マスコミの記者も所属する会社をこえて連帯する時代があった。そのことが新鮮であると同時に心に重くのしかかる。
自分が自信をもって記事を書き続けているときは「オレはがんばってんで」と言えるから記者同士の交流が心地よい。だが、スランプに陥ったときはしんどい。支えあい、研鑽しあう関係を築けていない、ということだ。
書いた記事がなかなか載らないとき、会社あるいは上司の壁とぶつかったとき、周囲の「状況」のせいなのか、自分の取材力のなさのせいなのか、迷う。「状況」のせいにして甘えていてはいけない。かといって「自分」のせいだけにしては状況に切り込めない。
圧倒的な能力があれば、状況(敵)と対峙するのはたやすいが、私を含めた大部分の記者はおそらく、「オレの能力がないから伝わらないんかなぁ」と悩み、落ちこむ繰り返しなのだ。
でも、政治や経済もマスコミ内部の状況も、そんな繰り返しだけではすまない状況になってきた。憲法や教育基本法といった問題に有効に対処できないもどかしさにおそわれる。「会社」は、記者が社外に自らの意見を発信することを制限したり、サラ金業者から金をせしめて紙面づくりをしたりと、ジャーナリズムの根幹をぶち壊す方向に動いていく。能力給の導入もあってか「上」ばかり見る記者が増え、「敵」があいまいになると同時に「味方」が誰なのかも見えなくなってくる。
記者が個々に孤立していてよい時代ではないと痛切に思う。でも、記者同士が「連帯」して何ができるのか、何をしたらよいのか、具体的なイメージがわかない。
斉藤茂男さんが主催していた「イチゴ会」、名古屋や広島の取り組みなどを読むと、たしかに「記者の連帯」が存在していた時代があったのだと気づくと同時に、今でもなにかできることはあるのではないか、というかすかな希望もわいてくる。
たぶんその方向は、安保闘争当時の「大状況」を切るような華々しいものではないだろう。「平和」や「平等」という言葉が「時代遅れ」と切り捨てられてしまう時代なのだ。
国策の名のもとに切り捨てられる過疎地の年寄りや、都市の野宿者、自分の生き方を見つけられない若者たちの悩みと向きあい、一緒に落ちこみ、佐野眞一さんの言葉じゃないけれど「小文字言葉」でつづっていくことしかないなのだろうと考えている。
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