ベトナム美女と市場紀行2

古い街並みホイアン1

 朝6時、露店で、白と黒の液体を入れた瓶を見つけた。何かわからんが、2000ドンというから注文したら、グラスに氷をたっぷり入れて、黒い液体をそそいた。甘くて冷たいアイスコーヒーだった。
 午前8時、定刻に冷房つきの大型バスが迎えにきた。白いブラウスに黒いズボンの元気な女の子がガイドさん。あちこちのホテルを30分ほどかけてまわって客を集める。
 田園地帯を走り、海沿いに出ると、沖にむかって田の畔のようなものがのびている。エビの養殖だろうか。9時45分、ハイバン峠の手前で休憩。
 「日本のコインをちょうだい。おみやげのブレスレットと交換して」という。交換してたらそのうち、「大日本明治八年」という刻印のあるコインをもってきた。本物だったらおもろいと思って、100円と交換した。が、次から次にもってくる。よく見たら英語で「One Yen」と記されている。しかも図柄は竜だ。表側には「一圓」の文字と菊の紋。やっぱりパチモノかぁ。でもよく考えているなあ。
 ハイバン峠に今年完成したばかりのトンネルを抜けると、遠くに見える半島の付け根にダナンの町が見えてくる。
 歴史的な街並みで知られ、町ごと世界遺産になっているホイアンには昼前に着いた。ガイドブックにのっていたティエンガーホテルへ。バルコニーつきのツインの部屋は冷房完備で11ドル。
 町を歩いていると、女の子が2人、ベトナム語で声をかけてくる。写真を撮ったら、片言英語で「いっしょに歩きませんか」と誘われた。フエに住んでいてガイドの練習をしているという22歳と20歳の姉妹だ。
 ホイアンの入場券は1人3ドルする。これで4種類の名所のなかからそれぞれ1つずつ選んでみることができる。
 日本人がつくったという来遠橋(日本橋)は屋根つき橋だ。橋に屋根をつけるという発想は、世界各地にあったんだなあ。
 貿易博物館?という古い建物に住む19歳の娘は日本に行ったことがあるという。ダナンの学校の先生が箕面の出身でそこに招かれたとか。昭和女子大学この家には調査に来ている。
 福建会館の中国の建物はきらびやか。巨大な渦巻き上の線香が天井から無数につりさがり、香をたいている。
 青いアオザイを着たきれいな子が話しかけてきた。しかもきれいな日本語だ。学校で習っていて、実習のため日本人観光客に話しかけているという。25歳。
 姉妹とぶらぶら歩く。リュックにはダナンで買ってきたというパンや柘榴、蜜柑やおかしがたっぷり入っている。のどかわいたね、というと、1リットルのミネラルウォーターもだしてきて、「どうぞ」という。今回はダナンの友人宅に泊めてもらっている。つつましやかな旅行だ。
 ホイアン市場を歩いて、トゥポン川沿いを西へ。カフェに入って、僕はビールを、彼女らはジュースをたのむ。
  家ではお父さんしかビールは飲まない、と言う。でも、ためしにちょっと飲ませたら、妹は「おいしい」と言った。
  半透明のわんたんの皮のようなもので海老?をつつんだホワイトローズはさっぱりしていてビールにぴったり。

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古い街並みホイアン2

 彼女らは午後3時半のバスでダナンに向かう。
  市場を散策してから、「Tan Kyの家」へ。6代目というおばちゃんが、事細かに案内してくれるが、なにぶん、英語がききとりにくい。日本と中国の建築様式がミックスしているといい、京都の町家のように奥行きが深くて中庭がある。夏は涼しく冬は暖かいように工夫されているという。
  奥の建物に入ると、ベッドにおじさんがごろりと横になっている。まさに生活の場だ。台風ではしばしば床上浸水になるが、柱や土台はしっかりしているからびくともしない、と誇っていた。
 夕食は明るいうちに、道端で麺を食べた。5000ドン。きしめんのような平べったい麺のなかに、ソーメンのような細麺がちょっとまざっていて、青野菜や湯葉のかたまりのようなもの、クルトン、カリカリの春蒔きのようなライスペーパーがのっている。こんなうまい麺料理はめったにないなあ。

