2004年8−9月

■沖縄タイムス「沖縄が長寿でなくなる日」岩波書店 20040905

   長寿の島、癒しの島と言われる沖縄は、長らく長寿日本一だった。ところが最近、男性の平均寿命は26位になり、女性もトップの座から滑り落ちかねない状態になった。なぜそうなったのか?
 かつてトップだった1人あたりの昆布の消費量は18位(1999年)に急落し、油ぬきをした豚肉が使われていたゴーヤチャンプルは缶詰の肉を使うようになる。食のアメリカ化とともに、伝統的な野菜は使われなくなった。飲酒や喫煙量も全国平均を大きく上回っている。
 男性の自殺率も全国トップクラスに躍り出た。アルコール依存によるウツ、全国最悪の失業率、そして精神疾患への無理解と医療・福祉サービスの欠如がその原因だという。
 一般に流布される「沖縄」がすでに虚像と化しつつあることに警鐘を鳴らしていて興味深い。一方で、新聞社の取材にありがちなバランス感覚、あるいは、政治や制度批判への偏重が、おもしろみを半減させてしまっているようにも思えた。もう少し、民俗的な視点からのアプローチがあると深みが出たのではないか。
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 ▽島から医者がいなくなる。
 ▽30年前までは、マラリアやフィラリアが蔓延する島々だった。
 ▽英米のモデルをもとに公衆衛生看護婦〓が養成された。地区の基礎調査を十分にする。地域の代表と協力しあう。政治的干渉をうけず、住民への強要、干渉はしない…。本土復帰後、厚生省は、保健婦の数が多すぎるなどとして存続に難色を示したが、激しい運動によって、駐在保健婦制度と名称をかえて存続された。だが「身近な保健サービスは市町村の役割」と明確化した地域保健法の施行で97年3月31日に、46年つづいた駐在保健婦制度は廃止された。駐在保健婦制度は、新採用の保健婦を2,3年、離島に赴任させていた。ところが、そういうサイクルがなくなって、離島保健婦の平均在勤年数は1.7年と短くなってしまった。「駐在制の場合は2,3年という期限があり、看護課長らの支援もあって乗り切れた。だが、離島ですべてを抱え、重荷に耐えきれず退職するケースが多い」という。また、駐在保健婦時代は、首長にも意見を言えたのが、今は言えなくなってやりにくくなった面もある。

■斎藤貴男「非国民のすすめ」筑摩書房 20040912

  監視カメラ、防犯パトロール……といったものが最近あちこちで増えてきた。「犯罪抑止」のためだという。松山市の商店街にも「ガーディアンエンジェル」とかいう薄気味悪いパトロール隊ができた。
 戦前の自警団と何がちがうんだ? オーウェルの「1984」みたいな監視社会になっちまうんじゃないか。立ち小便もできないのかよ……。そんな危惧は「少年犯罪とか強盗殺人なんかがあったら責任を取れるのか」「現実に治安が悪いんだから仕方ねえ」といった「現実主義」の前になぜか色あせてしまう。
 立ち小便も落書きもできない社会の薄気味悪さをどう表現したらいいのか、と自問自答するなかでこの本を手に取った。  関東大震災のとき朝鮮人を虐殺した自警団は、権力への民衆の不平不満を排外心にすりかえるために権力側が糸を引いて作らせたという。21世紀、大阪の釜ケ崎周辺の商店街で結成された自警団は棍棒をもって野宿者を追い払っている。
 監視カメラも釜ケ崎がルーツだ。警察の不祥事が原因で起きた「暴動」をきっかけに、なぜか責任者であるはずの警察が監視と抑圧の手段を手にしてしまった。
 市井には「犯罪を監視してるんだから、悪いことをしなかったらええんや」という意見が蔓延している。そんな考え方を生活保守主義と言う。そこに特徴的なのは、自分たちが監視され叩かれる側になり得るとは考えないということだという。
 戦前のような息苦しい社会がひたひたと迫っている。だからこそ「非国民」になろうと呼びかけている。
