2005年2月

■香山リカ「若者の法則」岩波新書 20050214

  敬語を使わない。入試にまで親が見送りをする。オリンピックでも日常生活でも「楽しみたい」とばかり口にする。やけに大げさに自分の体験を語ろうとする。身近な人にはやさしいのに、(少年犯罪の被疑者ら)「外」に対してはやけに厳しい。何かと大泣きするくせに、失恋でも立ち直りが早くあっさりしている。「有名になりたい」と臆面もなく言う……。
 「今の若者はぁ」と大人はいつの時代でも語るが、「いつの時代でも」と言うだけでなく、実際に大きな変化があるのではないか。まるで別の生き物のような「若者の生態」を大人向けに説明している。

 ▽入試を受ける子を送迎する親。親との距離があまりに地続きのまま育つと、大人になってからも自分を親から独立した存在として自覚できなくなってしまうこともある。
 ▽楽しみたい、とよく口にするのは、「自分のまわりに漂う慢性的な退屈、空虚感を取り払いたい、ということ。だから、単純でおもしろおかしいカリキュラムを提供するだけの大学は、若者の心を読み違えている。
 ▽どんな理由でもすぐ泣く。自分は、泣けるような特別なできごとを経験しながら生きている、逆に言えば、そうでもしなければ自分の日常はあっという間に退屈なものとなるのかもしれない。今の若者は、自分喪失の危機から脱出するために「泣きの反応」を身につけた。「泣かなければ自分が何者かもわからなくなってしまう」という危機感が、世の中全体に広がっているのだろうか。
 ▽うそ 「昨日すごい事件に巻き込まれちゃって」などと、できるだけ強烈な状況から話を始める。ウソを交えて語ってしまう若者には、「物語の中の方が自分の率直な気持ちを語りやすい」という切実な理由があるのでは。
 ▽多くの学生が薬指にリングをしている。恋愛の重要性が高まり、若者にとって「あ、今日は彼女と約束があるんで」というのは、「妻と子が誕生日の準備をして待ってるんで」というのと同じくらい大きな事なのだ。
 ▽やさしさ 今の若者はいったん知り合いになると、彼らは驚くほどの優しさを示してくれる。その彼らに、少年犯罪のレポートを書いてもらうと「厳罰を与えるべき」といった意見がほとんどを占める。彼はやさしいのか冷たいのかととまどってしまう。ごく身近にいる人間以外の気持ちなど、彼らには想像外のものなので、やさしくしようにもどうしていいのかわからないのかもしれない。
 ▽失恋して悲しんでも、そのうちに「いないことに慣れた」と。若者が「悲しい」と感じるのは、「これまであったものや人、習慣が失われること」。自分の側だけの感情であって、相手のために泣いているのではない。上司の送別会で大泣きしたのを見て、「また会おう」と誘ったら断られた、という話も。一度失われてしまったものに対しては意外なほどクールで、そこに戻りたい、とは考えていない。
 ▽「有名になりたい」 ウェブ日記。多くの人に読まれることで「たくさんの人に関心を持ってもらっている」と安心を得ているのではないか。彼らにとって「有名になる」とは、「だれかに常に関心をもってもらうこと」。だから有名になっても、今度は、大勢の不特定多数ではなく特定の恋人や友人にだけ自分を見てもらいたいと思い始める。「有名」をめざし始めると、そのゴールはあちこち移動し、なかなか旅は終わらない。
 ▽健全な大人とは、「今の自分は何をすべきか」を知ってる人たち、ややゆがんだ大人とは「もう何もできない」と知ってしまっている人たち、大人とは言えない人たちとは「何ができるかわからない、だれか教えてほしい」と他人に依存している人たち、と定義できるかも。

