用資金も含まれている。それをのぞくと600兆円だ。
 ▽再販制度がなくなれば、書店は本を買い切る必要があり、返品がきかない。売れる本に絞らざるをえない。
 ▽60年代半ば、カイシャに行かなくてよくなった最初の日の朝、サラリーマンの列を見て、どの顔も確信に充ちているように見えた。どこかに属していることの平穏と颯爽。人から離れて遠いところまできてしまったという心細さ。

■香山リカ 「ぷちナショナリズム症候群」 中公新書ラクレ 20020928

  屈託なく日の丸をふり、君が代をうたい、「美しい日本語」を暗誦する若者たち。これを「ぷちナショナリズム」と名付けた。これが今後ホンモノのナショナリズムに転化する恐れがないのだろうか−−。
 目の前の現実を、歴史の流れのなかで考えたり、反省や懐疑の念を抱いたりといったことを回避する傾向がある。それが「気持ちいいからいいじゃん」「楽しいからいいじゃん」と日の丸をふることにつながる。「大好き、最高」か「大嫌い、最低」の両極端の感情的反応しかしないことで、冷静で客観的な評価をくだすための葛藤を避けるメカニズムも働く。だから、小泉人気のように一気に高まり、何かのきっかけで一瞬にして凋落するという。
 「私は戦争なんて知らない。それよりも今にも近隣諸国が攻めてくるかもしれないのだから、集団的自衛権の禁止などは筋違い」という主張は「戦時下の愛国詩暗唱運動なんて知らない。それよりいま、美しい日本語を暗唱して心身を鍛えたほうがいい」という日本語ブームや、「歴史はわからないけど、ニッポンチームを日の丸で応援するののどこが悪いの」という人たちとぴったりシンクロしている。
 エリート層と中間層の格差は拡大する。不平等に気付いた人は、エリート層の「ぷちナショナリズム」に追従しつづけるのか、それとも、ロー(low)階層にコミットし怒りを行動で表明するのか。
 不満を感じた中間層がナショナリズムを選択すれば、ロー階層もそれになだれこむ。エリート層は、歴史や自身の内面からの「切り離し」をした思考パターンしかできないから、エリート層でありつづけるために(優秀な個人投資家であるために)ナショナリズムへの道を選択する。
 そのとき、「美しい国・ニッポン」は、すべての階層が愛国主義を唱える世界一のナショナリズムの国になるかもしれない。
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 ▽尾崎豊が「十代の代弁者」と呼ばれたのは、エディプス葛藤の再燃をとらえたからだろう。だが、今の少年たちには尾崎の怒りや不満は理解できない。「何を怒ってるかわからない」「ひとりよがりの詩で不愉快だ」。もしかしたら、幼児期にそもそもエディプスコンプレクスを体験しない子が増えているのではないか、とも考えてしまう。(自分の欲望を制限し、力で威圧しようとする父親)
 ▽右翼とか天皇制とのつながりを知らずに、あるいは知っていても考えずに、神職に配られた日の丸を楽しげにふり、「愛子さまが女帝になればいいんじゃない」と気軽に口にする。
 ▽「お父さん大好き」「ニッポン大好き」と屈託なく口にする若者を生んでいるのは、エディプスコンプレクスの不成立と、切り離し、という心のメカニズムの進行なのではないか。力のある親の子は有利な人生のスタートを切ってもあたりまえ、と思われる一方で、そういう条件のない生まれの人はチャンスをつかめずに終わってしまう。そういう不平等社会につながらないか。
 ▽新学習指導要領が教育機会均等の理念を放棄し、「できんものはできんままで結構」という内容になっていると、斎藤貴男が指摘。
 ▽石原慎太郎は極右なのにあえてその部分にふれない。そういう無言の圧力がマスメディアにも伝わり、極右という冠をつけにくいムードができている。

