2005年6-7月

■負ケラレマセン勝ツマデハ  '58 豊田四郎

 昭和30年ごろの風景がなんとも懐かしい。
 税金を厳しくとりたてる税吏と、あくまで税金をのがれようとする下町の工場のおやじとのかけひきをコメディタッチで描く。
 とにかく役者がすごい。主人公は森繁久弥。淡島千景がいて、エンタツがいて、江戸家猫八、小林桂樹、乙羽信子。大俳優がわき役やちょい役で出演している。
 森繁はじいさんになった姿しかイメージになかったが、若いころの作品を見ると、いかに奇才であったかがわかる。あれだけの癖のある役者がしっかりとはまる、というのは、それだけ脇役陣のレベルが高いからだろう。
 税金のがれをしてるうちに、役所にすべて差し押さえられ、家財道具をもっていかれてしまう。それでも、めげない。「おれにはこの腕があるんだ!」と胸を張り、みんなが努力するとこによって何とかなるさ、という自信が最後までみなぎっている。
 事故が多発する交差点に交通信号をつけろ、と要求し、みずからが交差点にたって交通整理をする。ついには信号を設置させてしまう。町内の人たちがあつまりどんちゃん騒ぎをする。
 この楽観性はなんだろう。幸せな時代だったんだなあ。
 職人がその腕に絶大なる自信をもって、誇りをもっている時代。日本型の家族経営の零細企業が自分たちこそ主人公だと胸を張っていた時代の映画である。

 ■内橋克人「節度の経済学の時代」朝日新聞社 20050701

 「技術大国」と誰もが信じていた時代、著者は、実は「技術大国」なんかじゃないんじゃないか、という記事を書いていた。値上がりしつづける土地を担保に、巨額の資金を手に入れることで、低価格品の大量生産に特化したことによる発展だった。だから、一転デフレに転じてしまえば、日本経済の最大の成長エンジンを失ったようなもの。そう簡単に成長に転じられるはずがない。
 「規制があるからいけない」とか「構造改革をすれば成長路線にもどれる」という大合唱は本質からはずれていると指摘する。
 江戸時代の3大改革は、幕藩体制のタガを締め、幕府の財政を再建するもの、封建体制の温存を図るためのものだった。「公正」や「平等」を旗印に、年貢の取り立ての厳しく(増税)した。その結果、改革のあとには決まって悲惨な飢饉に襲われた。
 「規制緩和」「構造改革」を旗印に、国民に「痛み」を強いる小泉政権下の「改革」はそれに酷似しているのではないか。そしていったい何を「温存」しようとしているのか、と問いかける。
 著者は、地方自治の強化に舵を切った欧州の政治の動きや、食糧やエネルギー自給率が100%を超えるまでになったデンマークなどの動きにあらたな可能性を見いだしている。
 全国の中小企業を徹底的にまわったという取材の積み重ねの結果であり結晶である彼の論文は、いちいち説得力があるとともに、彼我の差を思い知らされる。いったいぜんたい、中小の企業をまわってどんな取材を積み重ねてきたのだろう。
 新聞などに発表した短文の寄せ集めだから、つまみ食いをするように読むのには適しているが、彼の考えの全体像を知るには、書き下ろしの本を読んだほうがいいだろう。 

 
 ▽多くのサラリーマンにとって、自分が失業者の仲間入りをするその瞬間まで、他人事に過ぎなかった。「明日は我が身」の危機感を欠いたサラリーマン、労働組合のこの鈍感な社会意識を追い風にして、「働く自由」の召し上げ、かわって「働かせる自由」の無際限な拡大が進んだ。
 オンコールワーカー 人間労働の究極の合理化策が「1日契約社員」である。社会的給付はゼロ。こういう1日契約社員は30万人を超えたと推定される。カンバン方式が人間労働にも及んだ。
 1日契約社員にも企業は忠誠心を要求する。働き方を監視してランキングして手当に格差を付ける。これでは若いウチに会得すべき職能が身に付かない。熟練も、それをベースとした創造力も開発力もはぐくまれる余地がない。  「クローズアップ現代」で放映。