■高群逸枝「娘巡礼記」岩波文庫 20050210

  苔の生えたような説教くさい紀行文を想像していたが、読み始めると、引き込まれた。
 異性関係での悩みを抱えた熊本に住む24歳の女教師が、ある日、四国巡礼を思い立ち、親元を離れ半年に及ぶ遍路に旅立つ。白衣を着て歩くと、好奇の目にさらされ、仏の生まれ変わりと崇められ、「遍路は泊められない」と旅館から追い払われ……。他人の目がつらくて逃げたり、野宿を楽しんだり、宿のシラミを恐れたり。幾度となくも泣きながら、遍路道をたどる。
 風景や交通事情は今とはまったく違う。彼女はトンネルを見て「トンネルだ!」と無邪気に喜ぶが、今の歩き遍路にとっては排ガスが充満する国道のトンネルは最大の難所だ。小径をたどってたどりついた札所も、今は車道が通っている。
 80数年前に彼女がたどった道を、私も歩いている。風景と文化の違いに驚きながら、旅する人の気持ちはそうは変わらないことに驚かされる。
 たとえば筆者は、遍路の墓を見て「私自身も、巡礼の姿のまま、はかなくならぬとは限られない。真の孤独に耐えうる人にしてはじめてそこに祝福された自由がある」とつづる。路傍の無縁仏を見たときに、私もまた自由と孤独とを考えた。
 また筆者は、「死」を考えて「病的な戦慄を感じてどうしても眠れない。みんな死んでいった。色んな物を書き残した少年も青年も佳人も。時逝いて人在らず」と記した。死を実感し恐れるからこそ「今」を大事にしたい、と私も思う。
 「死」を意識し、みずみずしい感性で四国を歩いた筆者自身もまた今はもういない。
 彼女はまた、大きな悲しみ、大きな喜びがあるほど人生は豊かになる、ということも書いていた。「喜びでも悲しみでも、一晩泣き明かした経験がない人は薄っぺらだ」という言葉を大学時代に知り合った弁護士に聞かされたことがある。無難な人生よりも振幅の大きい人生を送りたい。24歳の彼女もそう考えていたんだなあと思うと、時代を超えて親近感を感じた。  

