高知県本川村(今は合併して伊野町に)は、吉野川源流の石鎚山南麓にある。人口800人の小さな村だった。ご多分にもれず、屋島の戦いで敗れた平家の落人が住み着いた、という伝説が伝わっている。
石鎚山の稜線を走る瓶ケ森林道を通って何度も訪れていたが、泊まるのは初めて。「道の駅」に新しい宿泊施設ができているが、高知のオリエンタルホテルが経営しているから内容は想像できる。それよりも「一の谷やかた」は、隠れ家風で「囲炉裏を囲んで食事がとれて……」と書いてあって不倫カップルの巣窟になりそうで興味深い。
四国最奥の山奥だったのだが、数年前に全長約5キロの新寒風山トンネルが抜けて、愛媛県の西条市から30分に短縮された。拍子抜けするほど近くなった。高知市まで1時間40分かかるのに、松山市までは1時間半で着いてしまう。
標高700メートルちょっと。山門を入って渓流の橋を渡ると、大きな木造建築の「やかた」があらわれる。大きな窓ガラスがあって、雅やかな雰囲気がただよう。建物に入ると、眺望のよい窓際にはL字型に畳がしかれ、10個近くの囲炉裏が並んでいる。
30年前にここの地主のオーナーが建てたという。現在の支配人は西条市内から通っている。
「宿泊する家のほうは30年たっているので、ちょっと古くはあるんですが」と言うのを聞き逃さなかったサルが、一瞬不安そうな表情をつくった。
山の斜面には木造の家というかコテージというか小屋というか、という建物が点在している。50メートルほど斜面をのぼってそのうち1棟に案内された。なかは広い。2部屋ある。だが、寒い。雪が降っているから芯から冷える。せめて事前にストーブであたためておいてくれれば印象がよいのに。
石油ヒーターをつけるがなかなか暖まらない。サルは複雑な表情をして
「ワイルドや……」と絶句している。
「あのさ、ガイドブック見たら落ちこむかな。一ノ又温泉とここと迷ったんだけどさ。一の又は14000円、ここは8400円って書いてあったからこっちに電話したんだけど、けっきょく1万円やろ。失敗したで……」と悔しそう。誘惑にたえかねてガイドブックをめくって、
「ほら、一ノ又は洋室もあるらしいで」
「ここは一戸建ての隠れ家風って書いてあるけど、どっちかっつうと忍者の隠れ里風やで」
ま、来てしまったものはしかたない。風呂と食事に期待しよう。
午後4時、100メートルほど歩いた渓流沿いにある「滝見岩風呂」へ。建物はきれい。脱衣場もストーブで暖まっている。湯もほどよいあたたかさ。目の前に滝が見える。きょうは2組しか宿泊はいないから、家族風呂のように使える。ゆっくり風呂のなかで本を読む。
午後6時から夕食。
囲炉裏の火が暖かい。ニジマスの刺身、山菜、アメゴの塩焼き、こんにゃくと豆腐とジャガイモの田楽、キジ鍋(シシ鍋も選べる)。どれもうまい。アメゴや田楽は串に刺してあるから囲炉裏の火であたためることができる。自在鍵にかけた鍋からふつふつと白い湯気がたつ。
食事を見てサルはホッとした表情を浮かべて「「これは合格点や」と言った。
夜、雪が降り、明け方にはうっすらと白くなった。ストーブが切れると部屋は寒い。 朝飯も、アメゴの甘露煮と長芋をすりおろした汁がおいしかった。
帰り際、気分がよくなったサルが支配人に尋ねた。
「○○の墓って庄屋さんですよね。どこにあるんですか」
「すぐそこです」
(げっ、泊まった建物の真下やんか)
「平家七人首塚は遠いんですよね」
「いえ、すぐ上のツバキの咲いているところです」(泊まった家のすぐ上や)
車に乗ってサルがため息をついた。
「聞かなきゃよかったわ。ゆうべのあの寒さって、庄屋さんと落ち武者の亡霊だったんちゃうかぁ……」
まさに隠れ里の面目躍如。でも、風呂と食事は本当におすすめです。
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1泊2食で1万円。
日帰りで食事と入浴だけでも可。入浴料は525円。 |