 ▽ニュージーランド 91年、「同一産業は同率の賃金システム」と定めていた全国協定が突如破棄される。すべての労働者は使用者との間で一対一の個人契約を結ばなければならなくなった。
 ほかの労働者には仲間の賃金の額を知る権利さえないと定められた。労働組合などによる「集団的契約」は使用者が同意したときのみ認められる。だいいち「労働組合」という言葉そのものが法律のうえでは死滅した。
 ▽高利貸し そもそも「出資法」に認められた貸出金利の上限、すなわり年利40%でさえ、他の先進国にはめったに見られぬ暴利だ。
 ▽イギリスでは、86年のビッグバンと前後して、87年ただちに金融サービス法が施行された。日本ですすめられようとしているビッグバンに比べて、規模も範囲もはるかに小さい改革であるのにかかわらず…元本保証のない変動制金融商品の販売は、電話・訪問販売はいっさい禁止。窓口では、特定商品の推奨禁止。株式投信を求めて来店する顧客に対してさえ別の商品の推奨は禁止。最低限の生活費や、なけなしの退職金をハイリスク商品に賭けるような取り引きもすべて禁止の対象。…業者は金融情報と運用の専門家とみなされ、その専門家の貸し手と、シロウトの借りての間にもともと「対等」はあり得ないとする「情報の非対称性」の原則が前提とされているのである。  ビッグバンを避け得ない国際基準と説くのであれば、徹底した消費者保護のための「規制」もまた国際基準であることを、規制緩和一辺倒になびく、わが国の学者、知識人はなぜ口にしないのだろう。
 ▽ワークシェアリングでモデル視されるオランダ。すべての勤労者は「正規雇用の正社員」である。違いは労働時間の長短にすぎない。
 ▽90年代初頭、同じ金融危機に見舞われた北欧諸国は、ほぼ94年から96年までの数年のうちに金融再生に成功した。「会社を潰しても人間は潰れない社会」と「会社を潰せば人間も潰れる社会」との明暗。ルールに従って企業をハードランディングさせても、勤労者が路頭に迷う恐怖はきわめて低い。  フィンランドにおいては、一時的に失業率は18%近くまで達したが現在では3%程度。北欧では地価騰貴といっても、商業地が中心。日本のように、基本的な生存条件である住宅地までもバブルの渦に巻き込んでしまうような狂乱ではなかった。
 ▽旧長銀が、国有化のもとで、問題の「瑕疵担保特約」(譲渡後、3年以内に2割以上価値が減少する資産が出た場合、預金保険機構がその資産を簿価で買い戻す)を結んだ相手は、リップルウッド・ホールディングスという米国の投資会社。預金保険機構が保有していた旧長銀の株式24億株をわずか10億円でゆずりうけた。…経営破綻した旧長銀を一時国有化したとき、公的資金4兆円が投入されている。新生銀行の経営が軌道にのれば、3年後に株式上場することになっており、そのといは莫大なキャピタルゲインが、投資家たちの手元に戻っていくことは間違いない。
 国民負担が1200億円、外資グループの出したのが合計で1210億円。それだけの国民負担を覚悟するのであれば、なぜ同じコストで、いまでは「宝の山」とまでいわれる旧長銀を国民的所有にできなかったのか。
 ▽「いまの日本には酪農家はいません。あるのはただ牛の乳をしぼる搾乳業だけです」真の酪農とは生ける牛から乳を搾り、その家それぞれに伝来の秘宝でチーズや乳製品に仕立て上げて供する。トータルな農業を担うものとして高い誇りと健全な精神の人びとのものであった、と。
 今の搾乳業とは、何百頭もの乳牛を飼育しなければ経営もたちいかず、生み出した乳はすべて雪印はじめ加工業者へとそのまま供給するだけの業になってしまった。アメリカからの輸入飼料に全面依存する、大地から切り離された酪農。
 ▽「規制緩和推進計画」 消費者保護に関する重大な社会的規制までもが急速に見直しの対象とされてきた。93年の平岩レポートでは、「有害物質を含有する家庭用品の規制」「農薬の登録」「消費生活製品の検定、登録、型式認証」「航空機検査」など広範な項目が規制緩和の対象として列挙された。いずれも規制緩和の対象として閣議決定に盛り込まれたものばかり。
