鉄道員(ぽっぽや)

990728

 真っ白な雪に覆われる架空の過疎の村・幌舞は、かつて炭坑でにぎわったという設定だ。風景が懐かしい。夕張のうらぶれた炭住街の雰囲気に似ている。
 雪がすべての音までも覆ってしまい、聞こえるのはザクザクというスコップの音だけ。 氷点下のホームに、黒い外套の制服制帽姿の乙松(高倉健)駅長が背筋を伸ばして立つ。手には赤い小旗と笛。背後には雪山がそびえる。 健さんは雪と制服がよく似合う。
 蒸気機関車の石炭をくべる見習い機関士から始まり、運転士になり、駅員が1人しかいない幌舞駅勤務にいたる「ぽっぽや」人生は、自分にも家族にも厳しい。
  生まれたばかりの娘を亡くしたときも、妻を亡くしたときも、仕事で死に目にあえなかった。そんな自分にむち打つように、ひたすらストイックに背筋をしゃんとして「ぽっぽや」を続ける。
 頑固一徹。生き方を変えることなどできはしない。ローカル線の廃止が決まり、乙松の生きていく場はなくなることになった。でも、乙松の融通の効かない生き方は、周囲の人に大きな何か与えている。
 見習い機関士時代からの親友センちゃん(小林稔侍)は、新しい就職口を乙松に承諾させようと「俺と一緒に生きていこう」と泣き、その息子でJRのエリート社員ヒデオ(吉岡秀隆)は、「おじさんが毎日見送ってくれる姿があったから僕は頑張ってこれたんです」と涙する。妻子を亡くした寂しさをかみしめて、それでも毅然と生きる姿が、周囲に勇気と涙を与える。
 亡くした娘雪子の亡霊(広末涼子)と出会い、妻の死に際してさえ涙を抑えようとした乙松が肩をふるわせて泣く。 「俺は幸せものだ。好き勝手やってきて、妻も娘も死なせて、それでもみんながあったかくしてくれる。もういつ死んでも悔いはねえ」
 最後、センちゃんは乙松の棺をオレンジ色のキハ12気動車に運び入れ、乙松の制帽をかぶり、2人で運転する。隣で後輩が泣いて「北斗星も新幹線もいいけれど、キハの音にはかなわねえ。涙がさそわれる」。それを聞いて、「涙がでるなんてまだまだだ」とセンちゃんは答え、口元にはわずかな笑みさえ浮かべて運転台に立つ。


 こういう「職人」が生きた時代は終わってしまったのだろうか。寂しくも尊い年輪の輝きを放つ人はいなくなってしまうのだろうか。
 老いて一線から退き、病を得て、身内を亡くし…。そうした寂しさは老いればだれもが噛みしめることになる。でも、この寂しさを自分と周囲が受け入れて共に涙するなかにこそ、人生の重みが生まれるはずだ。でなかったら、老いることは悲しくむなしいだけになってしまう。そんなことを伝えたかったのかなと感じた。
 だからこそ、動けなくなった人を病院や施設に放り込むのではなく、死ぬまで身近で住み続けられる社会にしていかなければならないのだ。死の重みがわからなかれば、生の儚さもわからないのだから。


レイの人物評

 健さんは、仁侠者のイメージがあって好きじゃなかった。だけど、はじめて主演映画見て、 どこ切り取っても絵になるし、 冒頭の何気ないひとことから惹きつけられる。 話の筋こそ臭いけど、それを感じさせない。 広末に鍋を作ってもらったとき、「自分が好き勝手やってるのに、まわりの人がよくしてくれて幸せだ」といっているときの健さんの表情がよかった。芝居じゃないみたい。
  小林稔侍のおっちょこちょいな友人ぶりもぴったり。 若い見習いのときのこととか、そういう人が、トマムの重役になることとか、うまい。
  吉岡くんは、俳優というより「ご協力 富良野町のみなさま」の1人みたいで、もはや北海道の住民や。もう吉岡君はイメージ壊さないためにも北の国に住むべきと思う。
  板東(英二)の牛乳配達。声が甲高いのはやっぱり関西人で北の国にはむかない。
  志村(けん)の怪演。うまかった。間を取るのが最高。芸風をここでも出してしまって、しかもぶちこわさない。酔っぱらってベロベロになって「バケツと酒くれぇ」ってとこなんか志村ならではや。
  大竹忍はやっぱりうまいね。さすが元祖魔性の女。あの目ですがりつかれたら、フラフラとついていってしまいそ。
  広末だけ妙に都会っぽい顔で、ちょっと浮いてたかな。どうしても、モデルと同棲して早稲田に行ってないイメージで、北海道の女学生というより遊んでる早稲田の学生というイメージの方が強い。
  スーちゃんは、マダムっぽい雰囲気で、北海道の田舎のおばさんにしてはリッチ感がただよっている。
  お人形屋さんの中原理恵がぴったりだった。北海道が似合う人だね。すすき野かなんかのバーのママって感じじゃない?