かつては住友銅山の社宅が並び、数千人の住民でにぎわったというが、今は無人の里だ。小学校跡地は「自然の家」になり、社宅が建ち並んでいた場所は、資料館などの観光施設が建っている。
氷をタップリいれたテルモスと、昨夜ペットボトルにつくった1リットルのゴーヤ茶を持って、午前8時半に歩き始める。
標高1500メートルの屏風状に連なる山脈を、銅山が華やかなりしころは、トンネルがぶち抜き、「籠電車」というトロッコ電車が往来していた。そのトンネル「第3通洞」の入口は赤れんがで飾られている。
資料館を見ると、明治から昭和40年代はじめまでの東平のにぎわいがよくわかる。僕が生まれたころまで、ここではチャンバラごっこを楽しむ悪ガキが群れていたのだ。
尾根道と谷道の分岐に出て、谷道を選んだ。明治時代はこの急坂を銅石を積んだ牛が通っていた。ハイキングじゃなくて、日々の糧を得るために往来していた。
石が敷かれた登山道を1時間ほど歩くと、銅山峰ヒュッテの近くに出る(9時40分)。ここで、稜線まで一気に登る近道を選んだ。
ここまでと違い、ガレガレの山道だ。下山に使ったらさぞや滑るだろう。汗だくになりながら35分で見晴らしのよい稜線に出た。
南側の眼下には旧別子山村のダム、西側は石鎚の山稜が連なり、東はおそらく徳島の剣山方面が見えている。北を振り返れば瀬戸内海が広がっているはずなのだが、北風のせいで雲がわき、見えなかった。
10時25分発。稜線の登山道は小さなアップダウンをくり返す。
コケモモのような白い小さな花、タンポポを繊細にしたような黄色い花、リンドウのような花……、足元の彩りがうれしい。最後の5分ほど急な岩場を踏ん張ると、西赤石山の山頂(1626メートル)に出た(11時50分)。
見たこともない蝶の乱舞とアブの羽音に囲まれてコンビニの握り飯をほおばる。冷たいお茶は喉に心地よい。
11時45分、下山開始。さっきの近道との分岐を通り越し、春にはツガザクラが白い花を一面に咲かせるという稜線を銅山越まで1時間かけて歩く。
銅山越の峠には、石垣に囲まれた石のお堂がある。霧が周囲をつつみ、耳がツーンと鳴る。
宿泊施設の銅山峰ヒュッテまでは20分ほど。その途中に、古い石の墓が十数基林立していた。なかには「無縁仏」の文字もある。
下山は尾根道を取る。谷道ほど整備されていないが、道に迷うことはない。1時間弱で東平に帰り着いた。 帰りはマイントピアに寄って風呂に入るのもよかろう。