うしろすがたのしぐれてゆくか
好きな句のひとつである。孤独にどっぷりひたりながら、死に向かって一歩一歩近づいていく。
でもこれは、山頭火だけではなくだれもが同じだ。日頃の忙しさのなかで、死や孤独を感じるひまさえなく、たとえ考えても意識的にか無意識的にか頭から振り払ってしまう。人生の終わりが50年後と決まっていれば、おそらくもっと死を見つめ、生を見つめるのだろうが、なまじ期限が決まっていないだけに、有限であることを実感できないのだ。
どなたかかけてくださったむしろあたたかし
家族を捨て、家を捨て、収入も捨て、彼に残るのは自分の命と句作だけ。孤独を深くかみしめるからこそ、道ばたの花や、人々の小さな親切に、心を動かされ、ありがたいと思う。
これでいいのか、こんな生き方でいいのか…、山頭火の生き様は懺悔と悔いの連続である。句作と歩くことしかないから、そんな青臭い問いをいつも繰り返している。
「死と孤独と悔い」を徹底的に見つめ、悩んだからこそ、一瞬の点景に永遠を見るような句が生まれてきたのだろう。僕ら凡人がたまに感じてしまう根元的な不安や悩みを、一身に背負って見つめ続けた弱い人なのだ。だからこそ心を打つ。
そんな生き方を貫いた結果、彼は死をとりたてて悲しまず、従容として受け入れる。悩み続けた人生に対する一番のご褒美だろう。
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