 ▽雪印事件 厚生省が導入を推進してきたHACCP(危機分析・重要管理点方式)承認施設のなかでの「例外箇所」、承認の枠外に放置された無届けの「仮設備の部品(バルブ)」においてだった。監督官庁はそんな条件のもとで、なぜ承認を与えたのか。当時、HACCPの承認に当たるべき厚生省の担当官は実質ただの1人にすぎなかったといわれている。行政監督官庁の企業への監視や介入は最低限に限るべし、犠牲者が出て初めて事後チェック体制が機能すればよいという単調な「小さい政府」礼賛論が猛威をふるっていたからです。  ▽完全雇用のもとでは賃下げは困難だが、失業者があふれているからこそ賃下げもやすやすとできる。物価が下がってありがたいと消費者が喜んでいると、やがて賃金も下がる。賃金が下がらないで物価が下がるというのはイノベーション(技術革新)のあった場合だけ。
 社会的規制や環境問題についても、規制がもっとも弱い国の水準へと平準化していく。
 ▽食糧自給率が40%を切っている国は、先進国のなかでも日本だけです。たとえば、デンマークでは食糧自給率300%です。安いところから買えばいい、などと叫ぶ愚かな国がありません。
 ▽サッチャー時代、法人の固定資産税など地方税の少なからぬ部分が国税化された結果、地方の自主財源の割合は80年代末の55%からわずか20%以下に減衰していた。ブレア政権は地方税の徴収額を住民投票によって決める制度を創設し、自治体予算の上限を国が決定するというような地方支配のあり方も見直しはじめた。
 公共サービス民営化の手段としてサッチャー政権が強引にすすめた強制競争入札制度(公共サービス部門を競争入札にし、落札に成功した民間セクターに業務を強制移譲する)は多くの弊害を生んだ。こうれに代えてブレア政権は新たな最適評価システムを導入した。
 ▽衰弱する民主政治復活のよすがを、地方自治の原点を問い直す作業に求める、という思潮は、いまひろくヨーロッパ全域を覆うようになった。…国の法的制約をほとんど受けることのないスウェーデンのフリーコミューンが、地方自治の新たなモデルとしてヨーロッパの国々で関心を集める。デンマークでは一歩をすすめて公共サービスの受け手自身が分権の主体となって、教育や福祉の政策決定から運営まで自己決定する社会が到来した。
 ▽フランスのNGO「ATTAC」 イラク攻撃の現場をいち早く世界に発信した。
 まず住民のなかから飲料水運搬に適したタンク・ローリーの持ち主をさがし、無償で軍用の水を与える。そしての持ち主に有料で住民に販売するよう教える。水を売るなど考えたこともなかった彼等は、水を商品とすることで一躍富を手に入れる。「市場」の旨みを覚える。市場主義の餌付けが行われた。
 イスラムの教えでは、人は「労働の対価以外の報酬は受けてはならない」という戒律のもとに生きている。銀行においても利息をとらない。これは「世界市場化」をもって国益となすアメリカにとって、最大の脅威にほかならない。
 ▽多くの先進国において、民主主義は精神も制度も空洞化、型式化の危機に瀕しておりますが、民主主義を鍛え直す道の一つがフリーコミューンの思想ではないか。
 …デンマーク 石油危機当時、エネルギー自給率は1・5%。ほとんど中東からの輸入に頼っていた。現在はそれが118%。国内消費した残りは、輸出している。食糧も自給率300%。
 ▽ハノーバー万博 博覧会の開催そのものに反対する市民グループを育てるため、市は資金まで出して支援した。異論・反論は「宝の山」と市長は言う。主催の市は、「何をしたか」ではなく「何をしようとしているか」を含む全情報が公開され、最終的には住民投票で開催を決めた。
 ▽8段階の「参加の梯子」 「世論操作」「セラピー(住民の不満をそらす操作:ガス抜き)」「懐柔策」「表面的意見聴取」「情報提供」「パートナーシップ」「権限委任」「住民による制御」。市民・住民の意見を「聞き置くだけ」という日本流ヒヤリングは、さしずめ下から二段目の「セラピー」に相当する。
