切支丹息づく天草B

1999年2月

漁村の教会

 国民宿舎から10キロほど南にくだると大江という集落である。駐車場に車をとめ、小高い丘へと石段をのぼる。ツルツルの葉の照葉樹のトンネル、かすかに甘い香りが漂っている。目をこらすと、ところどころ赤いツバキの花がある。
 丘にのぼると展望が開け、漁港がのぞめる。真っ白なゴシック建築の教会がまぶしい。なかに入ると、ステンドグラスが織りなす光線が幻想的だ。保守的である九州の、さらに保守的であろう漁村に、ヨーロッパ風の教会が建ち、村の人が結婚式や葬式をあげている。隠れ切支丹の伝統がいまも息づいているのだろうか。
 ひまそうな土産店の隣に「バテレン食堂」という看板がある。罰が当たらんのかいな。
 大江から5キロほど海岸線を走ると崎津という集落に出る。せり出す山と海の狭間のわずかな平地に開けた漁村である。
 「教会」の看板に従って、木造の家が軒を連ねる路地に入ると、50メートルほどで海に出てしまった。おっちゃんが1人、海に向かって立ち小便をしている。数十歩引き返すと、軒先にぶらさがる洗濯物のすき間から教会の尖塔が見えた。
 ゴシック調の建築だが、鮮やかな白の大江の教会とちがって茶色がかった落ち着いた色彩である。隣の保育園では子どもが歓声をあげている。教会のなかはステンドグラスに彩られている。ヨーロッパ調の建物なのに、信者が祈る広間の部分がすべて畳敷きなのが興味深い。
 目の前に木造の民家建築の資料館がある。踏み絵やら硬貨で作った十字架やら、昔からの信者が持ち寄ったらしい「本物」が展示してある。昨日の「メモリアルパーク」とは大違いだ。職員はいない。勝手に見て、木箱のなかに入場料を落としていくだけだ。天草のキリスト教徒の歴史が身近に思えてくる。
 帰途、五橋の一番熊本市寄りの橋を渡る直前にあるチャンポンの店「大空食堂」を探す。国道からわき道に入り、漁港のまわりを200メートルほどグルリと回ったところに大きな看板があった。太い梁が黒い瓦屋根を支える漁師の家。土間の部分にテーブルを並べ、ふすまをはずして和室にも客をあげる。
 チャンポンと皿うどんをたのむ。皿に山盛りには驚いた。ざく切りのキャベツが甘く、エビや豚肉もたっぷり。薄味でしつこくない。一杯で腹いっぱいになった。

 

崎津のカトリック教会。隣は保育園になっている