■「職業としてのジャーナリスト2−−報道不信の構造」岩波書店 20050505
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メディアの締め付けをはかる権力。
田中真紀子の長女の報道問題では、裁判官が出版差し止めの研究会がつくっていることが明らかになった。プライバシー概念は拡大し、アイドルの交際報道、「お宝写真」掲載でも賠償を命じる。放送内容に踏み込んだ行政指導が頻発し、国民保護法では、放送局は避難指示や警報などの放送を義務づけられる。
イラク派兵反対ビラを防衛庁官舎にまいて逮捕され75日間拘留、戦争反対の落書きでは1カ月半拘留。メディアだけでなく市民の表現の自由も狭められている。
報道不信や右翼的な世相を背景にじりじりと権力側は圧力を強めている。
イラク人質問題では、「自己責任」の大合唱が起きた。与党政治家は「山の遭難では救助費用を遭難者や家族に請求することがある」と発言し、「彼らのような市民や、危険を承知でイラクに派遣された兵士がいることを、誇りに思うべきだ。私たちは…彼らを安全に取り戻すためにできる、あらゆることをする義務がある」(パウエル国務長官)、「情熱を持って人道支援に献身する若者こそが誇り」(ルモンド)と海外から諭される始末だった。
それにしても不思議なのは、イラクで殺害されたとみられる元傭兵の斎藤さんへの反応だ。産経は「命を賭けているプロだ」とほめたたえ、「自己責任」論のかけらもない。一方、人質事件のときに署名運動をした市民団体側も今回は動かないし、「あの人は傭兵だからしかたない」という意見がちらほら漏れてくる。双方とも、ダブルスタンダードなのだ。
それにしても、こうした大情況を取材する記者の文章を読んでいると、むなしさに襲われることがある。地方の片隅で、ちまちました取材をしているうちに、いつのまにか隘路に迷い込み、大事なことが見えなくなってしまうのではないか、と。
だから、本多勝一の「戦場の村」を読んでジャーナリストになり、パレスチナを報道しつづけている土井敏邦氏の文章はちょっとうれしかった。
−−イスラエルの女性新聞記者アミラ・ハス。占領地に10年以上も住み着いている。イスラエル人であることを隠そうとせず、住民たちのなかに飛び込み、取材していた。市井の人が固有名詞で登場し、その生活と心情が詳細に描写されている。「私はいわゆる有名人をまったく信用しません。だから情報を得るために有名人のところへ行ったりはしません。市井の人々の話を聞くことこそが重要であり、民衆こそが第一の取材源なのです」−−
「民衆こそが第1の取材源」。その原点を忘れてはいけないのだろう。
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▽(田中真紀子の長女結婚報道で差し止め) 鬼沢裁判官が属する民事第9部の裁判官が中心となって、出版差し止めについての研究会が作られ、マニュアルを作っていた。組織的な動きによる司法判断と考えられる。プライバシー概念の拡大:中田英寿と宮沢りえのキス写真掲載で賠償、投稿の「お宝写真」掲載、アイドルの交際報道、2チャンネルのプライバシー書き込みで掲示板の管理人に賠償……。
▽放送への介入。放送内容に踏み込んだ行政指導。国民保護法で、NHKと民放が警報や避難指示、緊急通報などの放送を義務づけられる。
イラク派兵反対ビラを防衛庁官舎にまいて逮捕され75日間も拘留。「戦争反対」落書きで、1カ月半拘留され有罪判決。…メディアだけでなく、市民の表現の自由も狭められている。
□山田厚史
▽郵貯と簡易保険の残高300兆円。これが政府系金融機関や特殊法人に流れ込み、ムダに遣われ、日本経済のお荷物になっている。その構造をただすため資金の入り口である郵政事業をどう改革するか、に、焦点はあった。
首相になる前の小泉には、郵政改革=官業全体の非効率是正という観点があったと思う。財務省の第2の予算といわれる財政投融資に手を付け、公社公団、特殊法人に牝を入れることになる。使い勝手がいい特別会計や天下り先を失いたくない官僚組織を敵に回すことになる。ところが首相になって…郵政公社の民営化に問題を矮小化し、改革派対抵抗勢力という図式をつくりだした。……劇場型政治に引きずられるメディア。
