大雪の山上の湯 6

2001年7月18日

旭岳山頂

  目の前は旭岳の巨大な斜面、後ろは熊ケ岳の岩稜がそびえる。
 キックステップで段を作りながら雪渓をゆっくり登る。安物のハイキングシューズだから足先がしだいに冷たくなってくる。でも、3分の2ほどが雪で覆われていてガレ場登りが少なくて助かった。
  残りの3分の1は、細かい溶岩の軽石?だから、ずるずる滑りながらのぼる。これを下るのは怖いだろうな。
 14時20分、山頂着。霧に覆われている。晴れ間が出るのを待つことにする。
 コーヒーをわかして飲んでいると、たまに霧がとぎれて、熊ケ岳や北鎮岳方面が見える。20秒ほどするとまた霧のカーテンに覆われてしまう。わずかな幕の切れ目をぬうように、あわただしく記念撮影する。15時05分、三角形の黒岳の頂上が一瞬姿をあらわした。
 これで満足して下山を開始する。一気に600メートルの下降だ。
 かつて木ぎれで地面に描いた「SOS」の文字を残して男女が相次いで遭難死した事件があった。頂上から降りるときに目印である「金庫岩」と間違えて、直前の「ニセ金庫岩」を目印にしてしまって、急斜面を降りてしまったとされる。僕も15年前、濃霧のなかで危うく間違えそうになった。その岩の部分には、ロープが張ってあった。これなら迷いようがない。
 噴煙をあげる地獄谷を横目にくだり、避難小屋を改築中の旭岳石室のわきを通り、1時間15分ほどでロープウェー駅に着いた。
 泊まりは「大雪山荘」。1泊2食6800円。以前はお役所の保養所だった建物を借りて、1年前にオープンしたばかり。占冠村出身のオーナーは、近くで25年間別の旅館をやっていたという。
  建物は古いが、部屋はきれい。ふろは1つだけだから、男女順番に入ることになる。昨夜のホテルよりも湯は熱めだが、気持ちよい。
 食事は派手さはないが、手作りできっちりした味付けになっている。
 オーナーの40歳代後半のオヤジの独演会を聞いた。「占冠の家には、子どものころは電気もなかった。家には断熱材がないから、冬の朝は、掛け布団の息が掛かる部分が、バリバリの凍っていた……」。工業高校を出て、大学に行くため3年間、東京で新聞奨学生で勉強をした。だが進学はやめ、父が始めた旅館業を始めたという。
 ビールと日本酒をたっぷり飲んだ。夜中、ちょっと気分が悪くなって、もう一度ふろに入った。
 だれもいない浴槽からザザザザァと透明な湯があふれ、肩までつかると肌にヒリヒリとしみて、顔面からサラサラの汗が吹き出す。窓の外は漆黒の闇夜。なぜか心が凛とする。
  宗教の「みそぎ」という言葉が頭に思い浮かんだ。

間宮岳から

 

熊ケ岳をのぞむ、旭岳の裏のキャンプ指定地

 

旭岳の雪渓