2004年11-12月

■小貫雅男・伊藤恵子「森と海を結ぶ菜園家族」人文書院 20041116

  週に2日、従来型の企業や役所につとめて日銭を稼ぎ、5日は家庭菜園を耕したり、趣味に費やしたりするという週休5日制「菜園家族」による地域づくりを提案する。
 企業や役所の仕事を分配することで失業が解決し、週休5日によって大地とともに生きる喜びと、自給自足の安定を得る。
 問題意識の背景には、モンゴルの遊牧民と暮らすなかで見えてきた共産主義の失敗がある。生産手段を共有化することで、みんなが幸せになれるのではないか、という社会主義は失敗したのはなぜ?
 モンゴルの遊牧民は何百年、何千年と家族で羊や山羊の群を飼い、チーズをつくり、肉をとり、皮をなめし……とやってきた。それが、社会主義によってそれぞれの作業が分業化された。より効率を高め、全体の利益を高め、それを公平に分配する、という理想に基づいていた。
 ところが実際は、非効率がまかり通り、大地や動物に対する愛情をなくし、古来からの知恵を失うことになった。
 僕もニカラグアで同じような現象を見た。高度に大規模化したコーヒー農園を革命後に国営農園にした。個人農園は「協同農場」とした。運送業者や仲介業者も国有化した。大農園の人々は「百姓」的な技術や知恵を失ったまま国営農園の「労働者」となった。協同農場化されたところでは、家族経営の「百姓」の知恵が消えて、「労働者」化がますます進んだ。昔ながらの家族経営の農家が消えていった。
 そして10年後。左翼政権は倒れ、コーヒー価格が低落し、農園の経営は成り立たなくなった。多品種少量生産という百姓技術をもたない賃金農園労働者は、大地を耕して生き残るという知恵がない。だから、せっかくの協同農場は解体し、食えない人たちは革命前の所有者である資本家たちに土地を売らざるを得なくなった。一方、昔ながらの家族経営の人たちは貧しいながらも生き残った。「家族」を起点にして、伝統的な生産手段を保持しつづけることで、最低限の生活を維持できたのだ。
 社会主義という大実験の失敗の原因は、「家族経営」の軽視にあるのではないか。そういう問題意識に基づいて論を展開している。
 空想的社会社会主義や協同組合の思想、マルクスやエンゲルの思想を丹念にたどる。
 封建時代までは、「土地」という生産手段と結ぶついていた。それが、産業革命後によって、土地という生産手段から切り離され、自らの肉体と時間を切り売りするしかない賃金労働者が生まれる。
 社会主義理論では、そういう底辺労働者が団結して革命を起こし、生産手段を奪取することでみんなが平等な世の中ができる、という。
 「菜園家族」はそこに疑問を呈して、「家族」の力を再評価する。
 細胞核が家族だとしたら、細胞質が農地などの生産手段だ。ATPは外での労働によって得られる通貨だ。今のサラリーマン家庭は、細胞質をなくして細胞核しかないひからびた状態だという。菜園家族は、細胞質のある家族だという。
 各家族が土地という生産手段をもち、一定の安定した生活が保障されれば、競争から「共生」へとかわっていくのではないか。家族が数十戸集まる集落で助け合い、さらに村レベルで助け合い、さらには山から海への水系によって形作られる郡レベルで物資を融通しあう。さらにその上には県レベルの集まりができる……
 上記のような理論をもとに、著者らは滋賀県の山のなかの集落に住みこんで実践している。
 畑を作る。木を伐採する。木工をする。風呂をわかす。都会に住む我々はそういった基本的な知恵を失ってしまっている。高齢者だけが継承しているそういう知恵を、今、受け継がなければ大変なことになる。さらに、高度成長によって疲弊してしまった山村をどうすれば生き返らせることができるのか。かつて深いつながりを持っていた水系ごとのまとまりを、どうやってよみがえらせ、地域の活性化につなげることができるのか−−。
 息詰まりと閉塞感が充満した今だからこそ、新たな「展望」をうち立てる必要があるのだ。
−−−−−抜粋と覚え書き−−−−−−
 ▽兼業農家がいちはやく「菜園家族」に脱皮。そお隣に、都市からの新参の家族が居を構え、指導を受ける。そのうち、「営農組合」のようなものができる。(〓まさに内子のカラリ)
 ▽ヤギは、体も小さく扱いやすい。粗食に耐え、どんな草でも食べるから除草もしてくれる。搾乳も乳牛に比べると簡単。
 ▽マルクス経済学   17歳のときの文章「人間の天性は、その時代の完成と福祉のために人間が働く場合に、はじめて自己の完成をも達成することができるようになっている。われわれが最も多く人類のために働きうる地位を選んだとしたら、挫折するようなことは決してあるまい。われわれは、決して貧弱な、狭小な、利己的な喜びをたのしみにするものではなく、われわれの幸福は万人に属し、われわれの行為は、永遠に生きることをやめず、われわれの灰は高貴な人間の熱い涙で濡らされるであろう(中略)」