 
 ▽1つの蚊帳に10人ばかしも一緒に寝るのだと聞いて吃驚した。
 ▽(旅の巡礼、というと、親切に泊めてくれる)手あつい待遇に、もうどうしていいかただ堅くなって坐っていた。…何か話しかけやしないかとハラハラしながら身をすくめてやっと……。
 ▽願解のためか悪病のためか失敗のためかこの3つの1つに該当しなけりゃ人々は承知せぬ。長らく1カ所に滞在することとなると、私の挙動や意見などを無性に有り難がって私を「仏の再生」に祭り上げる。
 ▽頭に桶みたいな物を載せた珍しい若い女の一行。あれはサアですという。魚を売りにという。「あれはね、〓平家の落人の子孫ですよ。サア早く逃げなきゃ大変だというので炊きたてのご飯はお握りをこさえる暇もなくそのまま袋にぶちこんで落ちたんじゃと。だから腰の袋、あれにはすくい込んだままのご飯が入ってるんだ」
 ▽村を振り返るだに忍びない。泣いて送って下さるのだもの。時よ一瞬に飛びされ。むしろ一思いに彼のなづかしい山々を慕わしい人々を隠し去ってしまえかし。
 ▽私どもの行為なり思想なりは、すべて自己に出発する。無神論主観的客観に違いないが、要するに、自己は宇宙の一部であると同時にまた全部でもあり得るのだ。
 ▽八幡浜の大黒山吉蔵寺 37番は岩本寺だが、古来の本尊や御納経の版は吉蔵寺に伝わっている。大黒屋吉蔵という有名な素封家が、見る影もなく衰微している岩本寺から、3500円で本尊と納経の版を買い取って、建立したのがこの寺である。〓
 ▽観自在寺へは柏坂の難所を通る。畑地村という部落の奥から急坂にかかる。清い小川のわきで泊まる。蚊がうるさく群がってどうしても寝付けない。  ▽好奇の目。可愛いいだの綺麗だのといっちゃ私の事をお爺さんに聞きただしている
 ▽延光寺へ向かう道は、山道を6町ほど登って下る。ずいぶん今とはちがう。車道なんてなかった。
 ▽遍路の者は日7軒以上修行(物乞い)しなければ…しかし法律上は禁ぜられてある。…遍路には様々な人があるものだ。でも総括すると、灰色の敗残者だと見なしてよいかと思う。先ず40から上の年輩の人たちだ。
 ▽市野瀬、大岐、足摺山、大岐、市野瀬という経路。足摺へは、小さな山径、谷川、薮の中、峰の道なぞずいぶん酷い。……大岐あたりの風光はまるで画のようだ。
 ▽四万十川の渡し。…伊豆田越えの難を抜け四万十川の渡船場に至る。入野とよぶ小宿駅を過ぎるや遠雷のごとき音響を耳にする。一散に海岸に出ると…。
 ▽佐賀という小さな町をすぎ熊井のトンネルを通過した。トンネルが見える! と知った時私は子どものように喜んだ
 ▽若い時私の家にいたという老婆。「お婆さん」というと「勿体ない。婆とといって下さりまっせ。ごふびんや。お供したいは山々であるが婆はつれが御座いまして、それに順に詣でて居りますので」涙はハラハラと頬を伝ってごぼれ落ちる。  ▽浦戸湾口種崎の渡船。ゆくこと二十何町、松原に入る。右手は砂丘を越して静かなる夕暮れの海を見る。(今はハウスが林立する)
 ▽(高知は)四国第一の都会だそうな。大分も愛媛も高知もいかにも学生が少ないようで何となく寂しい感じがする。我が熊本は学生化された都会なる事を痛切に感じて喜びにうたれた。
 ▽善楽寺と安楽寺 善楽寺は廃仏毀釈により廃寺に。その本尊を迎えた安楽寺が1876年以降三十番札所となっていた。1929年の善楽寺復興後は2カ寺が三十番札所となったが、1994年正月を期して、善が三十番札所に、安がその奥の院にと、正式に定められた。
 ▽奇すしき運命よ、まだまだ汝はぬるま湯だ。狂奔して来たれ、私は思うまま汝の両手に身を投げたい。私の涙が大雨となり洪水となる時、私の心が血となり焔となる時そこに私の最上のよろこびはある。
 ▽「警察がやかましくなりまして善根にでもお泊めすると拘留だの科料だのと責められますからお気の毒だが納屋でよろしいか」(〓警察の取り締まり)
 ▽道後温泉。宿を訪ねたら「お遍路さんはお断りして居りますから」。(「お接待の心」を観光資源にしようとしている人たちは実はこういう差別する側だった。お接待の心をもつ市井の人は、そういう「心」を押しつけない)。
 ▽石手寺の落書き。寺の落書きに興味を覚え、次々に見て歩く。
 ▽三坂峠。峠の茶屋でしばらく休んで……何町と行かないうちに広い街道が緩やかに通っているには吃驚した(33号)
 ▽私の恐れは「死」である。両親の死、ふいと考えると私はたまらなく恐ろしくなる。私の笑い私の嘆き私の不安は常にこの一点から出発する。私は大きい絶望の中に小さい夢を刻んでいく事によってのみ毎日を生活しているに過ぎないのである。
□解説
 ▽熊本でH青年から求愛され、振り切ることができず、窮地に落ちていた。後の夫の橋本憲三とはすでに恋愛関係にあった。憲三からは冷ややかにあしらわれ、H青年からは逃げ切れず、職なく、飢え、人生と生活とのいっさいに追いつめられた極北からの捨て身の脱出がこの巡礼行だった。
 ▽漢文によって表現力を養われた。
 ▽「業病」の遍路の姿に胸打たれる。「世に哀しき人寂しき人の優しい聖い伴侶となる事が私の生涯の使命ではないか」
 ▽「巡礼の社会学」(1971年ミネルバ) 明治大正の時代になっても、冬の土佐の海岸には、乞食遍路が千人ちかくもいたという。奥羽地方で「遍路に出る」といえば「業病」かととられ、北陸地方では「夜逃げする」と同義語だった。だからこそ逸枝は、不審がられた。  

