月下のスケベおやじ
1時間ほど泳いでから、展望台にのぼる。夏を惜しむように水平線に真っ赤な閃光を残して日が沈む。薄闇に蜻蛉が乱舞している。空の深さと高さが秋を感じさせる。
東の山の端からは、中秋の名月にあと一歩という月が顔をのぞかせた。
風呂は、檜よりも効果があるというマキノキである。ランプの灯が揺れ、木の香に包まれ、眠くなってくる。
夕食は魚や野菜、肉を炭火で焼いてくれる。食卓のランプの灯が酒を全身くまなくまわすのか、心の奥まであたたまる。食堂の大きな窓から、大きな月の冷たい光線が降り注いでいる。
関西人のTさんに影響されて覚えたらしい、Kさんのヘタクソな関西弁がおかしい。
「あんたは大阪で研修せんとあかん。あんたは女の子にキャーとか黄色い声で騒がれて喜んでるけど、民宿のスケベおやじや。そのへんをはっきりせなあかん」と言われ、
「スケベというのは否定してるわけじゃあらへん……」と反論を試みるが、
「そういう理屈とちゃう」と断言されて口ごもる。
僕も10年後には、若い女の子から「スケベおやじ」って呼ばれるようになりたいなあ。本性隠さず、いつもあげっぴろげに生きられたらどれだけ気持ちいいことか。
薩摩白波をいただきながら、午前零時すぎまで話した。
真っ暗な廊下をオレンジの光で揺らすランプの列が、ふるさとのにおいを運ぶタイムトンネルのように思えてならなかった。
完