 ▽資本主義の恐慌は、それ以前の貧困とちがい、過剰な生産によって人々が苦しむというものだ。資本主義に特有の人災。
 ▽資本主義による賃金労働者は、もともと保持していた家族小経営の基盤をすでに奪われている。大地から切り離され、浮き草のように不安定な賃金労働者が、たとえ、労働者階級のヘゲモニーによって「民主主義的国家」を樹立したとしても、自己鍛錬と自己形成の具体的な場とプロセスの喪失による否定的側面を、当初から内包していたことになる。
  社会的規模での共同所有を目指した目的は、資本主義の無政府状態にかわって、計画的に社会的生産をおこなうことにあった。一国規模での共同管理・共同運営を目指すためには、巨大な組織、機構が必要になる。けっきょくその組織・機構は生産手段から切り離された膨大な賃金労働者から一握りのエリートを選抜し、彼らによって運営されることになる。こうして巨大な官僚機構が育つ。ピラミッドの底辺では、家族小経営的基盤を失った人間の画一化がますます進行し、上からの指令に従順な土壌をつくることになる。それがソ連や東欧、モンゴルなどが陥った現実だった。
 命の再生産に最低限必要な土地や生産用具から切り離したまま、賃金労働者の大群を底辺置いた状態で、共同所有を先行させることじたいに根本の誤りがあった。  菜園家族は、マルクスが残した課題の発展型か。高度な資本主義と、入会地といった近世の共同体を止揚したものではないか。
 ▽資本主義の「拡大経済」によって家族が危機に瀕しているとき、土地や生産用具などの生産手段を獲得することによって、家族の自立の基盤を再構築し、家族を守ろうとする。生産手段と人間との「再結合」を一歩一歩実践し、人間性を回復していく。
 ▽「菜園家族」は、人間に労働の喜びを取り戻し、人間の変革過程を永遠に維持するために不可欠。家族のもとに生産手段がないということは、家族が力を合わせて労働するということがなくなったことを意味する。「家族」が労働の最小単位として成り立たなくなった。
 ▽CFP 資本主義のC、家族のF、公共のP。菜園家族が発展すれば、CがFにしだいに転化する。こうしてCとFの間の矛盾は解消されていく。FPによる社会へと移行した社会は、市場競争至上主義「拡大経済」と決別し、「自然循環社会」に到達する。「高度に発達した自然社会」。
 ▽森林の衰退。1956年、林野庁による拡大造林政策。杉檜の単一樹種の密植方式に誘導される。間伐が前提の造林方式だった。1960年頃、外材の輸入自由化という矛盾した政策がとられる。国産材は価格が下落し、間伐などの管理ができなくなった。
 ▽森の菜園家族や野の菜園家族は、酪農や養鶏、狩猟、木工、手工芸など、多様な組み合わせのよって多品目少量生産で自給自足度の高い家族複合経営を編み出す。週2日の通勤によって安定した給与があるから、菜園からの収穫は自給程度となる。だから、無意味な競争は流域地域圏内から消えていく。(からり〓)
 ▽ドイツの住宅政策。耐久年数100年の建築基準を定め、100年間の長期無利息で、建築に必要な資金の70%を融資する制度を実施された。
 ▽長い歴史を生き抜いた「集落」のロケーションは、自給自足の生活や持続可能な循環型の暮らしにとっても、最低限必要な自然条件を備える「場」であるだけでなく、未来の暮らしにとっても、最高の優れた場である。
 ▽自分たちの郷土を点検し、調査し、立案し、未来への夢を描く。みんなで楽しみながら実践する。共有地が必要ではないのか、共同の農業機械を購入しよう、尾根づたいに高原牧場を作ろう…。すべて集まって夢を語り合うことから始まる(〓戦後の公民館運動)
 ▽市町村合併。財政効率化の側面に矮小化され住民不在。
 ▽郊外の大型店舗、コンビニなどによって、中心市街地は活力を失い、空洞化がすすんでいる。地方都市の衰退と、農山村の過疎化という衰退の原因は、「拡大経済」そのものにあつ。
 ▽五僧と杉は廃村となり、保月は90歳の老夫婦の1戸だけに(かつては60戸)。
 ▽木地師伝説。始祖を惟喬親王にもとめる。中世の職能集団により発生した伝説。近辺には木地師の集落があったと考えられ、鞍掛峠越えなどの街道は、これらの人々が利用した。大君ケ畑は、街道の中継的な性格をもった集落として栄えた。
 ▽1961年ごろ、御上から杉や檜の植林をすすめられ、山奥に仮小屋をたてて、植林作業に従事した。…高度経済成長が始まり、木材輸入自由化をおしすすめ、杉や檜は台無しに。オジガハタの人は国の政策によってふりまわされた。それから40年、都会の仕事さえもままならない時代に。息子夫婦もゆっくり正月も休めなくなった。
 ▽県立大の4回生ゼミの学生が、2003年に菜園を始めた。…見違えるほど自信にあふれた学生たちの変貌…