 ▽92,93年の「経済白書」は、「地価の下落は日本経済に深刻な影響を与えるものではない」といい、専門家の多くは「夜明けは近い」と口をそろえた。90年代不況が深刻になると、「規制緩和」「改革」の大合唱。どお記事も「いっそうの改革を」で明け暮れる。
 こうした結果、長期停滞の真因を「構造改革が遅れているから不況から脱出できない」などという画一的な記事で覆われる。
 こうした「改革天国論」の唱道者の多くはかつての「日本天国論」と同一人物。
 ▽地価上昇こそは、日本企業の含み益の源泉であり、それこそは国際競争力の源泉だった。日本企業にとっての競争力の秘密こそが、悪性バブルを引き起こす根元的な由来だった。  損益分岐点比率は79年当時で70数%。それでも米国ハイテク企業に比べ高かった。89年には85,6%にまで上昇し、92年には90%を超えるまでに上昇。なかには100%を超える産業もあらわれた。
 そんな低収益性のもとで、巨大投資をつづけ、量産効果追求に精を出すことができたのは、「含み益経営」であり、その培養器こそが「土地」だった。絶えず上昇する地価のおかげで、簿価と時価の差を担保に巨額の資金調達をつづけ、やがて、バブルピークには、壮大な新株発行を伴う資金調達に乗りだす。地価上昇が過熱するほど、工場の新・増設に振り向けていくことができた。一転、資産デフレとなると、たちまち成長の限界にぶち当たる。
 76年の名目GDPに対するすべての土地の資産額比率は2・5倍だった。90年には5.5倍に。96年は3.5倍。アメリカは最高で1.1倍、94年は0.6倍。イギリスは88年に1.9倍その後下降し96年は1.5倍。
 ▽アメリカ農業では、バーモント州などほんの一部の例外を除いて、巨大アグリビジネスによる土地の囲い込み、旧農民の追い出しが極限まですすみ、かつてのアメリカ的な、零細な酪農家や農民の働く姿はほとんど見られなくなった。
 ▽江戸時代の三大改革に共通しているのは、幕藩体制のたががゆるみ、新たな勢力が勃興してくる。それに対して再び封建体制のたがを締め直そうとしたこと。基本的には幕府財政の再建が本意だった。「公正」とか「平等」を大義として、増税する。今で言う「透明なルール」が旗印だった。そうした改革のあと、決まって飢饉が襲う。「改革」の名で行われた増徴によって、農民の蓄えが底をついたため、多くの餓死者が出るという結果に終わっている。封建社会という構造そのものを変えようとしたのではなく、逆にたがを締め直して構造を温存するためにこそ改革が行われた。
 小泉の「構造改革」が、何を「温存」しようとしているのか、注意して見届けなければならない。
 ▽マネー市場こそが、アメリカにとって最大の戦略産業となった。その構図は日本経済において果たした「土地」の役割に酷似している。
 日本の不況対策がアメリカの浪費構造を支えている。貯蓄率マイナスのアメリカでなぜ消費が伸び続けたのか。海外からの1日10億ドルものマネー流入によって株価上昇が支えられていたからであり、それのよるキャピタルゲインあってこその消費拡大だった。日本の超低金利政策によって逆ざやに苦しむ機関投資家は、金利の高いアメリカへ資金を移動する。
 ▽国際暴落が抑止されている理由は、金融機関がほとんど無制限に国債を引き受けているからだ。金融機関の保有する国債は81兆4000億円。日銀のそれは70兆円を超える。資金需要が冷え込み、中小企業などへの貸し出しはリスクが高く、不良債権化の危険度が高まるだけだから。大地の上に必要な資金がおりてこない。財務省・日銀・銀行間をつなぐ天空回廊に壮大な資金が滞留している。
 ▽同時多発テロ後、BBCが流しつづけた主題は「貧困」だった。富める国、貧しい国、その両地域に同じ年に生まれた子供らのその後、彼等の生活、生存、声明の現在地を隔てたものは何か〓〓。(ホームレスと医者の息子と)