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 ▽〓生活保守主義 法政大学の杉田敦教授「生活水準を守りたい、というのが一番の関心事となる。そして治安主義と容易に結びつく。自分たちの生活を『かれら』が脅かしているので、それを見つけだし、排除することが何より必要だ、ということだ」。一般に、強力なリーダーシップを求める人々が忘れがちなのは、強引になりすぎたと判明しても、その時はもう遅いということである。彼らは「頼りがいのある」リーダーたちを、尊敬しているというよりも、むしろ、ひそかに軽んじながら、利用しているように見える。
 ▽関東大震災の朝鮮人虐殺。内務省は231人と発表したが、でっちあげに等しい。吉野作造・東京帝大教授は2613人という数字を出している。にわか殺人集団と化すことになる自警団は、町内会有力者らの呼びかけに在郷軍人会や消防組、青年団などが応じて結成された。自然発生的な自衛組織とされるが、実際は「民衆の不平不満を怖れた官憲が、民衆の排外心から復讐心を引きずり出して、不満をすりかえ愛国心に転化して、権力への風圧をそあすために誘導したものにほかならないとされる」
 ▽大東亜共栄圏としての支配をはかり、戦後も広大な市場、安手の労働基地としてのみとらえてきた東南アジアに対する差別は、リベラル派の学者にも認知されていないと、シンガポール出身の卓南生(トウナムセン)龍谷大教授〓は嘆いている。
 ▽町中みんな保安官 〓「生活安全条例」が相次いで制定されている。罰金まで科して路上喫煙を禁じ、ホールへの監視カメラ設置を義務づけた東京都千代田区。…地元商店主らによる自警団「明大前ピースメーカーズ」。愛犬家の「わんわんパトロール」で警察に情報提供。小中学生による八王子の「防犯パトロール少年隊」
 ▽〓早稲田大文学部の大日方純夫教授「戦前、強調されたのが、自警自衛の観念。民衆を警察の側にたぐりよせ、一般的犯罪から思想問題までの秩序の動揺を自警自衛させる狙いだった」近年の防犯総動員体制とかわらない。今の日本はもはや「国民皆警察」社会。相互監視社会であり、その社会からはみでた異端や貧困の排除をも意味する。
 ▽指紋押捺。韓国でも60年代に導入。国民は17歳になると押捺する決まりだ。日本の場合、満州国にルーツがあった。…大阪府が46年に施行した「朝鮮人登録条例」を契機に満州でのやり方はそのまま引き継がれた。(指紋なんてみんなで「不(プー)」の会)
 ▽監視カメラのルーツは、1960年代の釜ケ崎。61年の戦後最大の暴動が契機だった。原因は警察の側にあった。だが、警察は自ら反省せず、徹底した監視と抑圧を進めた。…見る側は支配し、見られる側はその視線の中で生きる。一握りの見る側と、大多数の見られる側に、社会が二分されたとき、両者の力関係は決定的なものになるだろう。〓
 ▽「健康増進法」〓 健康状態の自覚とその増進は国民の責務であるとされ、そのために政府は健康手帳を交付するという。「手帳」はいずれICカード化され、個々人の健康状態はすべて政府に把握・管理されることになるだろう。これも新聞は書かなかった。
 ▽(国会で)所轄署に蓄積された巡回カード〓の内容が天下り警察官を通して企業の採用担当者らに流出している実態を紹介したときは、警察庁出身の委員が怒鳴りだした。
 ▽独立行政法人化〓 広島の反戦運動家が嘆いていた「独法化が浮上して以来、広島大学の教授や助教授が名前を出して協力してくれなくなった。現役の先生が当局にさからう言動を取ると、大学の評価が下げられるとおびえてしまっている」。金沢大の憲法学者「これからの大学は、地域への貢献度が大きな評価基準にされる。行政との関係は、わかりやすい目安になるそうですね」