 ▽戦後の高度成長。森と湖を結ぶ流域循環はズタズタに分断あれ、山間部では過疎化と高齢化がすすみ、平野部でも農業では暮らせなくなり、農家の90数%が兼業に。その兼業農家も、近郊都市部の衰退によって勤め先すら危うくなっている。平野部の中都市はも、郊外型大型店によって市街地中心部が衰退している。彦根市でも商店街はゴーストタウンのよう。
 ▽「尾根づたいに高原牧場ベルトライン」をつくる。各集落の「森の菜園家族」で飼育されるヤギや乳牛たちは、朝搾乳されると群れをなして高原牧場にのぼっていき、夕方には戻ってくる。ヤギも牛も搾乳されたもとの場所に戻ってくる習性がある。(四国カルストのような、糞による水の汚染も考えないといけないけど)
 ▽(過疎地の)学校で週休5日制が採用された場合、週3日の勤務とし、水曜日を交替の引継日とする。あとの週4日は、「森の菜園家族」として、集落や流域地域圏の活動に参加する。「学校」は児童教育の機能と地域づくりの拠点の機能とを兼ね備えた場に育っていく。学校を集落再生の拠点とする。
 ▽農地の再配分。自治体が「土地バンク」を設立。農地を所有する農家が余った土地を「バンク」に譲る際、そのかわりに週2日の従来型の仕事を、「土地バンク」を通じて保障される仕組みをつくる。
 ▽ひからびた細胞のように疲弊しきった「家族」に、細胞質にあたる「自然と農地と生産用具」を取り戻し、この「菜園家族」を社会の組織体に組み込む。…いのちを慈しむ心を育て、人間性を回復していく。 私たちがめざす「菜園家族のくに」こそが、日本国憲法の3原則の精神を地でいくものである。

斎藤貴男「安心のファシズム」岩波新書 20041125

  世の中全体がどんどん息苦しくなっている。
 「安全のため」とあちこちに監視カメラが設けられ、安心して立ち小便もできない。
 大阪の日雇い労働者の街・釜ケ崎には、もう30年近く前から警察の監視カメラがあちこちに設置されている。学生時代、それは人権侵害であり異常事態だと感じていた。ところが今、商店街のあちこちに監視カメラが設置されている。
 釜は、貧しい労働者の街であり、差別の対象であり、警察による監視の対象だった。今、商店街がその仲間入りした。貧富の差が拡大し、世の中全体が「釜ケ崎」化しているのだ。
 権力からの押しつけばかりではない。「安全のため」「便利だから」と、草の根の人々が自分たちで息苦しい世の中を作っていく。そういう現象を丹念に取材している。
 たとえばイラクの人質バッシングは、政府関係者は当初、「自作自演」説をにおわした。それがインチキだとなると、次に「自己責任」の大合唱になった。こわいのは普通の人々が、政府の連中と一緒になって大騒ぎしたことだ。
 自動改札や携帯電話も危うい。携帯が定期券やプリぺードカードの機能をもてば、改札を通るたびに動きを把握される。改札を抜けたら、その駅の近くの居酒屋などのCMを携帯に送る、という「サービス」も開発されつつあるという。
 そうやって、「便利さ」や「安全」を追求することで自らが自らをしばり、自由を捨てていく。同じような過程をたどって、ナチスが権力を握ったことを、フロムの「自由からの逃走」が描いているのに。
−−−−−−−−−−抜粋・覚え書き−−−−−−−−−−−−−
 ▽イラクの3人の人質事件。首相官邸が「自作自演説」を発信。「自衛隊撤退するよう日本政府に圧力をかけるよう求める、という視点がアラブ世界の人間にあるとは思えない」…などと。
 ▽首相官邸に集った連中は、救出対策を講じるよりも、警察庁や公安調査庁などを動員して、人質や家族の思想・信条の洗い出しを始めた。メディアとのオフレコ会見などで露骨な自作自演説を開陳した。
 ▽「自己責任」 90年代のはじめまでは、金融・証券以外の世界ではあまり使われなかった。93,4年になると、ボートの転覆事故や防災、悪徳商法などに関する記事に目立ち始めた。90年代半ばになると、福祉や教育、健康の領域でも登場した。この延長線上に、「成人病」という名称が96年に、より患者の責任を前面に押し出した「生活習慣病」と言い改められた。以来、医療費の自己負担分が増加した。
 ▽人質が最終的に解放されたのは、市民運動が必死になって、「人質と日本政府とは無関係」というメッセージを犯行グループに届けることができたためだ。
 ▽人質家族たちはどんどん萎縮していった。日を追うごとに低姿勢になり、解放前後にはほとんど頭を下げてばかりいるようになった。非国民の存在をゆるさない「銃後」の空気ではなかったか。銃後の空気をむしろ心地よく感じることのできる土壌が、この国の人々の生活のなかにすでに蓄えられている。
 ▽自動改札機と携帯電話。位置を把握し、駅を出たところで携帯に広告をながす…。