□国正武重
▽鈴木首相 レーガンとの会談で「平和憲法をもつ、日本の特殊な立場」を率直に表明。「…戦争を放棄し、軍事大国とならない、との誓いを体現した平和憲法は今後とも維持されなければならない。福祉関係費を削って防衛費を増やせば国民の反発は必至であり、83年の衆院選で自民党は負けるかもしれない。日米安保体制を可能にしてきた自民党政権が敗退することになりかねない」(良質でリアリズムを重視する保守と、力のある革新があって出てきた発言)。平和憲法下での「国是」を前面に掲げて米国に注文をつけた結果、「つぶされた」のでは。その後に首相になった中曽根は「私が首相に就任した当時、日米関係は最悪の状態でした」と回顧している。
□亀井淳 週刊新潮次長を経てフリーに
▽田中角栄訪中時、中国の存在そのものを認めない論調をくり返した。金大中拉致事件では軍事政権に荷担して処刑論に賛成することまでした。そうした偏向企画が読者による一定の支持を得た。その心理構造はおそらく戦前から変わらない。周辺に差別して当然という国を持つこと。それが国内で差別され、搾取されている日本人への慰めになるとう仕組みを維持したいのだ。韓国や中国が近代化した今、北朝鮮だけが差別商法で売る週刊誌にとっては格好の対象なのだ。
国内では、革新・平和運動たたき。労働組合は目の敵。女性の権利運動は揶揄の対象。環境運動もやられた。冷戦が収まると平和運動への攻撃はやや下火になったが、9.11テロが起きると俄然活気が戻った。イラク人質事件では、3人の人格イメージをおとしめ、こんなヤツらを救助しようというのかというキャンペーンを張る。「自作自演」「自己責任」といった言葉をくり返すことで、拘束の背景にある自衛隊のイラク派遣という重大な政府責任をぼかす。
▽週刊誌の今後
岩瀬達哉の年金問題ルポ、溝口敦の「食肉の帝王」…週刊誌の取材力と気鋭のライターとの組み合わせは、すぐれたノンフィクションを生み出す条件。
□石坂仁(共同通信)
▽イラク 取材ルールの協議で「取材者自身および現地隊員の生命及び安全の確保ならびに現地部隊の円滑な任務遂行に関する情報については、防衛庁または現地部隊による公表または同意を得てから報道する。それまでの間は発信および報道は行われない」という条件まで受け入れてしまった。「検閲」以外の何ものでもない。…米軍の従軍ルールを下敷きにしてつくった暫定ルールをベースにした。
戦地取材経験が豊富なカメラマン「ルールは破られるためにあるのであって、…何も報道しないより、少しでも報道した方が読者、視聴者のためになる。さっさと署名して取材にむかうべきだ」
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■清沢洌「暗黒日記2」 ちくま学芸文庫 20050525
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昭和19年の日記。前年はまだ、外地でやっている戦争は「よそごと」という雰囲気で、東京は比較的のんびりしていたが、昭和19年に入ると、戦時体制がいよいよ身近に迫ってくる。
酒場やカフェーは閉鎖される。食糧が不足してお嬢様学校でも盗みが横行するため、弁当を暖めるのを禁止する。物価は急騰し、砂糖は公定価格の40倍だ。
100キロ以上汽車に乗るには警察の証明が必要となり、何をやるにも役所の印が必要となる。国民を総動員するため日曜日も廃止される。統制を強めるなかで官僚の力ばかりが強まり、精神主義が横行する。
言論弾圧は相変わらず。公開の席では時局の話は一切できない。「2、3人の会でも正直はいえぬ。常にスパイがいるからである」と記す。政治家や元閣僚らが集まるトップエリートの会合でさえも本音は言えない。清沢自身は自他共に認める愛国者であり、国家に役立ちたいと願うが、排斥されている。日本全体が上から下までバカになっていく。
新聞では、「強気」を訴える徳富蘇峰が活躍している。
だが戦局悪化が明らかになるに従って、3月には、米国が「日本抹殺」を狙っているといった記事が公然と現れる。根拠のない自信と確信と強気が相次ぐ敗北にによって崩れると、今度は敵に対する恐怖を植え付けるのだ。
