大分県日田という街は「ムツゴロウの青春期」で初めて知った。九州の田舎町での著者の青春時代を描いたエッセーを読んで、こんな中高時代を送り、彼らのように学生結婚するのだと思い描いた。実際訪れるのは今回が初めてだ。
「天領日田」として売り出し、歴史的な街並みを保存しているという。
駅前でレンタサイクルを借り、線路をくぐってちょっと走ると、豆田町に入る。このへんかなぁと思って左折すると、昔風に整備された街並みの一角に出た。愛媛の内子や滋賀の長浜や彦根、旧東海道の宿場町…などなど、この手の「街並み」に巡りあうとなぜかホッとする。普通の人の暮らしより、作り物の「街並み」に安堵を覚えてしまう感性やいかに。
古道具屋・古物商があちこちにある。ひな人形や御所人形など骨董品が豊富なのは、豊かな天領で、物流の拠点になったからだろう。ランプシェードやブリキのおもちゃも面白い。
大正っぽいつくりの薬屋には、「ダイエットの前に宿便をとろう。3,4キロの宿便があなたのお腹にはたまってます」といった看板が掲げられ、「日本丸」とかいう漢方薬を売っている。駄菓子で有名な「オリオン」が製造しているパロディー薬も並んでいる。たとえば「正論丸」は「正論ばかり言うヤツに飲ませる薬」なのだそうな。
「里の駅」で手作りの饅頭を口にしたあと、「旧豆田検番所」と呼ばれる建物に入ってみた。入場料250円は高い。
戦前までは芸妓さんが住まい、ここから料亭などに派遣されていた。案内役のおばさんは「芸は売っても操は売りませんでした」と説明する。「操を売った」遊郭は表通りにあったという。
「芸妓線香売揚帳」には1人1人の売り上げが記録されている。線香は20分ほどで燃え尽きるから、線香3本と書かれていれば1時間座敷に呼ばれたことになるそうな。部屋の真ん中に「未成年の方は見ないでください」と記され黒布で覆われているものがある。布をめくると春画だった。局部までのリアルな描写は見応えがある。
豆田町の町おこしは20年ほど前、家々にある雛人形を公開することから始まった。「検番所」も、定年退職したご主人が蔵のなかのものを整理して市役所のアドバイスを受けながら97年(平成9年)に公開したという。
この「検番所」をはじめ、資料館や酒蔵、旧家など入場料をとる施設がいくつかある。
全部入場料を払って入るのはもったいないから、市が建てた「天領日田資料館」に入場したが、古くさい巻物やらなんやらを展示しているだけだった。
この手の「町並み」は全国各地で整備が進んでいる。だがいくつも訪問するうちに次第に平板でワンパターンに思えてきた。
では豆田町の独自性はどこにあるか、と考えると、古道具屋や下駄屋、まな板屋などだろう。「資料館」はカビが生えたようなモノを展示するのではなく、町の暮らしを支えてきた産業の歴史や民俗を紹介するべきではないかなあと思った。
例えば愛媛の内子町ならば、蝋燭や和紙の産業と暮らしを軸に据えたら薄っぺら感が薄まり、より理解が深まる気がするのだが……
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