 ▽フロム〓「自由からの逃走」 「ドイツの数百万の人々が、彼らの父祖たちが自由のために戦ったと同じ熱心さで、自由をすててしまったこと、自由を求めるかわりに、自由から逃れる道をさがしたこと、他の数百万は無関心な人々であり、自由を、そのために闘い、そのために死ぬほどの価値あるものとは信じていなかったこと、などを認めざるを得ないようになった」「ナチズムに対して、一部の人は何ら強力な抵抗をせず、賛美者になることもなく、ナチ政権に屈服した。他の一部の人は、狂信的に結びついた。前者は、労働者階級や自由主義的およびカトリック的なブルジュアジーからなっていた。このグループはナチズムに対して1933年にいたるまで敵意を抱いていたが、当然期待すべき抵抗を示さなかった。ナチ政権に対するこのような簡単な服従は、内的な疲労とあきらめの状態によるように思われる」「思想を表現する権利は、われわれが自分の思想をもつことができるばあいにおいてだけ意味がある。外的権威からの自由は、自分の個性を確立できる内的な心理的条件があってはじめて成り立つ」
 ▽「心のノート」「心のアンケート」 君が代日の丸の強制 一連の流れは、教育委員会が教師や生徒の心にまで介入しはじめた証拠である。それでも多数派は、特に積極的に賛成するのではなく、といって自分自身の頭で考えるわけでもなく、ただ大勢のあるがままに漂い、従っているだけの状況。
 ▽校長「担任のあなたが国家斉唱の際に起立しないと、…他の先生も損害を被る。学校全体の信用失墜をあなた1人で回復できるのですか」脅しと泣き落としのコンビネーション。「苦しいのはお前だけじゃない。みんな辛いんだ」。これを繰り返されると、人間の思考は麻痺していく。といって無理に自分の思いを押し殺せば、その人の精神は踏みにじられ、なんでもない日常生活で「思考途絶」に陥る場合がまま、ある。…君が代のピアノ伴奏を強要される音楽教師の症例が目立つという。「私にはどうしてもロボットになることができません」と教頭に話すと「職務だから40秒間はロボットになりなさい」。ほとんどレイプと同じ発想で、教職員の人事が動かされるようになってきた。
 ▽超党派の国会議員連盟「教育基本法改正促進委員会」の設立総会で、「お国のために命を投げ出してもかまわない日本人を生み出す。…これにつきる」「お国のために命を投げ出すことをいとわない機構、つまり国民の軍隊が明確に意識されなければならない。この中で国民教育が復活していく」と西村真吾が語った。
 ▽長崎の女児殺害で安倍晋三「子どもたちに命の大切さを教え、私たちが生まれたこの国、この郷土の素晴らしさを教えていくことが大切だ」と述べて、だからこそ教育基本法改正が必要だと強調した。
 子どもの事件→教師や学校が悪い→行政権力が取り締まれ→取り締まりやすいように法律を変えてしまえ、という単純きわまりない悪循環にはまりこんでいく。
 ▽サラリーマンの源泉徴収と年末調整。どちらもナチス・ドイツの方法論をまねたものだった。49年のシャウプ勧告が年末調整の非民主性を指摘し、廃止を訴えたが、この点だけは徴税当局はゆずらなかった。個人として納税の意味を考えさせてもらえないサラリーマン税制は、自立心を欠き、協調性や長いものに巻かれろ式の服従性に富んだ「会社人間」を大量に生み出してきた。
 ▽Sensitivity Treining 感受性訓練。受講者をあらゆる集団帰属関係から切り離すことによって、文化的孤島を作り出し、集団参加欲求についての激しいフラストレーションをひきおこし、対人的共感性に目覚めさせる」排除したりされたりを繰り返したあげく、周囲と同調することが生き残る最善の方法だと悟らせる、という、いわば「いじめ」をシミュレーションしたノウハウだから、精神に異常をきたすサラリーマンが少なくなかった。  〓「サラリーマン税制に異議あり」(NTT出版)
 ▽監視カメラ 警察用語にならって「防犯カメラ」と呼ばれる。「杉並区防犯カメラ設置及び利用に関する条例」 行政が防犯カメラの設置や運用に課した全国でも初めてのルール。ところが抜け穴だらけ。都や国(警察)の設置するカメラは条例の対象にならない。 「プライバシー・インタナショナル・ジャパン」の主宰石村耕治・白鴎大学教授。
 ▽監視カメラの効果。国際的な研究者のネットワーク「キャンベル共同計画」(Campbell Collavoration)の報告書が近く公表される。アメリカの監視カメラには犯罪抑止効果があらわれず、英国のは駐車場をのぞいて効果がないことなどが明らかにされるという。
 ▽警察の監視カメラに逐一記録・蓄積されたら、天下の往来は、警察の私道と変わらない。…監視カメラと顔認証システムが一体化すれば、やがて住民基本台帳ネットワークやICカード、携帯電話、自動改札機などの多様なハイテク監視システムと結びつく。