 ▽「戦争反対」の落書き〓 連日公安刑事の取り調べを受けた。「君は戦争に反対なのか」「最近あったイラク戦争をどう思う」と。家宅捜査に入り、ビラを押収された。それが原因でアパートを追われる羽目になりました。〓「落書き反戦救援会」
 ▽爆弾三勇士は、再現写真によって軍国美談に仕立て上げられていた。「夜間だったはずの突撃の様子が、昼間に写されていた」
 ▽朝日。アメリカ軍によるアフガン空爆についても「限定ならやむを得ない」。9・11後の9月13日の天声人語には「よし、戦おうじゃないか」
 ▽堺市の主婦が現金を交番に届けたら警察官がネコババ。取り繕うため、その主婦を犯人に仕立てようと偽装工作をこらし、主婦を留置場にまでぶちこもうとした。その陣頭指揮をとった元署長の井上は阿倍野署の署長に。…権力が市井の人間をなめきっている現実。怒るべきものに対しては怒ることができるようになったのは、こうした取材経験を重ねた末の、ようやく40歳になるかならぬかの年齢になってからのことだ。  ▽企業ぐるみ選挙。74年の参院選のときは、個人の思想信条の自由を脅かし、民主主義の根幹を揺るがすものだとして、世論は集中砲火をあびせた。それが、いつのまにか「当たり前」になってしまった。「企業ぐるみ選挙を告発する連絡会」〓
 ▽「インフルエンザの流行」報道が、予防接種を復活させ、業界に利益をもたらす。阪神大震災でも、予防どころではない状況の被災地で、予研が「ワクチンが予防に有効」と発表したから予防接種を実施。〓「ワクチントーク全国」
 ▽サメの脳みそとまで言われ、親の七光りで人生をわたってきた、また自分の息子にもそうさせてきた森喜郎なる手合いが、あろうことか教育を語る。他人様の子どもに奉仕活動を義務づけたい、教育勅語を復活させたいと嘯いて、それが通りかねない悪夢。

■斎藤貴男「希望の仕事論」平凡社新書 20040802

  自分の仕事に悩んだ人が、ヒントや救いを求めて読んだら失望するだろう。ノウハウ本や人生指南の本ではないからだ。題名とはちがってむしろ経済書といった方がよい。そう思って読むと、なぜこんな息苦しい世の中になってきたのか、弱肉強食の世の中になってきたのか…といった疑問に答えてくれる。
 ILOが「自営業促進に関する決議」を採択して、国際的には自営業をはぐくむ方向に向いている、なんて、まったく知らなかった。その流れが日本にも向いたらいいのに。
 いろいろ参考になることはあったが、彼のほかの本に比べると、説得力はちょっと弱いかな。
−−−−−−−−−−抜粋−−−−−−−−−−−−
 ▽株主の力が強くなって、株価を上げることが強調されるようになったことを背景に、米国ではリストラをして正社員を減らし、待遇を切り下げ、臨時労働者に代えていくという流れが主流になった。
 ▽成果主義になって、人事考課の時期になると大企業の部長クラスは、悩んでいることをアピールするために会社に泊まり込むことも。…職場の仲間同士が敵同士になり、あれていく。
 ▽保険金殺人を取材したのをきっかけに、生命保険文化センターで生保全般について勉強させてもらった。当時は生保の地位は低かった。やさぐれた感じがとても魅力的だった。
 ▽成果主義にくわしい高橋俊介・慶応大大学院教授〓。人件費抑制のために利用する目的のはき違え。目標管理制度により、安全志向、短期志向に陥り、ビジョンといった抽象的な領域の軽視。そもそも成果主義というならば、経営者の資質が問われなければならない。

辛淑玉「怒りの方法」岩波新書 20040918

  無抵抗は、多くのいじめられっ子の特徴でもあるという。一人でひたすら耐える。学校にも親にも助けを求めない。
 普通のネズミと、いじめられ続けたネズミを水槽に入れると、普通のネズミは最後まであがきつづけるが、いじめられ続けたネズミは一定のところであきらめてしまうという。
