クロレラで島起こし
は本当は美術学校にいきたかった。21世紀のダ・ビンチになって文芸復興の担い手になろうと思ってた。でも戦争に行って、「絵はぜいたくだ」と思い、描く気をなくしてしまった。
昭和21年に帰国したが、敗戦で天皇制って拠り所を失って何をしてもおもしろくない。そんなとき野球大会を見た。「そうかスポーツ精神があった。ベストを尽くせばいいのか」と思えた。やってみて失敗したらあきらめがつくけど、やらなかったら腐ってしまう。それで絵を再開したんだけど、父が「みっともない」と言うから、親孝行と思って、父が生きてる間は中断することにした。
何をやろうか考えた。商売は、ごまかしがあるから将来絵を描くのにマイナスになる。命を育てる農業をしようと決めた。
沖縄は薩摩芋ならば負けない。たんぱく源がほしい。畜産にしよう。飼料も自給しようと思った。
水牛は、エサをやる必要はないが、一定時間ごとに川の水で体を冷やさないといけない。観察してるときれいな川の水を飲まず、弾痕にたまった生温い青い水ばかり飲む。なにかある、と思った。これがクロレラだったんだ。
糞尿でクロレラを培養していた埼玉の秩父の施設に通った。クロレラは光合成をする。海を使うマリンクロレラだったら無尽蔵の海とリーフがあり、温暖な石垣は最適だ。畜産立国にできる。クロレラの一大産地になれば、米軍基地もいらない。そう考えた。
(家の周囲の)福木を見てごらん。
根は直根。折れても倒れない。昔はオバアがが落ち葉を串刺しにして拾って、それで茶をわかしたもんだ。木の皮は染料になり、切り倒せば建築材料になる。
枝が上を向いてるから、風を下に吹き下ろす。涼しいから、子どもが木陰で宿題したり、オバアが機織りをしていた。戦争中に桟橋などを作るために軍が木を切ってしまいずいぶん殺風景になった。
いま熱帯農業研究所で、福木にマンゴスチンを接ぎ木する研究をしてる。風に強いからうまくいけば素晴らしいね。
(写真を撮ろうとしたらオジイは断った)
形あるものは忘れ去られるべし。自分の銅像なんか作る人がいるけど、子どもには大事にされても孫からは蹴飛ばされるよ。形あるものは土にかえってしまったほうがいい。
【つづく】