 ▽犯罪統計の伸びのウソ 河合幹雄・桐蔭横浜大学教授「2000年と01年の認知件数の爆発的な伸びは、警察がとる統計上のトリックが起きたため。前裁き、といって、記録をとらないものがたくさんあった。逆にきちんとカウントするように方針を変えれば急に伸びる。実際、そうするようにとの警察庁通達が2000年4月に出ている」「侵入盗やひったくりなどは増加傾向だが、殺人事件が増えていないことは冷静にふまえる必要がある。戦後このかた1980年代と比べても圧倒的にいまの方が治安がよい」
 ▽9.11後、「愛国者法」 従来はプライバシー侵害が大きすぎるとして退けられていた条文が、事件後に法案を提出すると、連邦議会は審議らしい審議もせずにあっさり通過させた。
 ▽国防総省は「ライフログ」プログラムを構想している。個人の生活に関するあらゆる情報をdb化する。メール、写真、閲覧ウェブページ、通話、視聴したテレビ番組、読んだ雑誌まで、すべての行動が含まれる。…
 ▽強い者への服従を余儀なくされている自分をせめて自己肯定し、押しつけられた価値観を積極的に内面化しようというプロセス。それさえ、自由と監視社会の問題については見受けられない。携帯をはじめ、なければないでかまわないが、見張る側がより多大な利益を享受することがわかりきっているにもかかわらず。
 ▽「戦争広告代理店」(高木徹、講談社)〓 ユーゴのボスニア紛争。米国世論を味方に引き込みたいとのモスレム人の依頼を受けたPR会社は、シライジッチ外相というキャラクターを得た。CMのコピーのような短い言葉で主張を打ち出す。PR会社は彼を悲劇の主人公に仕立て上げていった。テレビ映りのよい顔に陰影の濃いメーキャップを施し、視聴者がめんどうくさがる歴史的経緯を話させない……。決め手は「民族浄化」(ethnic cleansing)のキャッチコピーだった。セルビア人占領地でムスリムが追放されているときいたPR会社が、ホロコーストに近い悲劇を連想させる言葉をつくりだした。アメリカ社会における、ボスニア紛争の善玉と悪玉はかくて定着し、その勝敗も決した。
 ▽ブッシュと小泉の発言。「フセイン大統領が見つかっていないからフセインが存在しなかったと言えるのか。大量破壊兵器がないと言えるのか」「どこが非戦闘地域で、どこが戦闘地域か、私に聞かれたってわかるわけがない」「(自衛隊員が)殺される可能性がないかと言えばそれは言えない。夜盗、強盗と戦って相手を殺す可能性がないかと言えば、これもないとは言えない」  麻生太郎「(創氏改名は)当時の朝鮮人が望んだことだ」
 ▽「戦争反対」「スペクタクル社会」とスプレーで公衆便所に落書きしたら、懲役1年2月、執行猶予3年の判決。自衛隊の駐屯地の官舎でイラク派兵反対のビラを配布したら住居侵入罪にあたるとされ逮捕され、事務所や自宅が家宅捜索を受けた。社会保険事務所の係長が、赤旗の号外を休日に配布したら、国家公務員法の定める政治的行為の制限に違反したとされ、逮捕されたうえ家宅捜査され、パソコンなどを押収された。休日の政治活動も犯罪とされるなら、公務員には思想信条の自由はまったく認められないことになる。〓
 一方で、自民党郵政族の大票田と言われる特定郵便局長たちが罪に問われる可能性はない。
 2004年4月、中野区立小学校の入学式で、PTA会長が日の丸・君が代の強制に対する疑問を口にしたら、とたんに猛烈な攻撃を受けた。通学している子どもがいじめられると脅され、教頭が別室で待機させていたPTA役員たちから「一緒にやっていけない」「勘弁してください」などといった言葉を浴びた。辞任すると一筆書けと校長に迫られて、PTA会長はそれを書いた。

■リチャード・ウィーラン「キャパ その青春」文春文庫 20041203

  ハンガリー生まれのユダヤ人のキャパの青春時代を描いている。いいかげんで楽天的で、ハッタリが大好きで、女好きで。典型的なラテン系。定職につけず、借金は踏み倒し、家賃は払わず、人に迷惑ばかりかけているのに、愛きょうがあるから許されてしまう。
 第1次大戦と2次大戦の狭間。ハンガリーでは左翼政権がつぶされ、左翼活動にかかわっていたキャパは、ワイマール憲法下のドイツへ逃げる。しかも徒歩で。
 亡命ハンガリー人をたより、左翼勢力とつきあう。が、世界恐慌を背景にして、ナチスが勢力を拡大する。当時のドイツ共産党はナチスが政権をとることで矛盾が増して革命につながる、という甘い読みをしていた。ナチスが台頭するにつれて、ユダヤ人への差別がひどくなる。身の危険を感じてパリへと逃げる。
 一文無しでの暮らしのなかで、毎日新聞の記者や岡本太郎らとも親交を結んだ。社会党と共産党が手を結んで人民戦線政権が誕生した。一方で、ナチスが政権を握ったドイツの脅威がひたひたと迫っていた。
 そんなときに、スペインで内戦が勃発して取材に出かけ、「崩れ落ちる兵士」を撮影することになる。ただ、この写真も「やらせ」疑惑があるという。