 ▽日本の膨張型大量生産は、買い手がなければ大量の売れ残りを生み、コストははねあがる。たえず消費を拡大しつづける方策を編み出して行かなければ成り立ちにくい構造に陥っていた。戦略のひとつが、極端に短いサイクルでモデルチェンジをくり返すこと。もうひとつの大量消費の受け皿はアメリカ。供給過剰になった製品はアメリカに低価格で輸出することで、操業率の低下を食い止めた。低価格販売で採算割れになったぶんは、国内で高く売ることでカバーする。
 地価高騰によって、日本企業は世界で唯一コストゼロでの資金調達が可能となった。  「永遠なる地価上昇」によらない経済成長を求めるのであれば、新たな「基幹産業」が必要だ。
 ▽ネット技術が独自の発展系譜を描いてきたのが北欧諸国。「すべての国民が等しくネットの恩恵に浴す。それが国民の権利である」というコンセンサスが成立している。人間に技術を歩み寄らせる。だから技術が進む。新しい技術が社会の必要性に応えるべく創られ、磨き上げられる。これが「技術の社会化」である。
 スウェーデン 腕時計のような端末を、押しさえすれば、病状や怪我の情報が一瞬にして、病院や医師のもとに届く。遠隔地の場合は、患者のいる場所のいる場所にもっとも近いケアワーカーを呼びだし、現場に急行させる。…

森達也「ドキュメンタリーは嘘をつく」20050719

 ドキュメンタリーなんてすべてフィクションさ。真実をうつすなんてまやかしだ。だから、やらせなんて当たり前。堂々とそう言ったらいい。報道とドキュメンタリーを一緒にすることじたいがナンセンスだ。
 「ドキュメンタリーは役者を使ってもいい。台本があってもいい。不可欠な要素は、作り手が作り手であることの自覚だ」という。だから、NHKのムスタンの「やらせ」など問題ではないという。
 じゃあドキュメンタリーとはなにか。
 筆者は、マイケル・ムーアの「コロンバイン」を評価しない。ムーアの前作の「ロジャー&ムーア」は高く評価するが、「コロンバイン」は反ブッシュという立場を明確にしたプロパガンダにすぎない、という。私は「コロンバイン」は楽しかったが、たしかにあれはブッシュをこきおろすという目的と結論が決まっている水戸黄門のような定型ドラマだった。そこには迷いや悩みや戸惑いといった揺れは確かに感じられない。
 ドキュメンタリー映画の歴史と、最近つくられたさまざまな作品を紹介する。
 たとえば「カンダハル」をつくった監督の最近評価された一連の作品は、事実を映像で切り取っているようにみえて、実は俳優をやとっている。そんなことは当たり前なのだ。
 彼自身が「放送禁止歌」や「A」をとる経緯。「人食いの佐川くん」「サッチー」とのつきあいとけんか別れなどの経緯も書いている。
 彼らが取材に応じてくれたのは、ただ単に取材を申し込んだから、というだけだという。だれも取材しようとしなかったのだ。
 ドキュメンタリーは自分の弱みをも堂々とさらす。そうしないとつまらない。そうも言う。
 そういえば、軍事ジャーナリストの加藤健二郎さんも近著でそう書いていた。でもそれが難しい。つい「自分」を排除し、形よくまとめて構成し、完成品にしあげようとしてしまうものだ。だから最近の新聞や雑誌はつまらないのかもなあ。


 ▽1962牛山らがはじめた「ノンフィクション劇場」。大島渚の「忘れられた皇軍」。「日本人として従軍し、戦後韓国籍に帰ったがために日本の社会保障も十分に受けられず、白衣の傷痍軍人として街頭にものごう韓国人の話に私は飛び付いた」
 「南ベトナム海兵大隊戦記」スパイ容疑で捕らえられた少年たちが拷問の末に首を切り落とされるシーン。少なくともかつては、生首や死体の映像はテーマによっては放送できたことを、メディア関係者は覚えておいたほうがいい。〓
 「すばらしい世界旅行」(1966-90)制作にあたって牛山は、地域別に担当者を決め、毎年6カ月以上滞在させて撮影対象の人々と共に生活させ、さらに10年間は担当をかえないという徹底した現場主義を押し通した。