−−サイパン島について「この1島は全力固守に値するものと認めて差し支えない」と書いたら、警視庁で「注意」してきたそうだ。仮にサイパンを、とられない前に「全力固守に値せず」と書いたら、発行禁止ものであろう−−。
言論は当局者の意のまま。都合が悪くなると事実もかわる。まさにオーウェルの「一九八四年」の世界だったのだ。
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▽岩波氏は「至誠」を何よりも高く評価する人だ。僕はその「結果」を評価する。僕は大久保、木戸を好み、かれは西郷を好む。
▽(読売抜粋) 国際的には大東亜宣言、国内的には食糧問題の行き詰まり、武器の近代化の必要に面している時に、言論界は依然、神がかり的なものである。
▽満州事変以来、外交は全く軍部に移った。それはまた、一般民衆の好むところの傾向でもあった。
▽ユダヤ人の謀略を喧伝する新聞。戦争カゼもユダヤ人の謀略である旨、ユダヤ研究家が発表している。これが日本の知識水準だ。(ユダヤ人謀略説は最近も流れている。危ない時代には似たような言説が流れる。)
▽今回の戦争で明らかにされたことは「侵略」「他民族隷属」ということが悪事だということである。不思議なことは両方ともそういうのである。東条の言い分は…
▽毎日2月6日「…何が何でも勝ち抜くという尽忠の大精神で戦ふ勇士の心を心とし飛行機でも艦でも断じて敵の生産量に負けぬといふ必勝精神で戦力増強になほ…」、朝日「物は少なくともその足らぬを補って余りある力を日本はもっとる。魂の力ぢゃ、物より大事なのはこれぢや」
▽青山女学院では弁当をストーブであたためることを中止した。ドシドシ盗まれるからだ。
▽かのごとき幼稚愚昧な指導者が国家の重大時機に、率い足ることありや。帝大の某教授曰く「東条首相というのは中学生ぐらいの頭脳ですね」
▽3月5日から日曜を全廃した。学校でも日曜を授業し得るよう法令を改正する。余計時間をかけることが、能率をあげることだと考える時代精神の現れだ。「大西洋憲章は…日本人を皆殺しにすると決議した。。男も女も殺してしまうのだと声明した。きゃつ等に殺されてなるものか」、これが汽車中の演説である。
▽(毎日)「本土沿岸に敵が侵攻して来るにおいては最早万事休すである。ラバウルにせよ、ニューギニアにせよ、わが本土防衛の重要なる特火点たる意義がここにある」。この記事を東条首相が読んで怒った。…東京が焦土に帰しても日本国民は飽くまで敵を滅すために戦うのだと。情報局はあわてて毎日新聞の発表を禁止。…2,3日してその筆者に突然徴兵命令の赤紙が来た。海軍省出入り記者で41,2歳の男、兵役と関係ない国民兵である。これを聞いた海軍省は怒った。丸亀師団部に交渉して除隊させた。しかるにその翌日また徴兵された。東条の性格、陸軍のやり方、陸海軍の関係をいみじくも描き出している。
▽最高勤労能率を発揮するため軍隊的規律による職階制を確立するというのだ。観念いじりに終始している。能率的には軍隊ほど非能率的なところはなかろうではないか。彼らには競争主義の味がわからない。
▽4月 享楽追放で休業を命じられた酒場やカフェーは次々に軍需会社の事務所とかわり…(毎日)。 食事も減りこのころすっかり戦時色に。
▽(インパール)「敵の対日侵攻戦略はわが印度進攻作戦によって重大なる影響を蒙りつつあることは明かである。他方印度に対するわが至妙の作戦が成功するにつれ…」(読売)これが代表的な書き方だ。一貫して「至妙なる作戦」といったことを書かないと承知しない。朝から晩までほめられていないと、1日が過ごせないのである。印度作戦は、大きな政策から観ると、悲しむべき結果を生ずるは明瞭だ。仮にインパールをとっても、それ以上進めず、さればとて退けぬ。戦線の釘づけ。犠牲は非常に多かろう。
▽明治時代には重臣は、真の発言権を有していた。明治天皇の御信任を拝して、首相をも監督する地位にあった。それがチェックス・エンド・バランセスの役目をつとめた。然るに今は…
