200512

■森達也「世界が完全に思考停止する前に」角川書店 20051201

  私たちは、いつのまにか「ちょっと前」のことを忘れてしまっている。
 ちょっと前、「日米同盟」などというのはタブーだった。右派のメディアでも「同盟関係」という程度だった。今は大手をふってまかり通っている。
 新聞では、「朝鮮民主主義人民共和国」という正式名称を初出では記し、「北朝鮮」とだけ表記するのはダメだとされていた。それが、02年の日朝首脳会談以降、ほとんどのメディアは正式名称との併記をやめて「北朝鮮」という単独表記で統一しはじめた。同じ時期に「北朝鮮拉致被害者等支援法」が成立したが、当初の名称は「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に拉致された……」だった。立法に関わった自民党議員は「外交関係がないのだから、わざわざ正式な国名を用いる必要がないと判断した」と説明したという。
 筆者はこうした具体的な変化を記録し、問題提起している。歴史、というほどさかのぼる必要はない。たかだか20年の動きを振り返るだけで、今という時代がどういう方向に流れてきているのか、わかる。わかるはずなのに判断停止している、ということもわかる。
 「被害者感情」を背に、北朝鮮への人道支援停止を求める動きが強まり、「(犯罪者の)親なんか市中引き回しの上、打ち首にすればよい」(鴻池防災担当大臣)などという大臣発言がまかり通ってしまう。実際人道支援を止めたらどれだけの人々が餓死することになるか、犯罪加害者の親族たちがどれほどつらい思いをして生き、あるいは自死しているか、という想像力がそこにはない。だが、「被害者の思い」や「遺族の思い」を持ち出されると反論しにくいのも事実だ。
 筆者はこう言う。
 −−遺族や被害者が報復感情をもつのは当たり前だ。でも主語を喪った憎悪は実のところ心地よい。だからこそ暴走するし感染力も強い。虐殺や戦争はこうして起きる。でも渦中では、主語がないからこそ実感は薄い。誰もが終わってから呆然と天を仰ぐ−−
 −−被害者の遺族と加害者の家族とを対置すべきじゃない。どちらも極限状態にいるはずだ。自ら命を絶った加害者の家族は、少なくともあなたの想像よりは遙かに多い。愛する家族が犯した罪への応報で追いつめられ、更には打ち首まで要求される加害者家族にとって、今のこの社会はまさしく生き地獄だろう−−
 具体的な他者への想像力、「人間として」個人個人が判断する大切さ、歴史から学ぶけ謙虚さを、淡々と、しかし繰り返し訴えているように思えた。