斎藤貴男「国家に隷従せず」筑摩書房 20050218

  監視カメラが町に増えている。「安全のためには仕方ない」と言われると、反論しにくい。マスコミでも反対論は書きにくい。だが、町中にカメラが設置され、顔認識システムが導入され、総背番号制が隔離したら、まさにオーウェルの描いた1984年の警察国家になってしまう。その危うさを詳細に指摘する。
 「禁煙」の動きの危うさ、というのも意識しないと気づきにくい。私はタバコを吸わないから、禁煙が広がるのは大歓迎だ。だが、国家が人間の健康管理を志向する方向性はナチズムに近いものがあり、山崎正和も「予防医学という発想そのものが、一歩間違えばファシズムに通じる危険性を持っている」と指摘したという。
 「健康増進法」は、病気がちな人や障がいのある者は「国民の責務」を果たさない非国民とされかねない。「禁煙条例」の本質は、警察庁が主導する「生活安全条例」にほかならない。防犯対策を前面に押し出しつつ、警察と自治体、地域社会の一体化を狙っているという。
 ハーレムの禁煙運動も取材したうえで、「ハーレムは拳銃や麻薬の温床でもある。…人々の健康、生命を重んじるなら、たばこより先に教育されるべきことがいくらでもあるのでは。たばこに諸悪の根元を求め、上からの革命を急ぐ現代の禁煙運動が、社会構造の矛盾を矮小化…ということを畏れる」と記している。
 鳥取県智頭町の「ひまわりシステム」にも、旧内務省的な発想をかぎわけ、ディープエコロジーの動きのなかにもそうした動きを見る。
 オウムに坂本弁護士が連れ去られたとき警察は、誘拐ではなく「失踪」と位置づけ、個人の責任であるように装った。それが事件解決を遅らせた。なのに、警察の幹部はなんの責任も問われない。
 1億円の脱税をした大蔵官僚は大会社に天下りしてウハウハなのに、その10分の1しかしてない野球選手は永久追放されてしまう。
 弱い者ばかりに負担を押しつけ、強者は好き放題する。異議を唱えると、監視システムを張り巡らせた警察によって圧力をかけられる。
  そんなおそろしい世の中になりつつあるということを、具体的な事実で、これでもか、これでもか、と突きつける。