▽(検閲は)2,3の文字を引き抜いて、問題にする。同志社大学の湯浅総長の辞職は勅語の読み違えといったことであり、立教大学の木村校長も、勅語を読む時に、壇の中段でしたとか何とかいったようなことであり…。
▽日本はこの戦争を始めるのに幾人が知り、指導し、考え、交渉に当たったのだろう。おそらく数十人を出まい。秘密主義、官僚主義、指導者原理というようなものがいかに危険かこれでわかる。来るべき組織においては言論の自由は絶対に確保しなくてはならぬ。議員選挙の無干渉も主義として明定しなくてはならぬ。
この時代の特徴は精神主義の魔力だ。米国の物質力について知らぬ者はなかった。しかし「自由主義」「個人主義」で直ちに内部から崩壊すべく、その反対に日本は日本精神があって、数字では現し得ない奇跡をなし得ると考えた。
▽(7月)(中央公論の嶋中社長辞任問題) 嶋中君は自分が辞めて代理社長をあげるつもりだったが、政府は承知しないのだ。官選社長を出したいのである。…こうした出版界に干渉することになったのは、内務省官吏が呑む機会をつくる目的にあるらしい。彼らは直接に干渉しうるところに利権を持って割りこむのである。問題を起こしては人間をかえ、自分の都合のいいような人物をあげて、…内務省の特高課あたりがそういうことをやり始めると、これを是正する方法がない。中央公論社をもってしても、下級刑事の獣のごとき訊問、呼出し、圧迫をどうすることもできないのである。
▽僕は蝋山君に、他日、新たに作られるであろう日本憲法に2つの明文を挿入してくれといった。言論の自由(個人攻撃には厳罰を課することとし)と、それから暗殺に対する厳罰主義である。
▽雨宮君は「婦人公論」を初号から持って行ったことを伝う。若い頃からのものを集めて、罪に落とそうというのだ。憲法の存在せざる現在、警察に睨められたら最後、逃れる道なし。
▽「東洋経済」が「7月1日号」にサイパン島について「この1島は全力固守に値するものと認めて差し支えない」と書いたら、警視庁で「注意」してきたそうだ。仮にサイパンを、とられない前に「全力固守に値せず」と書いたら、発行禁止ものであろう。言論は当局者のご都合主義である
▽(東条内閣退陣、小磯内閣へ)緒方君が国務大臣になり情報局総裁を兼務した。…この内閣ならば、「休戦」「講和」といったことを冷静に研究しうる。言論の自由についても、内閣のおよぶ限りにおいて伸長し得るのであり…。
▽東条をほめたのは、太鼓持ちの徳富蘇峰だけだる。この戦争放火者はいう。「当局者が強気一点張りをもって、我国民に臨まんことを希望する。東条首相の労に至っては何人もこれを認めざるを得ない。最後まで闘志満々、勝ち抜くだけの気迫を持っていたといふことだけは…」
▽(8月)笹川良一とかいう国粋同盟の親分は何千万円の財産家だという。右翼で金のうならぬ男なし。これだから戦争はやめられぬ。
▽サイパンの最後について、各新聞共に、外国がこれに非常に感心しているように書いている。幕末の武士が、あの服装をして海外に赴き、外人が感心したと書いているのと同じ真理だ。
▽8月30日 いよいよパリ陥落。…各方面に戦勝祈祷会開かる。その知的程度が元寇の乱当時と大差なきことがわかる。
▽(10月)小村寿太郎は好戦的である。これが伊藤博文などと意見を異にした点ではなかったか。要するに加藤高明、小村というように強硬外交の本尊が珍重されたので、「軟弱外交」は幣原だけだ。(安倍や町村が珍重される今との相似〓)
▽台湾沖海戦勝利でワッと沸きたってきた。「菊地 昔は立身出世といふことはなくても巧妙手柄を望まないものはなかったからね。今は巧妙手柄といふ観念はなくなっている。大東亜戦争以来の青少年といへば強いね。全然頭が別になっている」(木村義雄名人と菊池寛の対談)(そういう青少年を育ててしまった教育〓)
▽町に「殺せ、米鬼」という立て看板がある。落下傘で下りたものを殺せというのだろう。日露戦争の頃の武士道はもうない。国民が、何等近代的な考え方も教わらず、旧い伝統も持っていないのを示すこと、近頃の街頭にしくものはない。
▽(11月)神風特攻隊 人生20何年を「体当たり」するために生きて来たわけだ。人命の粗末な使用振りも極まれり。しかも、こうして死んで行くのは立派な青年だけなのだ。