 会社社会にいると、いつの間にか怒りを忘れ、怒りを避けようとする癖がついてしまう。小泉や石原が何を言おうと冷笑ですませ、有事法制や盗聴法、国旗国歌法が立て続けに通ると、無力感にさいなまれながら、日々の暮らしに埋没してしまう。
 無力感を自分のものにしてしまうと、あがくことを忘れてしまう。怒りは、自己の無力感への抵抗となる、と著者は説く。そして、どうすれば怒れるのか、どうしたら怒りを相手に伝えられるのかを、具体例をあげて説明している。
 著者は幼少のころから、本という国には差別され、学校では校長から「朝鮮学校の生徒は受け入れません」と面と向かって拒絶され、家では兄や弟に貢がされ、守ってくれるはずの民族団体からも排除されてきた。学校を出たって会社も役所も雇ってくれない。女の子の就職先は水商売が当たり前だった。年金だって加入できなかった。少数民族の女であることは、二重三重の差別を受けることになる。グアテマラの先住民族女性たちと同じ境遇を生きてきた。
  親さえも頼れない四面楚歌のなかで、自分自身をよりどころにして生きてきたから、ぶれないという。自己満足的に「切れる」のではなく、いかに効果的に「怒り」を相手に伝えるかを工夫してきたという。
  「怒る」は言葉で自分の感情を表現することであり、「キレル」は、表現する言葉を失ったときの状態。「怒る」は人間関係をつなぐためにするもので、「キレル」は人間関係を完全に切るためにするもの……と峻別する。
 「怒る」には高度な技術がいる。たとえば、警察官や役所の役人に不条理なことをされたとき、カーッとすると、顔を赤くなったり、ぶるぶる震えたり、動悸がしたり、肩が張ったりする。当然、声がうわずる。そういうときは
「……一拍おいて、深呼吸しよう。その後で『私は怒っている』と口に出すと、かなり落ち着く」
「『私はあなたに話すのはとても怖いんです』『足が震えています』と気持ちを言葉にしましょう」 ……などと辛は言う。
 「言いがかりはやめてもらいたいね」などと反撃されて混乱してしまったときは、「あなたの言葉の意味を考えますので、少し、お時間ください」と言って、落ち着くまで黙ればよい。そして、従前の主張を繰り返す。沈黙の数秒が強烈な意思の表れとなるという。
 当たり前のことのようだけど、僕にとっても有効なアドバイスだ。
 何年か前、労働組合と会社との団交に出席したときのことを思い出した。指名されて発言しようとしたら、カーッと頭に血がのぼって、か細い声しか出なくなって、首筋に冷や汗がダラダラ流れてきた。あのとき、無理して早口に発言せず、ひとこと「緊張して足がふるえてるんですよ」と言えたら、もうちょっと落ち着いて何かを伝えられたことだろう。
−−−−−−−−−−−−抜粋−−−−−−−−−−−−−−
 ▽「100人集まって一緒に抗議をしても、1回で終わりでしょ」10人がそれぞれ勝手に意思表示をすれば、相手は10回対応しなくてはならない。
 ▽仲間はずれが怖くて、強い者に同調していく。だから、怒りをぶつけていい対象が強い者から与えられると、人々はいっせいに動きだし、ヒステリックにその対象を攻撃しはじめる。とくに権力に逆らった者に対しては、権力と一緒になって容赦なく叩く。
 「1945年8月15日に朝鮮半島が解放されたとき、ほとんどは無事に戻ってきています。最も簡単に殺せた時にですよ」解放のとき、建国準備委員会の副委員長は、日本人の生命、財産に危害を加えないよう要請した。そんなことなど、近代史を学んでこなかった日本の学生たちは知るよしもない。
 ▽公立中学の校長は「朝鮮学校からの生徒は受け入れていません」「どうしてもというなら小学校2年生からやり直してください」と、14歳だった私に面と向かって言い放った。学校は、学ぶところでも支えてくれるところでもなかった。