 スペイン内戦の描き方も、オーウェルとは微妙にちがう。オーウェルはアナキストたちの動きを評価し、ソ連からの武器を独占して人民戦線を牛耳るスターリニストを批判した。この本の筆者は、どちらとも距離を置き、人民戦線側の急進的な革命路線によって、処刑された人々についても描写している。ちなみにキャパは、オーウェルと同じようにアナキスト系にシンパシーを抱いていたという。
 破天荒なキャパの生き方を通して、重苦しい時代を描いているのがおもしろい。
−−−−−−−−−−−抜粋・要約−−−−−−−−−−−−
 ▽1931年、スペイン人民は選挙で共和政府を選んだ。革命派は、徹底的な変革を声高に要求しはじめた。無政府主義的労働組合(アナルコ・サンディカリスト)の全国労働連合(CNT)
 ▽ナチスが国会の選挙で大量の票を得るようになる数年も前から、すでにドイツの大学はナチスの温床になっていた。1931年にはドイツの大学生の半分はナチス党員だった。
 ▽31年から32年にかけての冬、大統領選が近づくと、街頭では争いが絶えなかった。…社会民主党の支援で、保守的なヒンデンブルク大統領が当選し、SSを非合法化した。ところが、ヒンデンブルクは2カ月後には、ナチスの軍隊調の組織に対する禁止令を撤回した。32年には、ナチス党員と社会民主党員、共産党員のあいだで血みどろの街頭闘争が繰り広げられた。
 33年1月、ヒンデンブルク大統領はヒトラーを首相に指名。2月27日、国会議事堂が放火され、ヒトラーは共産党を非合法化し、独裁的権力を可能にする非常事態宣言を発令した。その日、数千人の左翼がドイツからの脱出を図った。
 ▽トロツキーの写真。魅力的な雄弁家の姿。
 ▽パリ。学生街では、制服姿のファシスト団体員が横行していた。31年に大恐慌に襲われて以来、フランス人は危機から救い出せる指導者を性急に求めるあまり、次から次へと政府を交替っせていた。混乱をきわめ、多くのフランス人は、民主主義的な方策への信頼感を簡単に手放し、有能で徳のある独裁者を待望しはじめた。(石原知事、小泉首相と同じ〓)
 ▽(キャパというペンネーム)アメリカの成功した写真家「ロバート・キャパ」という人物をつくりだし、アンドレ(キャパ)はキャパの暗室係のふりをし、ゲルダ(恋人)がキャパの作品だ、といって写真を売り込んで歩く。…彼の後半生を通じて、自己とその分身、つまりアンドレとキャパは共存していた。アンドレはロバート・キャパに「なる」ため懸命に努力した。
 ▽スペインの人民戦線政府は、穏健な方向に舵を取ろうとしたが、極左の政党は、革命を指向してやまなかった。暗殺、暴動、反カトリックの蛮行が激増した。その混乱が、フランスの保守派を大きな不安に陥れ、フランスの人民戦線の勝利は危ういものになっていた。
 ▽人民戦線政権が誕生。社会党のブルムが首相に。
 ▽スペイン内戦。バルセロナ。プロレタリア革命となり、工場や商店、レストランは使用人に接収され、新秩序に協力しないものは投獄・射殺された。数千人の労働者が平服で民兵に加わった。アナルコサンディカリストや、POUMは、恒常的に軍隊が組織することには反対していた。バルセロナの第3番目の勢力はカタロニア統一社会党(PSUC)だった。これは、スターリニストによって主導されていた。ソ連製の武器をコントロールしていたため、CNTやPOUMを抑えつけることができた。

■ダグラス・ラミス「経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか」平凡社 20041128

   今の日本を世界を氷山に向かうタイタニックにたとえる。氷山に向かっているのに、コックは料理をつくり、バンドは音楽を奏で、バーテンはカクテルを作る。それぞれのルーティンをやりつづける人が「現実主義者」とされる。
 経済成長が常識とされ、不景気になった成長が鈍ると「もっと成長させろ!」とアクセルを踏むことばかり考える。「止まろうよ」とか「後退しようよ」という意見は「非常識」とされる。
 タイタニックとの違いは、氷山に向かっているということを多くの人が気づいていることだ。このまま経済成長路線をひた走れば、地球環境は破壊される。そのことを大半の人が知っているのに、「成長」に向かってひた走る。
 軍事面でもそうだ。歴史を俯瞰すれば、軍隊は他国の人間よりも自国の人間を殺す数のほうが多い。武力を持つことが、自国民を抑圧し、侵略戦争にかりたててきた。軍という上への絶対服従の組織は、民主主義とも本来は相容れない。
 なのに、軍備をなくそうという9条は「理想主義」「非現実的」とされる。「非現実的な9条を変えろ」という意見が力をもつ。9条があるから、今の日本の発展があり、人を殺す、ことにアレルギーをもつ文化ができた。そういうプラス面を見ず、「北朝鮮から攻撃されたときどうするんだ」「憲法を現実に合わせるべきだ」という意見がまかりとおってしまう。
 「常識」の名のもとに進む破滅への道。でもそれは本当に「常識」だったのか?
