鉄条網
島のの灯台に向かう。牛小屋に巨大な扇風機がついているのは沖縄らしい。灯台の手前約200メートルのところで鉄条網に阻まれた。「US…」の看板。米軍基地である。鉄条網が島を南北に切っている。
基地に反対する住民が建てた「団結小屋」は、闘争のなかで青年を教育する場だったという。隣の家の門柱の上にはカラフルなシーサーがにらみをきかす。
老婆が1人ラッキョウを掘っている。40歳くらいの息子がトラックで来た。
「いろいろ考えがあるけどね、俺は、飛行機の音が聞こえない日は寂しいよ。パラシュートの訓練くらいだから危険はないしね。時間がたってみんな慣れてしまったんだ」
だが母親は、慶良間の収容所に行かされたことがあるという。
島の北側の大半は米軍の敷地だが黙認耕作地になっている。海沿いは断崖絶壁がつづき、展望台やユリの花が咲き乱れる公園がある。そのまま東側へ走る。
「ヌチドゥタカラの家」
平屋建ての古びたコンクリートの建物に、米軍の砲弾や模擬原爆、ヘルメットなどが無造作に並ぶ。
土地の強制収容のときの資料やビラ、横断幕などが生々しい。
「米兵との接し方」という張り紙には、
「日本の側が原因を作ったことも忘れないこと。…人格的には農民の方が上であることを自覚し、子供を諭すように話すこと」などと書いてある。
農民であることの誇りと、忍耐と、やさしさ。米軍側がムラの分断をねらって若者を見張りとして雇ったときも「ご苦労さま、強奪された土地をきっちり見張ってください」と励まし、若者たちはこっそり基地の情報を流すことさえあったという。
城山は島1番の高台だ。戦時中は軍の基地がこの地下にあった。
中腹で自転車を置き、15分ほど急な階段を登る。島全体が見渡せる。西側には滑走路が3本見える。戦時中「要塞」だったからこそ、無数の軍艦に囲まれ、爆弾の雨を降らされなければならなかった。島を囲む海に無数の軍艦が浮かぶ光景が脳裏に浮かぶ。
完