 ▽北からの帰還者の手紙。だまされたと声をあげたところで、日本社会が助けてくれることはない。そんなことを口に出したら、小さな同胞社会からも排除され、民族団体から集中攻撃を受ける結果になることは明らかだった。領事業務が政治団体の手にゆだねられた結果、……多額の寄付をした者から優先的にパスポート取得が認められ、貧しい者は取り残された。在日を守る存在であるべき在日の団体は、決して味方ではなかった。
 ▽6歳のときから、働いた金はすべて家に入れていた。兄や弟には参考書や地球儀を当たられたが、捨てた。(私は)もらえなかった。……儒教社会で女であるということは、序列の最下位に位置するということだった。日本社会からの抑圧に耐えきれない男たちの少なからぬ数のものが、女に手をあげた。……男からの暴力は世界の女性に共通する苦しみだが、マイノリティの女性の場合はさらに壁にぶつかる。助けを求めても、ホスト社会(日本社会)は私を助けてくれないのではないか、という壁だ。
 ▽金大中事件。当時は北も南も拉致合戦をくり返していた。日本政府は主権侵害されたのに「政治決着」で済ませて、金大中を取り戻そうとしなかった(ドイツは韓国と国交断絶するとまで言って拉致された者を取り戻した)。日本の学校の中学生だった私は、韓国や北朝鮮に連れ去られても、日本政府は決して助けてくれないだろうと直感した。
 ▽石原は、「遺伝子」や「DNA」が大好き。相手を貶めるときに、不正確なやり方でこれらの言葉をよく使う。生まれながらに決まっている「遺伝」というものが、彼の差別感覚にぴったりなのだろう。
 ▽多くの男たちは、「泣いちゃダメよ」「じっと堪えて頑張るのよ」「やり返せ」と教え込まれる。やり返すときは「死ぬ気でやり返せ」と教わる。負けることが許されない男たちは、負ける戦いはしない。勝ち馬に乗りたがる。結果として、多くはいじめっ子に加担してしまう。
 ▽小泉が守ったのは、特権階級と大企業。痛みは下に押しつける。改革に失敗して最後に行き着く先が「我慢」なのである。痛みを我慢せよと政治家が訴え、教育に手をつけようとするときほど社会が危ないときはない。戦前の昭和恐慌につっこんだ浜口内閣とそっくりだ。「差別して、叩くやつほど、道を説く」
 ▽阿波根昌鴻「米軍と農民」(岩波新書)〓 怒りの表現力で参考になる。
 ▽そのときの感情を端的に言葉にしてみる…同じ言葉をくり返す。意思のかたさを伝えることができる。自分の怒りの感情を自分で受け入れることができれば、多くの場合、次の言葉も適切に出てきます…相手の言動を具体的に指摘する。…あれもこれも、ではなく、怒るときは具体的に1つのことにしぼる。…それでも怒れない人に  言いづらかったことを思い出して紙に書く。それに順位をつける。
 ▽「やめなさい、やめなさい」と、同じ単語を何度も繰り返していると、ふっと落ち着く瞬間があるから、それをとらえて「大声で叫ばれると、何も言えなくなってしまう」などと自分の感情を伝える。
 ▽権力と連動した「無知」な人々が、隣人が、弱者を排除していくという現実に、いかに抗していくか。多文化共生の情報をいかに生活の中に浸透させるかが、私の勝負の仕方なのだと思った。
 ▽石原「不法入国した外国人・三国人が凶悪な犯罪を……。こういう状況で、大きな災害が起きた時には大きな騒擾事件ですら想定される」 世界の歴史の中で、災害時に外国籍住民が暴動を起こした事例は一件もない。あるのは、日本人が朝鮮人・中国人を殺戮した関東大震災であり、事実は逆なのだ。  ▽〓斎藤貴男「空疎な小皇帝−−石原慎太郎という問題」(岩波書店)
 ▽多文化探検隊 夜の新宿探検 車椅子でラブホテル 外国籍住民の家を訪問
 ▽ボブ・ディランに石川一雄さんの歌を作ってもらうために、兵庫の被差別部落出身の岸本姉弟がアメリカに渡る企画。
 ▽社会への新しい怒りかた。それはイベント化することだ。「見る」「もらう」「参加する」の3つをすべて経験してもらう。ピースウォークは、仲間探しのイベントと認識すべきだと思う。同じ思いをもち、普段会えない人たちとそこでめぐりあう。勇気をもらう合コンなのだ。