若いころ見た漂着したヤシの実をあたためつづけ、晩年になって発表した壮大な推論である。
各地に残る竜宮伝説が「東方の海」に理想郷を見いだしているところから、説き起こす。かつての宝物であった宝貝を求めて、中国から宮古島へ、それから徐々に列島を北上したという仮説を提示する。
偶然に漂着しただけでは、女性を連れてきて、そのまま定住するとは考えられない。いったん男が渡り、もう一度故郷にもどり、妻子を連れてさらに渡る、という経緯があったはずだという。としたら、渡航するための動機づけがいる。それが宝貝だった、というのだ。年に一度、「竜宮から神が…」という話は、年に一度、風向きや海流が渡海にちょうどよくなることを示していたのかもしれない。
米の伝来についても「稲の種だけが渡ってきても、栽培方法や食べ方さえもわからない」と言い、だとしたら、米と一緒に人が渡ってきた、ということになる、と考える。
ただ、柳田がこの文章を書いた当時よりも、日本の米作ははるかに古くから始まったいたことがわかってきている。米の発祥地は中国雲南という説が有力だが、縄文時代にどうやってどんなルートで米作と日本人が渡ってきたと考えればいいのだろうか。いまこの時点で彼に聞いてみたい気がする。
今になってみれば読みにくい文章ではあるが、徹底した実証主義には敬服するしかない。
西表の古見の炭坑跡地も見てみたいと思った。
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