 自然環境を守り、人間の命を守るのには、現在「非常識」「理想主義」と言われている施策こそが大事じゃないのか。
 そういう道を選ばなければ世界は破滅に向かうだけだ。それこそが真の意味での現実主義じゃないのか、と説く。タイタニックを止める勇気を、発揮しなければならないと。
−−−−−−−−−−−抜粋・要約−−−−−−−−−−−
 ▽アメリカの安いトウモロコシがメキシコのトウモロコシ産業を破壊した。貿易自由化ではなく投資の自由化によって、世界一安い賃金を探す大企業による競争が、結果として先進工業国の実質賃金も下げている。投資の自由化は「搾取の自由化」だ。
 ▽89年から98年に起きた108件の紛争のうち92件が内戦。国家と自国民の戦争だ。
 ▽ホッブス「リヴァイアサン」 正当な暴力を独占する国家を作れば、社会は安全になるという仮説。この実験の結果は出ている。正当な暴力をもつ国家があまねく世界を覆った20世紀ほど、暴力によって殺された人間の数が多かった100年間はない。もっとも多く人を殺しているのは、個人でもマフィアでもなく国家だ。〓ハワイ大学のランメルによれば、国家に殺された人間は100年間で2億人。そのうち1億3000万人は自国民。事実、世界には自国民しか殺さない軍隊をもっている国は多い。フィリピン。「東チモールはインドネシア人だ」と主張して殺したインドネシアも。
 ▽コスタリカが非武装になった理由。軍部をつくればクーデタを起こし、独裁政権を作る。だから軍部を作らない決心をした。作ったら国民をいじめるに決まっている。政府の国民に対する暴力を制限するために平和憲法を作った〓。
 ▽憲法ができて半世紀で、日本国政府の交戦権のもとで1人の人間も殺されたことがない。戦後の日本社会のなかで、人を殺さない、ということが当たり前になった。人を殺さなければならないかもしれない、と思っている人間は、ほとんどいない。日本の「平和常識」だ〓。
 アメリカの男の文化のなかで、人を殺すかもしれない、というのは当たり前の「常識」だ。「戦争常識」。朝鮮戦争経験のある同級生は、机の上に頭蓋骨を蝋燭立てにして飾っている人がいた。
 ▽アメリカでは毎年何十万人が殺人訓練を受けている。普通、人は人を殺せない。人間の体を狙って撃てない人が多い。軍隊ではその抵抗をなくす訓練をする。
 殺人犯人のうち、ベトナム帰還兵がとても多い。オクラホマシティーのテロの犯人は、湾岸戦争での爆薬専門家だった。習ったことを実践した。
 日本では殺人事件は統計的に少ない。そこにも日本の「平和常識」が働いている。9条にはそういう働きがあった。現実的な効果があった〓。
 ▽「後方支援」は明らかに戦争だ。公海上は国際法の領域だ。国際法では、武装化された貨物船があって、それが軍需物資を運んでいるならば、敵国はそれを攻撃して沈没させる権利がある。ニュルンベルク裁判で明らかにされた。
 ▽憲法は政府に対する国民の命令だ。政府がやっていいことと、やってはいけないことを細かく書いてある。第30条の納税義務をのぞいて、1条から40条まで政府の権力を減らしたり制限したりする条項ばかりになっている。そのなかに、「国民は交戦権を政府に持たせない」という9条もある。〓
 ▽トルーマンが1949年の就任演説で「アメリカには新しい政策がある」と言って、未開発の国々に対して援助をおこなって投資して発展させる、という政策を提示した。トルーマンが「未開発の国々」という用語は、それ以前には使われていなかった。「(他国の)国全体を発展させる」という言葉の使い方はなかった。それ以来、経済発展は、アメリカや国連の政策として続けられた。地球上のすべての文化、社会、経済、自然、あらゆることを変える政策だった。西洋の経済制度に入ってない世界のすべてを「未開発」と呼ぶ。 実際やってることは、植民地時代とそれほど変わらないにもかかわらず、外から資本が入り、自然を壊し、伝統的な文化を壊し搾取することを「発展」と呼べば、当たり前のように思われる。
 1933年の百科事典には、「未開発」とか「近代化」という言葉は存在しない。それらに該当するのは、backward country。backwardは、知恵遅れの子かアジアアフリカラテンアメリカの貧乏な国、という2つの使い方しかない。「税金制度もなく、労働倫理もなく、根本的に作り直さなければ西洋人にとって利益にならない国」という定義だ。だが68年の事典ではこの言葉は消えた。
 ▽68年の事典には、「強制労働」の項目がなくなっている。索引を調べると、強制労働には、中世の強制労働、ナチの強制労働、ソ連の強制労働の3つをあげている。つまり、ヨーロッパ人が植民地で強制労働を使ったという事実が、事典からなくなっている。
 ▽トルーマンの演説後、新しい学問分野「経済発展学」ができた。大学の掲示板には、こうした学問を奨励する奨学金の掲示であふれていた。
 ▽経済発展が、「スラムの世界」を「高層ビルの世界」へと変化させる、というのはごまかし。昔あったさまざまな社会が経済発展によって「高層ビルとスラムの世界」になってきたのが20世紀の歴史的事実だ。