 ▽「救う会」に権力を与え「家族会」を聖域にしてしまったのはメディア自身だ。
 ▽フセイン像の倒壊 綿井が、最初像にロープをかけた男や台座を壊し始めた男などの市民のその後を取材した。米軍が状況に荷担したのは事実だったが、ねつ造された状況とまでは断言できないようだ。
 ▽若い女性を強姦し、捕虜を嬲り殺しにした皇軍兵士たちが……好々爺となった今から回想する。……どうしてあんなことをやってしまったのかなあと首を捻る。
 「スペシャリスト」でも、アイヒマンはしょぼくれた中間管理職といった雰囲気で、命令だったから仕方がなかったと消え入りそうに繰り返していた。……この背景にあるのはイズムの相克でもないし信仰の狂熱でもない。国家への愛着でもない。
 言葉にすればただひとつ。それは麻痺だ。
 ▽「不法滞在者」。かつてなら「オーバーステイ」と呼称されていた。
 「日米同盟」 かつてはそうは言わなかった。「同盟関係」との言い方はあったが、いつのまにか「関係」の二文字は消えている。
 テロ。地上から軍事ヘリを撃墜することはテロで、大量破壊兵器で民間人を巻き添えに軍事施設を攻撃することが軍事行為なのだとしたら、その線引きがさっぱりわからない。
 ▽フセインの2人の息子が米軍に殺戮された。開戦直後に米兵捕虜の映像を公開したイラクをジュネーブ協定違反と激しく批判したアメリカは、2人の息子の無惨な遺体写真を公開した。
 ▽慢性的な飢餓に苦しむ北朝鮮と砲撃におびえるイラクの国民の間に、命の軽重があるはずがない。なのに北朝鮮への人道支援を止めろと拳を振りあげる人がいる……遺族や被害者が報復感情にとらわれるのは当たり前だ。この感情を社会が共有しようとするとき、主語がいつのまにか消失する。本当の憎悪は激しい苦悶を伴う。でも主語を喪った憎悪は実のところ心地よい。だからこそ暴走するし感染力も強い。虐殺や戦争はこうして起きる。でも渦中では、主語がないからこそ実感は薄い。誰もが終わってから呆然と天を仰ぐ。
 ▽2002年の日朝首脳会談以降、ほとんどのメディアは正式名称との併記をやめて「北朝鮮」という単独表記で統一しはじめる。同じ時期に「北朝鮮拉致被害者等支援法」が成立した。当初の名称は「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に拉致された……」だった。略称だけが残った。立法に関わった自民党議員は「外交関係がないのだから、わざわざ正式な国名を用いる必要がないと判断した」と説明した。
 ▽鴻池防災担当大臣「親なんか市中引き回しの上、打ち首にすればよい」。被害者の遺族と加害者の家族とを対置すべきじゃない。どちらも極限状態にいるはずだ。自ら命を絶った加害者の家族は、少なくともあなたの想像よりは遙かに多い。愛する家族が犯した罪への応報で追いつめられ、更には打ち首まで要求される加害者家族にとって、今のこの社会はまさしく生き地獄だろう。
 ▽亀井静香は意外にも死刑廃止を唱えている。警察官僚としての経験で、冤罪が作り上げられる過程を身をもって体験しているからこそ、反対している。
 ▽「A」に対して、「あなたは地下鉄サリン事件の遺族の気持ちを考えたことがあるか」という。「あなたは遺族なのですか」と訊ね返せば「そうではない」との答えが返ってくる。「ならば遺族を主語にするのではなく、あなたの感想をまずは聞きたい」と言っても答えはない。ほとんどの人は、自分の気持ちなどどうでも良いとばかりに怒り続けるが、そうでなければ、きょとんとしている。
 ……「我々」や「国家」、「国益」や「公」などの語彙に主語を譲るとき、きっとこの国は過ちを犯す。架空の話じゃない。過去に何度も体験しているはずだ。
 ▽アゴヒゲアザラシが河川に迷い込んだことなど、珍しくない。騒ぐことが不自然なのだ。凝視すべきはタマちゃんや白装束集団ではなく、彼らの存在によって剥き出しにされる市民社会であり、それに従属しながら狂奔するメディアや行政なのだ。
 ▽原田正治「弟を殺した彼と、僕」(ポプラ社) 加害者にも家族はいた。マスコミの誤報がもとで姉は自ら命を絶ち、幼かった子どもも成人してから自殺する。憎悪は連鎖するばかりで誰も救わない。こうして被害者遺族である原田は、死刑廃止運動に取り組み始める。
 ▽ジェームズ・ナクトウェイを描く「戦場のフォトグラファー」 自分の写真は戦争をなくすための特効薬だと語る。……本編中には、家族を空爆で失って泣き叫ぶ女たちを、非情なまでの至近距離で撮影するナクトウェイの姿が映し出される。
 ▽ベトナムの王族 フランスへのレジスタンス活動への援助を請うため、日露戦争で勝利したばかりの日本を訪れ、それから二度と故国へ戻れなかった。
 ▽沖縄戦のもうひとつの特色は、日本兵による民間人虐殺だ。……住民は上陸した米軍に保護されて仮収容所に入れられた。飢えとマラリアで消耗しきっていた住民たちに、米軍は毛布や缶詰などを配給したという。ところがその日の深夜、敗走してきた日本兵たちが闇に紛れて収容所に現れ、住民たち全員をひとまとめに集めて手榴弾を投げ込んだ。生存者は90人のうち10人にも満たなかった。翌朝現場を発見した米兵たちは、何が起きたか理解できずパニックになったという。……
  「ひとつには彼らが、他国を侵略する軍隊としての訓練しか受けてこなかったことである。……敵の領土では住民はすべて潜在的なスパイと見なされなければならなかった」
 ▽本土復帰後、そば粉を使っていない沖縄そばは蕎麦ではないと、呼称が禁じられた時期もあったという。しかし根気づよく運動した結果、昭和53年に公正取引協議会から正式に「沖縄そば」の呼称認定を受けた。

