■加藤健二郎「戦場のハローワーク」ミリオン出版 20050710
|
書名も「迷えるニートは戦場へ」という副題もいかにもというユニークさ。
戦場に行けば楽して女の子と楽しんでそれなりに稼げるぞ、と、入国のしかたや戦場への入り方、雑誌への売り込みの方法まで、出血大サービスといったかんじで披露している。
写真つきの名刺をつくりラミネート加工してプレスカードをとるとか。国によっては事前につくっておいた推薦状をファクスしてもらうとか。
普通のジャーナリストは、とっとと現場に行って、とっとと帰ってきて写真なり記事なりを売り込むが、著者は遊べるところでは徹底して遊ぶ。女の子を追いかけ回して、そうした記事が実は週刊誌に高く売れることもけっこうあるから、おもしろい。
|
▽エルサル 反政府派の拠点だったサークル棟には深入りせず、関係なさそうな学生に近づき「とりあえずナンパしよう」となる。サークル棟には男しかいないが、学生食堂やラウンジ、中庭のほうではギャルギャル天国。
▽国家警察の検問。ロイヤルは警察のスパイらしいときづき、ホテルを移る。
▽イランでも女子大でナンパ。イランでのナンパの基本は、女の子が多数いるなかに1人でいくこと。控え目なイラン女性たちは、相手が男1人で自分たちが大勢だと気楽に。
▽ホンジュラス マリポーサ 協力隊員はモテモテの日々。
▽高級ホテルの一流ジャーナリストたちは、毎日数百ドルの出費がつづき、しかも「人間の盾」ほど自由にイラク国内を動き回れなかったようだ。
▽セルビア人の子どもに援助物資をおくって感謝状をもらった友人から、その感謝状のコピーしていた。わざと不便な鉄道をつかって国境をこえる。
▽イラク 人間の盾だから自由にあるきまわる。
▽チェチェン ジャーナリストではなく義勇兵と思われていた。戦場で常に走れるようにカメラ機材は最小限。フィルムも30本はもっていかなかった。
▽必需品 出版社からの英文推薦状、顔写真つきのIDカード状態になっているプレスカード。カードにはPRESSという文字が太く大きく書かれているとよい。出版社から現地プレスセンターにFAXを送れるように、文面のコピーを友人に手渡しておいてから日本を出国するようにする。
▽飛行機で手荷物として客室にのせるため、ポケットのたくさんついたカメラマンジャケットにたくさん機材を詰めこむ。…ホテルを拠点に取材しているときも、すげての荷物を担いででかける。荷物はリュックサックに収まるようにする。…銀色のレスキューシート。テーピングテープ。
▽戦場野郎のたまり場をさがす。丸山ハウス、エルサルのアカフトラ、ブダペストのテレサハウス、ダマスカスのムスリムホテル。
▽ 週刊誌よりも軍事雑誌。切り口をかえれば1回の取材ネタで複数雑誌への掲載もOK。軍事分析・銃などの兵器・戦車などの車両・人物・という4つの切り口でかけば30万円くらいになる。週刊誌は原稿料は高いが、そのネタをまとめても本に出来ることは少ない。軍事雑誌の連載は単行本に。ギャルナンパネタはエロ系月刊誌に。
▽中国脅威論は経済界の足を引っ張るからトーンダウンする。次の脅威論を貧乏な北朝鮮としているが、それも長続きしないのは明らかなので、テロ脅威をもちだしているのである。テロ組織は今後長期的に仮想敵として利用できる便利な存在だ。北朝鮮のように国家として存在する相手では脅威がなくなってしまう怖れがあるが、テロ組織という実体の掴めないものであれば半永久的に仮想脅威として使える。だから、軍事戦争関連ネタにはしばらく不況は来ない。
▽武器をとれば金になる。「兵器の名前はいいから、小隊、中隊、大隊、連隊、旅団などの部隊規模、兵士の階級は理解できたほうがいい」と言ったが、それすらなかなか覚えられなかったようで…。人道系の人は軍事に詳しくない。
|
■「世界」8月号から
|
|
■石牟礼の文
沖縄もそうですが、天草あたりは人柄が恭しくて。熊本と宮崎の間の椎葉とかにいきましても、神楽がはじまると、よそから神楽をみにいった人たちにもご馳走をだしてもてなして泊めてくださる。
■後藤田と加藤の対談 後藤田発言
吉田さんのお気持ちは軍備をいつまでも持たないというお考えではなかったという気がする。同時に、朝鮮戦争に警察予備隊が使われることを徹底的に用心しておられた。私は防衛課長をやっていますから、こういう編成で予備隊をつくってもらいたい、という米軍の要請を受ける。そのなかに「冷凍中隊」というのがある。「これは死体処理の部隊じゃないか。こんなことは認めるわけにいかんよ」と言ったらニヤっと笑って、それを鉛筆で消すんです。つまり向こうの腹は、吉田さんが警戒したとおり、場合によれば朝鮮戦争に予備隊をつれていきたいということだったと思う。
▽一国の総理が国会の答弁のなかで孔子様の言葉だと言って「罪を憎んで人を憎まず」ということを言ってるじゃないですか」なんて言うようではどうしようもないね。それは被害者の立場の人が言うことなんで。
■神野直彦
人間の絆を喪失した社会では、希望の未来を目指す海図も示されないまま、不安と不満に脅えることになる。絆が寸断されコミュニティが崩壊すると、アトム化した社会の構成員が強力な国家主義にもとづく国民統合に足をすくわれかねない。暴力的抑圧という社会的病理現象の解消方法が喝采を浴び、国家の暴力機構を強化することいよる国民統合が目指されてしまう。