 ▽100年前のカリフォルニアは、車なしの生活が可能だった。1920年代までロスは世界でも有数の通勤電車のある街だった。それを自動車会社が買収し、減便し、赤字にして廃止した。同様に、アメリカ中の鉄道や路面電車の会社を買収して車文化を作った。
 ▽マルクスの思想では、生産手段と諸関係という下部構造がベースとされた。ところがマルクスの言う下部構造は、タイタニックの一番下の部屋にすぎなかったことがわかった。それよりも深い自然環境という下部構造がある。  マルクスは、資本主義が作ってきた機械文明を評価していた。機械をだれが持つかか問題であって、機会文明そのものに問題があるとは思わなかった。
 ▽「対抗発展」の目的の一つは「人材」から「人間」に戻ること。値段がついてない楽しみ、買い物と関係ない楽しみを再発見すること。CDを買うより自分で歌ったほうが楽しい・・・という感覚。本当の仕事の楽しさ、仕事自体の楽しさの再発見も目的の一つ。(菜園家族の発想)
 ▽フランクリンは「時は金なり」と言った。経済発展の論理は「時間は金」だが、対抗発展の論理は「金は時間」。豊かさは余暇にかえることができる。
 ▽代表制は民主主義か 選挙をすれば有名な人、金のある人、目立つ人が選ばれる。だから代表制は民主主義ではないとアリストテレスは言った。民主的に代表を選ぶとしたら、くじで選ぶべきだ。古代ギリシャではそうしていた。市民全員が代表になるかもしれないという心の準備を持たないといけない。どの市民を選んでも代表ができる、という前提がある。
 アメリカは独立時の憲法は「連合規約」と呼ばれ、13の主権国家間の国際機関を設置する国際条約のようなものだった。現在の合衆国憲法草案は、この連合規約制度に対する反動の結果だった。13の連合国から主権を奪い、強力な中央政府を設立するという憲法草案を「民主主義」と呼ぶ人はだれもいなかった。「民主主義ではなく共和制」と説明された。選挙ではエリートしか選ばれないなど、過半数の民衆が権力を握れないように配慮してあるので、安心してください、と説明された。民主主義者たちは、「反連邦主義運動」を起こしたが、エリート勢力に敗れた。反対派は「この憲法によってできる国が大きすぎる。権力が遠すぎる」「平時に軍隊を持つというのは、民主主義に対する脅しだ」などと批判した。合衆国では、民主主義はその後数十年にわたって反対派のイデオロギーだった。1830年代から、民主主義の定義がかわり、合衆国全体を「民主国家」と呼び始めた。
 ▽日本の戦後は、平和と民主主義がほぼイコールだが、欧米では違う。民主主義国と言いながら、全体主義的な領域である軍隊組織などをもつ。戒厳令というのは、軍隊組織の論理、支配の仕方を社会全体に当てはめることだ。反民主的な組織をそれぞれの国が抱えている。
 ▽産業革命 手織り機は労働者の家にあり、自分のペースで働けた。織物技術を持っていて、簡単に首にすることのできない存在だった。ところが力織機は資本家の私有財産であり工場に置いてある。仕事を続けようとすれば、資本家の管理下で決められたペースで働くことになる。だから、機械を壊す運動が起きた。  ヨーロッパでは長い間、賃金労働は屈辱だった。ただ金をもらうための労働というのは、侮辱的であるという価値観が続いてきた。「賃金奴隷」という言葉は20世紀前半まで残っていた。だが今はほとんどなくなった。
 ▽コロンブスがイスパニオラ島に着いたとき、エデンの楽園に来たような印象を受けた。タイノ族は、裸に近い状態で、いろいろな種類の作物を一緒に植えて農業を営む。管理や手入れがほとんど必要ない(〓福岡さんの自然農法)。だから畑では1週間で数時間しか働かない。歌ったり踊ったりする時間が長く、髪飾りやイヤリングなどを手作りする。性行為の時間もとても多かった〓。コロンブスらは彼らを労働者にしたかったが、お金のための長時間労働をするわけがない。・・・タイノ族はあまり武器をもっていないから、すぐに奴隷制ができた。だが奴隷に向いていなくてどんどん死んでいく。子どもを奴隷にしたくないから子どもを作らない。100年間で全滅した。その後、アフリカから奴隷が連れてこられた。
 ▽多くの職場には、あまり言論の自由がない。言論の自由がすごい力で押さえつけられているという現状は、逆に、「職場内言論の自由」がどれほど怖いものであるか、という証明だ。・・・いやになったら当然会社を辞めるという覚悟で働けば、会社に対する抵抗力も強くなる。  ▽国家の暴力(戦争)や環境問題など、21世紀は政治活動への参加が当たり前にならなければ解決できない問題がたくさんある。参加することが当たり前になる市民社会を形成しなければならない。
 ▽20世紀後半は、「正当な暴力」を独占する国家を作って、安全と秩序を守ってもらう。その国家を単位として競争しながら、産業革命から始まった経済システムを世界の隅々まで広げる。この過程は45年までは「帝国主義」と呼ばれ、46年あたりから「経済発展」と呼ばれ、現在では「グローバライゼーション」と呼ばれている。