■森達也「A−マスコミが報道しなかったオウムの素顔」角川文庫 20051221

 「異常な集団」であるオウムの側からカメラを社会の側に向けたとき、今の社会の異常さが浮き彫りになってくる。
 たとえば、微罪逮捕。オウム信者を暴行して失神させておいて自分が暴行されたふりをして「公務執行妨害」で逮捕する。それを見ている人は「いいぞいいぞ」「人間じゃねえんだからよ。殺されても文句なんか言えねんだからよ」とはやしたてる。テレビに出てくる知識人も同じような調子で罵倒する。例外なくだれもが享受できるからこそ「人権」であるはずなのに。(犯罪を犯していない)オウムの信者の日常をたんたんと描くだけで、社会の側の「オウム化」が見えてくる。
 「破防法はどうなるんすかねえ。やるならやるで早くやってもらわらないと、落ちつかないんよねえ」といった調子で、国民の8割が破防法適用に賛成するという事態になってしまう。
 大新聞の記者という特権をかさにきて、「あんたがた記者クラブの人間じゃないだろう! 一体誰の許可をもらって会見を撮影していたんだ」と筆者らに威張り散らす若い記者。撮影されることを頑なに拒み続ける荒木浩に「でも私たちにだって報道の自由があるんですからね」と甲高い声をあげる女性ディレクター。マスコミの側では「当たり前]」とされてしまいがちな言動が、ちょっと視座をかえるだけで、安っぽく薄っぺらで空虚なものであることがわかる。
 「絶対悪」とされたオウムを相対的にとらえようという筆者の試みは、テレビの現場では拒まれつづける。
 制作会社の上司からは、「反オウム」の立場を鮮明に出すことを求められる。そうしなければ番組にさせない、と恫喝される。だが筆者は「施設の中と外、その光景を等量に見る。その視座を手放すことは、この作品の本質を放棄することと同義なのだ」と突っぱね、テレビで発表する道を失った。
 テレビ局の契約を打ち切られ、3人目の子どもが生まれるというのに収入の道をたたれる。発表のめどさえたたない取材をつづけるほどつらくて不安なことはない。
 オウムに信頼されることでドキュメンタリーを撮れる。でも、オウムに信頼されることに対しては慎重でなければならない。どの程度の距離をとったらいいのか、筆者自身も迷う。その迷いをそのまま文章にしているのにも共感を覚えた。

 「地下鉄の車両でビニール袋に傘の先を突き立てる行為も、エイズ感染の危険性を熟知しながら血友病治療の非加熱血液製剤の輸入を黙認していた行為も、不当逮捕の瞬間を撮影されていることを知りながら逮捕した信者を釈放しようとしない行為も、すべては同じ位相なのだ」  

 
  ▽「どうして君はこのドキュメントの企画書を私に提出しないんだ?」 「出したじゃないですか」……「自分が何を撮ろうとしているのか、どうも君にはその自覚が足りないように私には思えるんだけどね」……「オウムは殺人集団なんだ。そのドキュメントを撮るなら、それなりの理論武装と方法論が必要なんだ……反オウムのジャーナリストを積極的に起用することだ。次に信者の日常を撮るのなら、被害者の遺族や信者の家族は必ず取材して、社会通念とのバランスをとること。……これが条件だ」
 ▽(自宅に荒木からTEL)自宅の電話番号を教えることには習性的な忌避感が実はあった。しかも相手はオウムなのだ。しかし……