▽(12月、読売の満鉄理事の記事)「新米英的人物乃至は過去においてそういう傾向のあった人間は、政府の要路にあろうと、軍人であろうと、ことごとく危険人物とみなして差し支えない」
▽若い人は「俺らが死ななければ国家がつぶれるんだ」と、進んで平気で死に赴いている。黒木君の次男坊も、後方勤務なんかつまらんと飛行士方面に志願しようとしているそうだし…青年の意気想うべし。喫茶店に行っていた時代とは確かに異なったものがある。(だれきった自由な時代があった。若者が遊びふける現代もいつそうなる怖れがあるのではないか)
▽生方敏郎の「古人今人」、桐生悠々の「他山の石」、正木杲(?)の「近きより」、矢内原忠雄の「嘉信」は、戦争期にだされた反戦的個人誌。
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■清沢洌「暗黒日記3」ちくま学芸文庫 20050609
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昭和20年正月からの記録。冒頭の元旦の日記はなんだか今の時代を言い当てているようだ。
自分の上から爆弾が降ってきてはじめて初めて「戦争」であることを知り、しかしそれでもなお、戦争に懲りないだろうという。その理由として、戦争を不可避と考えていること、英雄的であることに酔うこと、国際的知識がないことをあげる。今、「新しい歴史教科書をつくる会」の周囲の人々の論調はまさに「不可避」であることをもって当時の指導者や軍人たちを免罪しようとし、特攻隊を英雄視して「無駄死」という指摘を許さない。靖国参拝に固執する小泉や挑発的発言をくり返す安倍や町村といった二世政治家が喝采を受けてしまう。
特攻隊については、英米の報道を引用して「敵は怖がっている」といった論調ばかり垂れ流された。決して「日本人は狂信(カルト)的で野蛮だ」というような報道は紹介されない。当時の英米人の抱いた日本軍への恐怖は、現代日本人がオウムを恐れる気持ちと似たようなものだったのに。
さらに当時の新聞は「強力政治」を唱え、官僚の無責任を攻撃する。「強力政治」を主張したがゆえに軍部の台頭を許し、官僚政治をはびこらせたのに。生活不安が募る人ほど強力な「リーダー」を求め、石原のような知事を選び、ますます弱者は追い込まれるという今と似ている。
敗色が濃くなるにつれて、戦況報道のスタンスはころころと変化する。フィリピン死守を訴えていたのが、「マニラはすでに軍事的価値なし」と書く。4月19日ごろには新聞に「沖縄方面で大戦果があがった」として「絶好の機至る」といった記事が載り、株価まで上がった。「沖縄の米軍の無条件降伏」説さえも流れた。この間、何度「勝機」や「神機」があったのか。過去のスクラップを見ればわかるし、大本営発表の八百長加減は見えてくるはずなのに、残念ながら人間はちょっと前の過去さえも忘れてしまう。それは今も同じだ。
3月にはソ連がトルコとの中立条約を破棄し、4月には日ソ条約が破棄され、来るべき悲劇は着々と近づく。日常生活も逼迫し、棺桶さえもレンタルで使いまわしするようになる。そんなさなかに清沢は急死した。
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▽(元旦の日記)昨晩から今晩にかけ三回空襲警報なる。…日本国民は、今、初めて「戦争」を経験している。戦争は文化の母だとか、「百年戦争」だとかいって戦争を賛美してきたのは長いことだった。戦争は、そんなに遊山に行くようなものなのか。それを今、彼らは味わっているのだ。それでも、ほんとに戦争に懲りるかどうかは疑問だ。結果はむしろ反対なのではないか。彼らは第一、戦争は不可避なものだと考えている。第二に彼等は戦争の英雄的であることに酔う。第三に彼等に国際的知識がない。
▽(特攻についての新聞:敵は戦々恐々としている、という報道ばかり)米国では特攻隊の記事に触れていないそうだ。敵から見れば対手に打撃を与えることが目的なのだから、どちらも同じなのである。日本だけだ。抽象的精神力というものを重視するのは。物量や発明も精神力であることを気づかずに。蘇峰のごとき議論がドンキホーテの最たるもの。