■村上義雄 「人間 久野収」 平凡社新書 20021021

  ▽「あの(戦争)当時の先生はいつも苦悩に満ちた顔をしておられた……」「(戦争に賛成するのは当たり前だ!と怒ったあと)先生は私に何度も謝るんです。『君に事実ではない気持ちを伝えてしまった』と。あの叱責は先生の配慮だった。自治を通せるよう……」
 ▽京都の喫茶店「フランソワ」で「土曜日」の編集活動をした。治安維持法違反に問われた。久野も逮捕・拘禁・拷問の体験者だった。……朝日ジャーナルが消えたとき、久野の落胆ぶりは大きかった。
 ▽70年代、「戦後の反省だけでは足りないんじゃないかな。現在も生きている戦争を反省する必要があるんじゃないか。戦前戦中を支配し続けてきた集団主義はなかなか改まらない。個の自立を呼びかける人間が1つの大学に釘付けにされている。人間を丸抱えにする集団に組み込まれ続ける。この原理を組み替えなければならないんです」
 ▽希望の色眼鏡で現実を見失うのではなく、現実に絶望して希望を砕かれるのでもない。現実と希望の相互検証を楽しみながらやり続けることが肝心です
 ▽なぜもっと早く(戦争をやめ)和を結べなかったのか。最高指導者も官僚も自己というものをもたなかった。自分の意見を勇敢に表明できる人物が極度に少なかった。1人の市民として思想信条を貫く自由を何が何でも確保する。あるいは、それができる状態を作り上げておく。これがあの戦争から得た教訓です
 ▽政府べったりでも新聞べったりでも、知る権利は保障されない。国民による新聞批判と協力がどうしても必要です。
  ▽東京や京都のような王侯貴族が作った街はあまり興味がないんです。それよりも市民がつくった大阪の方がよっぽどおもしろい。太閤さんの大阪城は街の端にあるしね
 ▽「教条主義がはびこる一方で、イズムが没落するから始末が悪い。そうなると体験主義に戻っていく。体験がなくても、耳を傾け、読み、考えていけば、その人なりのイズムは獲得できるはずなのだが、日本人は昔から体験主義と教条主義の間を行ったり来たりしてきた」
 ▽新聞記者は、社内の批判をおでん屋でくだを巻くらいなら、重役や同僚の前で理路整然とやってもらいたい。いまの新聞は、政府に内閣に読者に遠慮しすぎ。これを書くと読者が離れるという心配ばかり。他者を批判するが、自分はどうなのかと反省しない。わずかに最後に批判めいたことを書き事足れりとしている。だから気兼ね文章になってしまう。それが中立性を守る文章だと勘違いしてないか
 ▽記者は語り物を読め。「大菩薩峠」「鞍馬天狗」「天皇の世紀」「宮本武蔵」。漱石や柳田国男は、俗は描くが本来は雅の人。本気で「俗」と取り組んだ1人が吉川英治です。戦後でいうと五木寛之でしょうね。ノンフィクションでは立花隆君でしょう。
 ▽「思想」を大事にした岩波が「キング」に追いまくられた。ジャーナルは一時、キングとは違ったギラギラさが魅力だったがねぇ。「ギラギラさ」がなくなったら用済みになったんです。
 ▽「金曜日」のとき、本多勝一と和多田進を私が先生に引き合わせた。佐高は久野が編集委員に推薦した。
 ▽個人の間でも集団内部でも批判精神が育たなかった。命令に極めて弱かった。これこそ天皇制支配の「成果」にほかならない。天皇に忠誠を誓うのとまったく同じ仕方でマッカーサーに従う。これを正面から批判すべき側も、モスクワなどの指令のままに動くことになり、上からの指令に弱い体質を露呈してしまった。かくして日本の民主主義は、強い者の言いなりになる「腰抜けの民主主義」になった。
 ▽天皇の名における官僚、軍部、政党支配が、そのままGHQの下請け機関になった。ドイツと比べて日本人はずっと占領軍に従順だった。天皇効果です。
 ▽教師たちは何の懐疑もなしに民主化を唱えた。あれも結局、集団行動だった。綴り方運動のなかにほんの一握り、個人主義者がいた程度だった。
 ▽「我が社」とか「何々新聞社の誰それでございます」とかすぐ言うでしょう。多少見込みのある者でもせいぜい会社内個人主義だ。究極のところ、カイシャに味方しておかんとメシが食えなくなりはしないかという、貧乏に対する恐怖心が常にあるんじゃないですか。
 ▽展望がなかなか開けないのは、個人ではなく集団の力で何事もなし得ると思い込んでいるからですよ。今度こそ、上からではなく下から積み上げる民主主義をどうつくるか考えなければ。

■テリー・ケイ 「白い犬とワルツを」 新潮文庫 20021031

 妻に先立たれた老人の唯一のなぐさみは、妻と息子の墓ですごす時間だ。彼女と出会った日、プロポーズした川、子供が生まれた日を追憶する。
 ある日、同窓会に出かける。多くの友人はすでに亡く、「もうこれが最後の同窓会だね」と言葉を交わし、女友達とわかれる。
  プロポーズした川縁に出かけ、あの日と同じせせらぎの音を聞き、苔のにおいをかぐ。
 その間にも友人たちは1人2人と死ぬ。自らもガンにおかされる。
 自分が育てたペカンの苗木が大木になっているのを確認し、その葉を口にして味わい、そのまま床に伏せる。
 白い犬は先だった妻の化身であるかのように、思い出の場所を訪ね、追憶にひたる老人に付き添う。だが、死を受け入れる準備ができ、1人で暮らしてきた家に、最後の数日を付き添ってもらうため子どもたちを招き入れたとき、白い犬は姿をくらます。
 白い犬(妻)のいる世界へ従容として旅立つ。
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 何年かすごした町を去るとき、その町の風景がやけにいとおしく見えて涙が出てくるときがある。大学を卒業して京都を去るときの鴨川の風景。松山から関西に転勤する日、朝まで友人とすごし、明け方の国道11号線を走るときの水田のみずみずしさ。胸がしめつけられるほど美しく感じた。
 死ぬ間際、本当に最後の別れと知ったとき、もう2度と会えない友人や、木々や、川や、海が、どれだけ胸に迫ってくることか。想像しただけで苦しくなる。だれもが、その寂しさと苦しさを通り過ぎるのだけど、多くの人たちが「死」を日常から遠ざけている。
 終わりがあるからこそ人生は切なくて美しい。終わりを意識してこそ、豊かな人生を送れるということをしみじみと感じさせてくれる。