▽地方自治体は、国境を管理しない出入り自由の政府だから、現金給付による所得再分配を実施することは不可能。手厚くすれば、貧困階層が流入する。富裕階層への課税を強化すれば、富裕層は流出してしまう。
グローバル化という経済現象が生じてくると、現金給付による生活保障が不可能になってくる。つまり福祉国家の行き詰まり現象が生じてくる。そこからの脱却を巡って、中央集権型強制強化のシナリオと、地方分権型民主主義活性化のシナリオとがせめぎあっている。
国境を管理しない地方自治体では、現金給付による生活保障は機能しないが、現物給付サービス給付による保障なら可能だ。というよりサービスによる生活保障は中央政府にはできない。地域社会の生活実態に応じて、地域社会ごとに出先機関を設置せざるをえないため、地方自治体が担うのと同じ結果になる。
■田中康夫
▽就任したとき1兆6000億円という借金があった。起債制限比率でも全国ワースト2位の状態だった。が、累積債務を減らした。
▽福祉課長になりたいという有能な職員を泰阜村に駐在させた。村に赴任したら、あれが県庁から来た人だと、村民が道路の計画まで質問する。わからないとくやしいから、村の職員にきいて勉強して説明にいく。土木部も、小さな町では、事務系職員が見よう見まねで図面をひいている。ひるがえって県職員は、測量とか図面、設計は全部コンサルに外注だ。ところが小さな村では「図面ひいてよ」と言われ、できませんとはいえない。これは予想外の成果でしたね。
■片山善博
▽バブル後の景気対策。財源は地方債でまかなわれ、後年の交付税で上乗せして補填するとされた。実質自己負担がないのだから、競って公共事業を上積みした。人の褌をあてにして歳出を膨張させた自治体も、自治体を借金体質に追い込んだ政府もモラルハザードだ。そのうえ、公共事業の追加に不熱心だった自治体には、政府が積極的な財政運営を執拗に指導した。いま元利償還のピーク。ならば交付税額もピークになるはずだが、現実には大幅削減。確かに交付税の算定の内容を見ると、過去の地方債償還額に要する経費は計上されている。しかし、それ以外が大幅に削減されている。ぺてんにかかったようなもの。
■南山城村のルポ
▽公債費比率 03年度決算で18.4パーセント。通常15パーセントをこえると危険とされる。財政的制限が加えられるのは、過去3年間の平均が20パーセントを超えたときだから、そこまでは悪化していない。
景気対策で政府が自治体に借金で事業をおこなわせた結果の財政機器。借金と財政カットの二重苦に陥った市町村は、夜逃げのような理念なき合併に向かった。
南山城村の一般会計はほぼ25億円だった。年々減らされ今年度は8億4000万円。分権やらなんやらで仕事は増える一方なのに。
国の言うことをきくほど財政はだめになる。
|
■森山喜代香「自然と共生した町づくり 宮崎県綾町」公人の友社 2005080
|
綾町の本は3冊目。ブックレットだから手軽だ。
綾町の人口が増加傾向にあるということにまず驚かされる。
ついこのあいだ読んだ前町長の聞き書きにその理由はくわしく書いてあるが、国の農業政策が「選択的拡大」の名のもとに単一作物の大規模栽培を指向しているときに、まったく逆の「多品種少量」の一坪菜園運動をはじめた。そのへん、中山間地で大規模栽培ができなかったが故に多品種少量栽培が生き残った愛媛の内子町と似ている。国の農業政策にあわない劣等生だったからこそ、今の成功があるのだ。綾町は意識して有機農業を手がけてきたから内子よりさらにすごい。
合併によって大規模化のデメリットも以前から意識していた。だからこそ、農協も合併せず綾町だけの単協で残った。宮崎県内では2カ所だけだという。
「大規模化」「合理化」をめざす国と正反対の道をたどったからこそ、綾町の今があることがわかる。
|

▽昭和55年から人口が少しずつだが増えている。人口が増えているのは宮崎の44市町村のうち4市町だけ。
▽昭和42年から一坪菜園運動。昭和30年代は 全国的には「選択的拡大」の時期、綾町では煙草、果樹、畜産が主幹作物で、それぞれの作物だけに集中して拡大を図った時期だった。野菜はまったく綾町で作っていない。家庭菜園もほとんどなかった。
有機野菜の販路もみずから拡大。青空市場を昭和51年におこす。キャベツ1個という人もいた。宮崎市の直販所は52年に開設。昭和53年から生協との産直がはじまる。
▽水を守る運動
綾町が価格決定権をもち、それがうまく販売できる産地作りが綾町の有機農業の目標。〓綾町には文化ホール、サッカー場、野球場などがあるが、ここにジュースなどの自販機は置いていない。合成洗剤を店頭に置いても売れない町。
▽宮崎県は44市町村で13農協。単協でがんばっているのは串間の大串農協と綾町だけ。
▽自治公民館は、地域住民の総意によって、住民で運営され、公民館長は地区の総会の選挙で選ばれる(〓市からの任命ではない)
▽馬事公苑では、乗馬教室。サッカー場にはJリーグがキャンプ。野球場では都市野球のキャンプ。
|