  ▽20歳でシベリア帰りの父が死ぬ。死亡届を出そうとすると「いつ死んだ? あ?」。……その場でたたきのめすべき相手に抗議さえできなかった未熟な自分自身にもオトシマエをつけなければならない。何者にも隷属しない立場で、人間の自由と尊厳を守るために働こうと誓った。
 ▽組織をかくれみのにする個人 再審無罪の事件で取り調べ当時の刑事課長。「責任があるのは俺という個人じゃねえ。刑事課長という職にあるんだよ」
 ▽監視カメラ 歌舞伎町には01年度中に50台。所轄署とネットワークで結ばれたカメラを繁華街のコンビニに設置させたのは愛知県警。。デジタル記録で必要な部分だけを瞬時に検索できる。顔認識技術もオムロンで開発すみ。
 ▽東広島市の行政書士・家森健さん。「住民基本台帳法のあり方を研究する行政書士の会」の99年の調査 東大阪市や福岡市、丸亀市などがq、国籍取得した人の住民票に帰化と記載したまま交付していた。
 ▽国民総背番号制度をめぐる連携は日韓台に広がっている。背景にはアメリカの極東戦略? アメリカでは、社会保障番号〓が、事実上の総背番号制になっている。61年に納税者番号としても利用され始め、次第にあらゆる行政サービスや民間分野にも広がっていった。82年には兵役登録拒否者狩りが始まる。ただしICカード化には至ってない。猛反発を食うのが明らかで、だから他国で実績を作らせてから自国民に適用させたい意向と見られる。
 ▽名簿業者「黙っていてもいろんな人が名簿を売り込みに来る。フィリピン人と結婚した人のリストとか、宗教団体の人が相談に来た人の名簿を持ってきたこともある」
 ▽サラリーマン税制 自分で払う税金の計算を放棄させられた人の納税者としての権利意識は極端に薄まっていく。税金が浪費されても誰も何も言わない。
 確定申告権を奪う制度は法の下の平等を定めた憲法14条違反として、総評は裁判をたたかったが、最高裁で敗訴。「サラリーマン税制に異議あり!〓」
 ▽年棒1千万円に満たない野球選手が悪質な脱税犯として永久追放された人もいた一方で、1億円近くも脱税した中島義雄氏はわずかな追徴課税だけで方面され、京セラに役員並の待遇で迎えられた。大衆や見せしめにできる者にはどこまでも酷薄で、身内や有力者には甘い。
 ▽禁煙ファシズム 山崎正和。国家が人間の健康管理を志向する方向性を危険だと感じ、「予防医学という発想そのものが、一歩間違えばファシズムに通じる危険性を持っている」
 ▽ハーレム たばこ税があがり、価格値上げが続いたため、違法なばら売りが横行するようになった。……ハーレムは拳銃や麻薬の温床でもある。……人々の健康、生命を重んじるなら、たばこより先に教育されるべきことがいくらでもあるのでは。たばこに諸悪の根元を求め、上からの革命を急ぐ現代の禁煙運動が、社会構造の矛盾を矮小化し、……ということを畏れる。
 ▽「健康増進法」 病気がちだったり何かの障がいのある者は「国民の責務」を果たしていない非国民ということになる。禁煙条例の本質は、警察庁が主導する「生活安全条例」にほかならない。防犯対策を前面に押し出しつつ、警察と自治体、地域社会の一体化を狙っている。
 ▽砂川孝子さん不当逮捕 待合室にいたら「不法侵入」、警察のデジタル無線傍受で「電波法違反」、3年に及ぶ長期拘束。
 ▽坂本弁護士事件 オウムのバッジが部屋に落ちていても、「バッジだけで有罪にはできない」。室内に14カ所も血痕があるのに、「誘拐」「拉致」ではなく「失踪事件」とした。あげく果てに県警は、失踪の原因は借金だの内ゲバだの、男関係だのとまで噂を流した。警察官「いつも警察を攻撃している連中が、助けてくれだなんて虫がいい」
 ▽森岡正博〓 ディープエコロジーは自然に大きな価値を置くあまり、ちっぽえな人間を軽視しがち。過剰な人口を削減するためにはエイズも歓迎であるという考え方に転化しかねない。
 ▽鳥取県智頭町の「ひまわりシステム」 ひとり暮らしの老人の家に、特殊な郵便受けをつくる。そんなことやると危なくて仕方ないから、警察に介入していただく。……郵便屋さんが昨日行ったんだったら、福祉の人が今日行くことない、という。パソコンで、郵便屋さんと役場と消防署と警察も情報を共有しようということになる。「電子ひまわり」という。……旧内務省時代の部落会あたりと近い。地域ぐるみで互いに監視しあうシステムがいつの間にか作られている。省庁再編が背景にあり、郵便局と自治体との協力関係が作られる。自民党の支持基盤である特定郵便局が地域を把握するということを考えr得必要がある。
 ▽集団的自衛権の行使を認めよと強調する財界人は「海外に展開している日本企業の権益を守るため」と言う。そして、70年代のIJPCを引き合いにだす。アメリカと同じ。
 ▽イラク人質事件での自己責任論 「週刊現代」だけは安易な自己責任論に抗しつづけた。
 責任転嫁のために小泉内閣が考え出した「自作自演説」。事件直後、小泉は「事実確認を急いでいる」と行ったが、それは、自作自演説を裏付けるための身辺調査だった。
 ▽鳥インフルエンザとBSE 鳥インフルは、直接接触しなければ人には感染せず、感染した鶏肉を食べても併記。なのに騒がれ続けたのは、イラク派兵などから国民の目をそらさせる情報操作。インフルエンザワクチン市場を活性化させたい医療関係者らの思惑、があるのでは。
 BSEは、実際に危険なのに、牛丼に関心が集中した。