菅沼栄一郎「村が消えた」祥伝社新書 20051217

 同じ名前の市町村ができたとかできないとか、といった騒動の背景には、こんな制度的背景があったのかぁ。昭和の合併後、定期的に役場の位置を引っ越しをしてるところがあったんだ。飛び地の村もあったんだなあ。役場職員の給与をほかの4分の3に減らすことで雇用する職員数を維持するワークシェアリングの村が実際にあったんだ……
 おもろいなあ、なるほど、というエピソードがそこかしこにちりばめられている。
 新聞社で調査しただけあって、村がいくつ残ってるとか、分村合併がどこにあるとか、飛び地合併がいくつあるとか、資料としてはおもしろいし役にたつ。
 でもなぜだろう。
 だからどうしたの? と読んでいて問いたくなる。食い足りないというか、中途半端というか。中二階的というか、薄っぺらというか。
 鳥の目と虫の目のうち、鳥の目だけが異様に発達し、地べたに住んでいる人々の息づかいがまったく伝わってこないのは不思議なほどだった。


  ▽三重県の美杉村 西端の太郎生地区は集落あげて、峠を越えた名張との分村合併を主張した。村議会が否決した。
 ▽山口県旧旭村は、昭和の合併で2村がいっしょになって以来40年、1,2年に1回、15キロ離れた役場の引っ越しを繰り返した。96年に現庁舎に落ち着くまで引っ越しは計23回した。高知県東洋町は、2年交代で26年目に中間点に落ち着いた。
 ▽新潟県上越市は「みなし過疎」に。合併した13町村のうち9町村がもともと過疎で、その合計面積が新上越市全体の半分以上を占めたため。
 合併で人口19万5000人になった釧路市も「みなし過疎」い。
 ▽野中「北海道は革新知事が続いたため、時の自民党政権が、北海道開発庁というクッションを置いて、ここで、国道から何から全部所管するようにしたわけだから。……その下請けが道庁だから。だから(北海道をモデルにした道州制特区は)進まない。まず開発庁をなくさないと。ここに入ってる経費を全部北海道庁にやったら、彼らはよみがえりますよ。
 ▽上越市 地域協議会という「議会」を旧町村に設けた。無報酬の「議員」。今までの町議選は、地区推薦で、区長や各種団体の了解を得て出るのがフツウだった。今回はだれが手を挙げるか皆目見当がつかない。……定数に満たない3地区では、不足分の委員を市長が任命して補った。女性と若者を多く送り込んだ。
 ▽韓国では、永住権を獲得してから3年以上滞在する19歳以上の外国人に、地方選挙の投票権を認めた。
 ▽広島県の旧高宮町川根 人口700人の地域で、自分たちでスーパーや宿泊所などを経営。04年に合併した安芸高田市は、川根のような「小さな自治」を旧6町すべてに根付かせようと、計32の自治組織づくりを進めている。
 ▽矢祭町 合併しない。3役の給与を総務課長と同じに。その後、収入役と教育長は廃止。職員全員にトイレ掃除当番。しかし、窓口サービスは土日もあけて年中無休に。平日は午前7時半から午後6時45分まで開庁。全職員の自宅で、税金の支払いや住民票交付を受け付ける「出張役場」も。
 ▽和歌山県北山村 平成合併以前は、日本で唯一の飛び地の村だった。和歌山県境からはみだして、奈良県と三重県に囲まれている。
 ▽大分県姫島村 役場の給与が、周辺町に比べて低すぎて合併できず。ほかの4分の3の給料にすることで、雇用を増やし、村で食べていけるようにした。高齢者生活福祉センターで働く35人は、給与も出勤日も半分ずつわけあっている。〓〓
 ▽長野県泰阜村
 ▽海外の市町村合併(p203) 柏原誠・大阪経済大講師  自治体の減少率は、スウェーデンが9割近い。韓国や英国も合併が進んだ。一方、フランスは5%にすぎない。日本は、合併は進んでいるが、自治体あたりの人口は1−4万人となお中規模な国。