奈良井
昨夜から大雨、起きても大雨。梅雨のよう。民宿では例年の夏はトウモロコシを出すとと喜ばれるが、今年はぜんぜん実が入らないという。
これだけ雨が降ると御岳山登山はできない。どないしよ。どこ泊まろ。じとじとざざざとふりつづく雨がうとましい。とりあえず、奈良井宿に向かうことに。
8:45発。広々とした開田高原は、白樺の白が目にまぶしい。白樺の色が鮮やかなのは、空気がきれいな証拠だという。平地が多いから水田も広がり、このへんでは豊かな土地なのだろう。
40分ほどで国道19号に出て、道の駅で酒の試飲をした。はちのこや熊の油も魅力的だったが、レイザルの目がコワイからやめた。
10:20 奈良井の500円の駐車場に車を置いた。
木曽川に沿って走る中央本線沿いにあるが、線路側からは普通の家にしか見えない。旧街道に面する表側だけ、昔ながらの装いをしている家が多いようだ。
近在では一番規模の大きな宿場町だった。馬籠、妻籠の比ではない。
町並みの入り口の古びた資料館を見たあと、旧道を散策する。
2,300メートルに一カ所、水飲み場があるのが楽しい。東屋の下に、山水がこんこんと、木や石の容器に流れ込んでいる。旅人ののどをうるおすとともに、消防のためでもあった。
軒先には簾とお盆の提灯がぶらさがっている。漆器の店や民宿がよく目に付く。
「マリア観音」の看板を見つけ、山側の路地を入った大宝寺?へ。
「受け付け100円」とある。100円しかないから、2人で100円だけ払って入ろうと思ったら、袈裟を着た坊主が出てきた。しゃあねえなあ、と
「お釣りあります?」と訪ねると、財布をあけて「1枚2枚」と数えて手渡しやがった。
「この寺をいつできたんですか?」ときくと、「その紙に書いてあります」とパンフを指さしてえらそうに答える。たぶん本人も覚えてないのだろう。
「マリア観音を見た後、本堂をごらんください」
僕らの後に、数人の観光客が来た。坊主とおばさんが「受け付けしてください!」と大声を出している。「受け付け」といっても、名前を書くわけではない。要は金を払えってことだ。姑息な表現だね。
「お気持ちを」とでも書いて、缶でもぶらさげて、本人の意志に任せるのが寺ちゃうんか。たいした文化財があるわけじゃなかろうに。
石づくりのマリア観音には頭が折れてなくなっている。観音に抱かれた赤ん坊が手にもった枝のようなものがクロスのように見えるという。そう見ようと思えば見えなくもない。捨てられていた観音を、昭和になってから再発見したんだそうだ。
この寺の見物はこれだけ。本堂はそこらの田舎寺。庭園といっても、軽自動車が並んでいる。マリア観音がなければ100円も払って来る人はいないだろう。
「キリストにくわしてもらってる寺やな」といったら、後ろから坊主が出てきた。「神仏混淆か、日本人らしいよ」と、今度はちょっと大きな声で言ってやった。
気温15度。道理で寒いわけだ。
ごへいもちやら、ソバやらを食べ、一路埼玉を目指すことに。(完)