▽杉原君は最後の交換船で米国から帰った人。敵国の取り扱いに、かれが、感謝しているのだ。…日本人はどうしてこういうことができないのだろうか。敵をも愛することが、やがて十数年後において、日本を世界によく紹介する所以ではないか。
▽棺桶が、返還することを条件として融通して貰ったのだそうだ。死人の棺桶は借りるので、買うのではない。これを何回も使うのである。
▽技術員総裁八木秀次博士議会で答弁「(特攻について)最近必死必中ということがいわれるけれども、必死でなくて必中であるという兵器を生み出すことが、念願なのであるが、これが十分に活躍する前に、戦局は必死必中の特攻隊の出動を待たねばならなくなったことは、技術当局として慚愧にたえず…」…これは、封建的なる愛国観(死ぬことを高調する道徳)に対するインテリの反発の発露だ。
日本人は正しい方に自然につく素質を持っているのではないだろうか。正しい方に赴くことの怖さから、官僚は耳をふさぐことばかり考えているのではなかろうか。したがって言論の自由が行われれば日本はよくなるのではないか。来るべき秩序においては、言論自由だけは確保しなくてはならぬ。
▽議会で「戦争責任」の所在を質問した。小磯の答弁は政務ならば総理が負う。作戦ならば統帥部が負う。しかし戦争そのものについてはお答えしたくなしといったという。我憲法によれば天皇その責に任じ給うの外はなきに至っている。戦争の責任もなき国である。
▽正木旻?君は「近きより」を発行している人だ。弁護士で、日本人に希に見るファイターだ。昨年、警官の拷問致死事件を起こした。すなわち警官を告発したのだ。正木君は死ぬつもりで戦っているという。正木君は、また東条前首相に対し悪口−−正当な批評をしたおそらく唯一の人である。
▽科学の力、合理的心構えが必要なことを、空襲が教えるにかかわらず、新聞やラジオは、観念的日本主義者の御説教に満ちる。この国民は、ついに救済する道なきか。
▽鹿子木博士談「…国内態勢を見るとき米英を討たんとするに米英の精神がなほ奉じられている向がある。この天倫にそむいている思想、経済其他の上に幾多の米英の思想的残滓がまだ濃い。今日不利な戦局を支えつつあるは青年特別攻撃隊である。戦局をかくも不利にならしめたるは所謂老練練達の士といはれた既成の人達ではなかろうか」。鹿子木、徳富蘇峰といった連中が、この戦争を招来したもっとお大きな元凶だが、二人ながら、青年の出現を叫び、現時局について他を攻撃している。
▽3月 重光外相が石橋…を招待し、戦争を何とかしてやめたいのだが、実業家の方面から何とかできないかと相談したそうだ。新しい総称津島は、米軍が押し寄せてくれば、これを撃退する自信が軍部にあるそうだからといって…。海において撃退し得ないのを、上陸の際、どうして破ることができるのか。これを破ったとしても、米国を最後的にうち破ることがどうして可能なのか。うち破れなかったらどうして戦争を終結させうるのか。こうした理屈がインテリに分からないというのはどういう訳だろうか。第一には、突き詰めて考えることを好まないからであり、第二は、そういうことをいうと、禍の身に及ぶことを恐れるからである。我等の周囲において戦争の始末を考えているものは石橋湛山と植原悦二郎ぐらいなものだ。
空爆の被害や内容について政府は一切発表しない。ただ幾ら打ち落としたということだけだ。誰かが打ち落とした物を総計すれば、米国の造ったB29よりはるかに多くなっているといった。
▽戒厳令施行の噂も専らである。いよいよ軍政が事実的にきたのである。新聞でも、議会でも「強力政治」をいい、それは日本にては軍政をいうのである。軍的秩序と軍人政治に対する迷信を見るべきである。
▽小磯自身が「大本営、政府」と大本営を上位に置くを見よ。軍人大将の見識を知るに足る。
▽3月21日 その新聞も、流言卑語が盛んなこと、その原因が政府が事態を発表しないことからきている、と書くようになった。…朝日社説には「赤飯とらっきょうを食えば爆弾に当たらない」という迷信が流行しているとある。「ドイツが前大戦において突如内部より崩壊したのも、政治的判断と現実感との欠如のために迫り来たる危険を認めることができなかったからである」
