消えた村に思う
帰りは今宮道を降りることにする。
14時45分発。ほんの数分はウグイスなどの声がにぎやかな広葉樹を逍遥する気分だが、まもなく人工林に入る。
枝打ちをしないまっすぐな木がひょろひょろと一直線に天にのびる森には、鳥の声さえほとんどしない。「矢倉王子社」とかなんとかいくつもの小さな社があり、黒川谷(登り道)よりは整備されている。が、人工林を歩くのはなんとも味気ない。谷筋をのぼる黒川谷とちがって、尾根のわきを下るから水場もない。
途中、樹齢800年とも言われる大杉を経て、15時35分ごろ、今宮の集落の突端に着いた。杉林のなかに暗くただずむ家々は土台の方から朽ちてきている。
道沿いには点々と墓がある。この集落も昭和30年代は登山客でにぎわったのだ。たぶん10数年前までは人が住んでいた。人が住まなくなると、あっという間に家は朽ち、森のなかに没してしまう。かつての住民がこの光景を見たらどんな思いをするだろう。
途中、2車線分の幅はある大きな林道「西之川線」を横切った。あれ、まさかこの道、スカイラインとつなげるため土小屋方面につなげようとしてるんではあるまいな。いやーな予感がする。
道に落ちた杉の朽ち葉の間から、白いコマクサのような花が頭をもたげている。緑の葉をもたず、植物というよりキノコに近い。何となく幽霊のような生気のなさを感じる。
何百年と人々が暮らし続けた村が、戦後の4,50年で亡くなってしまった。 たぶんこんな例は日本全国にちらばっているのだろう。
山村や農村を切り捨てて「発展」してきた日本の在り方を考えながら、16時20分、今宮道の登山口「河口」に到着した。