▽B29を見ても、まだ竹槍と柔道でやれると思うところが日本精神だろうか。
▽4月 松本烝治氏と時局談あり。松本氏は戦争終結として日支事変以前の状態に復帰する程度でよからんといった。僕は、とてもそんな程度ではすむまいといった。沖縄島方面で敵に大打撃を与え、それで和平の時機を狙うのがいいといった。僕はそれは望ましいが、敵が和平を望むに至るほど打撃を与えうるかは疑問だといった。松本氏は戦争は今秋ぐらいまでで、それ以上は続くまいといった。僕はもう少し長くなるだろうといった。関東方面で上陸敵兵を迎えて激戦を交えるようなことはあるまいという点では一致した。その頃には当方に、それほどな戦力はあるまいというのである。松本氏は、日本人は優しい国民であるから、大した乱暴はしないという。僕は日本人は優しくないという。支那その他における日本人の行動がそれを示すといった。
▽4月4日読売(秋山謙蔵) 「米英と日本が最初に砲門を開いた薩英、馬関のときを緒戦とし、日本が彼らの属国化を拒否する限り、大東亜戦争は必然の運命であったのだ」。大東亜戦争に導いた民間学者で最たるものが二人ある。徳富蘇峰と秋山謙蔵(國學院大教授)だ。この二人が在野戦争責任者だ。
▽小磯から鈴木貫太郎へ 「読売」と「毎日」の社説は愚劣だ。いずれも政治と統帥の緊密化を説くのは同じ。
▽4月7日 「日ソ中立条約不延長」の記事「…同条約の効力はなほ明年四月二五日までは存続する訳であり、さしあたって日ソ関係に大なる変化あるものとは予想それない」 各紙とも悪政1つ放つものがなく極端なレザーブだ。外務省の方針によってしかるのだが、元来ならば「ロシア討つべし」といった議論が飛び出るところだ。
田村幸策君の話−−日本がソ連と近づけば、米国はヤキモキして日本に手をさしのべてくる。また日本が米国と平和的工作でもやれば、ソ連は、日本のご機嫌を取ってくる。そういう考え方が、知識階級に非常に多い、と。その通りだ。日本は、国際関係を見るのにきわめて勢力均衡的で、それが特に右翼や軍人に多い。リアリスティックではなしに、かえって自己独断的である。
▽4月9日 敵の放送によれば、日本の四万五千トン級の戦艦を撃沈したとのことで、日本でも認めている。
▽荷物を三十個送ることになって二人の荷造り人夫来る。代金は二百二十円だという。材料は当方でだしてのことだ。彼等の日給は百十円である。一時間あたりの彼等の賃金は二十円だ。日本の最も傑出した学者の一日のお礼が五十円。我等インテリの労働賃金は一日、最高五十円である。これが現在の知識階級と、労働人夫との比較なのだ。
▽建物疎開 土地は陛下のものであり、国策からこわすのに何の遠慮もなくドシドシやるといった。机の上で図をひいたので、耐火建物のあるところを取り壊し、木像家屋のあるところを残している。取り壊したあとに畳などが散乱している。一方に防空壕も造る資材もないのに、他方にそういう不用なものが堆積している。なぜ隣組にでも利用させないのか。官僚と軍人の政治というものが、こうも日本を滅茶にさせてしまったのだ。
▽近頃僕は下らない本を買う。大東亜戦争下にいかに下劣な刊行物が横行していたかを考証せんがためだ。こんな書籍に書棚を貸せるのは嫌だ。乞食を奥座敷に寝せるような気がする。
▽二・二六事件をやった人によって起こされた大東亜戦争を、この人々によって狙われた人たちが収拾しようとしている。軍部大臣が頻々としてかわるところに近来の特徴がある。かつては軍部大臣に居残った。
どこに行っても戦争はいつ終わるのかという点に話題が向けられている。誰も戦争に飽いたことが推知される。日ソ条約不延長が戦争を予見せしめる類の言論が現れている。
▽(4月15日空襲)火事と闘って、僕は何か憎くて痛憤した。しかしただ「米国」という敵だけではないようだ。「こんな戦争をやるのは誰だ」と、僕はこの愚劣な政治と指導者に痛憤していたのである。
▽軍人は最後まで「東京へは絶対に敵機を入れない」とか「麹町地区には飛行機を入れない」といっていた。いま彼等は何という? しかし国民の軍人に対する反感は、嘘のように少ないと思う。軍部に関する批判は一切させないからである。いわれなければ気がつかないほど低劣だからだ。しかし永遠に気がつかないのだろうか?
▽(読売4月19日)「敵空母勢力は一両日前の十数隻より今や5隻内外に低下したものと見られ後方基地に補給、修理のため帰ったものを合計するも…勝機の捕捉は今である。今にしてわれにこれを追撃するに足るべき航空機の物量的確保だにあるならば勝つ、必ず勝つ…」。沖縄線が景気がいいというので各方面で楽観説続出。株もグッと高い。沖縄の敵が無条件降伏したという説も聞いた。中には米国が講和を申し込んだというものがある。民衆がいかに無知であるかが分かる。新聞を鵜呑みにしている証拠だ。新聞記事「『沖縄周辺で敵艦隊8割を撃沈した』『岐阜市では提灯行列用の提灯を造っている』…といったデマが根強く伝えられているが…」
▽4月30日 ラジオでドイツのヒムラー、米英に対し無条件降伏を申し出た伝う。
▽鈴木首相が決まる会議の経緯。
▽僕は兎に角、戦争を終末せしめる必要がある。それがためには、無条件降伏、ソ連を仲介にたてる、蒋介石をたてる、米国あたりにいいだす…だが、いずれの道でも、目的を達すれば、それをとるべきだといった。また、米国の無差別爆撃に対し、日本のキリスト教徒が連合して、世界の世論に訴うべしと述べた。
▽空襲による被害、4月25日に発表。12回の来襲にて英国5年8カ月の被害よりも多し。
□▽朝鮮・台湾に選挙を施行するための衆院選挙法中改正案は、3月22日、25日、それぞれ衆・貴院を通過、朝鮮・台湾人の勅撰議員を貴族院に入れる貴族院令中改正案も3月25日、貴院で可決された。
▽1922年31歳で徴兵検査乙種合格。「最初の教練のとき、号令がかかったが、僕の身体はその号令には応じません。…僕は地団駄踏んで抵抗し、遂に大の字になって仰臥したので入営の翌日から営倉に監禁されることになりました」2月もたたないうちに帰休除隊。33歳のとき関東大震災で妻と娘を失う。37歳で、朝日新聞に企画部次長として入社。39歳、エッセイで右翼を刺激し、国体冒涜者とののしられ、つづいて、責任者追及キャンペーンとなった。これを機に退社してフリーランスに。47歳、ヨーロッパを歴訪。48歳、昭和13年、第二次人民戦線の検挙「左翼派の検挙されたる人々の事を書くのに呼びすてだ。今まで、先生先生といって来ているのに、検挙される日から態度かわる。日本は何という官憲万能主義の国だ」
▽マルクス主義側からの清沢の自由主義に対する批判。当時、論壇ではマルクス主義が全盛であって、自由主義は過去の遺物と見る人が少なくなかった。軽井沢に別荘をもちゴルフをしている生き方にも批判を浴びせられた。1929年のある月には原稿料だけで700円の収入があった。大学卒業生初任給の10倍ほどであった。
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