 翌朝はホテルの食堂で、目玉焼きとフランスパンと練乳入りの甘いコーヒーを食べる。甘いコーヒーには最初は面食らったが、慣れるとデザート感覚でのめる。フランスの植民地だったため、フランスパンはしっかりかたくておいしい。
  朝、街を歩くと、フランスパンにいろいろなものをはさんで売っている。東南アジア的なうどん(フォー)の屋台と、とフランスパンの屋台とが渾然一体となった朝の風景はなんともいえない。これに中華の影響も加わるから、ベトナム料理はおいしいのだろう。
 「日本人の墓」を目指して北へ向かう。住宅街の狭い路地に分け入ると、生活のにおいがどんどん強くなる。楽しんでいたら、道に迷った。
  たまたま道を聞いたおばちゃんが、バイクでつれていくという。おいおい金をとるんじゃないだろうなあ。と思ったらあんのじょう目的地に着いて「5万ドン(3.5ドル)よこせ」という。ちょっと高いんじゃないかい、と思ったが、往復7、8キロ走ったのだからしゃあないと思って払った(あとから考えたらやっぱり高かったが)。
 水田に囲まれて、その墓はあった。低い壁に囲まれ、戦前にたてられた石碑もくっついている。すぐ近くの住宅のなかにも、もう一つの「日本人の墓」がある。住宅の中庭のようなところにあり、線香がそえられている。わきにはしわくちゃなおばあちゃん。たぶんこの人が線香をあげているのだろうなあ、と思ったら、「いくらかちょうだい」という。5000ドン手渡したら、喜んで撮影に応じてくれた。






古い街並みホイアン3

  オートバイのおばちゃんの家からは町中へ2キロほど歩く。籾殻を地面に広げたシートの上に広げてふんでいる。店先で朝っぱらから酒をのんでいるじいさんたちにも呼び止められた。「酒をのむか?」ときかれたが、「朝から無理だよ」といって2000ドンのミネラルウォーターを買った。「俺に酒をおごってくれ」と身ぶり手振りで言ってるが、こういうのは理解できないふりをするに限る。  
  昨日会った、日本に行ったことがあるという女の子に呼ばれて貿易博物館?を訪ねる。目の前の中国風の家では、太鼓をたたき、おじいさんたちが白い服を着込んで、灯明をもやしている。なにかの祭りかと思ったら、葬式だという。朝6時に、この家のおじいさんが亡くなったという。無神経にカメラを向けなくてよかった。
 今年ハイスクールを卒業したばかりで、来月?からホーチミン市の大学に入学する。一人暮らしになるが、自炊はせずに屋台で食べてしのぐんだそうな。日本だけでなく、中国やタイ、香港などにも1人で旅行したことがある。「わたしってけっこう強いのよ」という。東京ではホイアンで知り合った日本人の旅行者の家に泊まった。「お金持ちだね」というと、
「アメリカに祖父母がいて、送金してくれるからいけるのよ。アメリカに来るように誘われているけど、アメリカはきらい。おじいさんは爆弾で殺されているし」
  ちなみに彼女にとってイメージのいい「ロマンチック」な国はオーストラリアだという。
 コーラをのみに炉端の定食屋に入ったら、そこのあんちゃんが、「バイクでミーソンに行こう」という。女の子にも「ミーソン遺跡に行ったほうがいいわよ。できたらバイクを借りて自分でいったら気持ちいいよ」と言われていた。さすがに40キロ先の遺跡までの道はわからんから迷っていた。だから「いくら?」と聞いたら、10万ドン(7ドル)という。これならやすい。本当に往復80キロを走って10万ドンか?
 飯をおごるにしてもこれならいいかな、と即行くことに。
 クラクションをけたたましく鳴らしてビュンビュン飛ばす。水牛をおう農夫をぬかし、アオザイの高校生の集団や、白シャツに紺のズボンの小学生か中学生の自転車集団をけちらし、田んぼのなかの道を走る。道端にならべている玉蜀黍の黄色が鮮やかだ。川沿いから鉄道の線路沿いを走り、予定どおり1時間でミーソンの遺跡についた。
 1軒の店に入っていく。彼の仲間の店で金をつかわせようということだろう。ま、そのくらいはしかたない。フォーと缶ビールを2人で飲んで食べて8万ドン、フォーはおいしかったけど1杯2万ドンというのは露店の4倍だ。缶ビールは2倍といったところか。フエの大学の女子大生とその先生4人が来ている。経済学の実習の一環らしい。知的でアウンサン・スーチーに似ていてかわいい子だったなあ。
 遺跡の入場料は6万ドン(4ドル)。博物館とユネスコの建物がある。ゲートから遺跡の近くまで2キロほどはジープで送迎してくれる。熱帯の森からときおりトカゲが飛び出してくる。石畳がきれいに敷かれた遊歩道をたどっていくと、遺跡があらわれる。
  象や、ヒンズーの神々の彫刻がほどこされている。背景には存在感のある切り立った山がある。中国や日本の寺院のつくりもそうだけど、背景には山をもってくるのは風水の思想の影響だろうか。
 1時間ほど歩いて午後2時にもどる。
 帰りも1時間で到着。午後3時すぎにはホテルでシャワーをあびた。
 夕方、食事にでる。中学生か小学生の大群が校門から一気にはき出された。なかには親がバイクで迎えに来ている子もいる。
 貿易博物館の目の前の葬式をしている家では、何人かが白い服をまとい、ほかに何人かは白い布を鉢巻きのように頭にまいている。時折、太鼓が鳴り響く。
 川沿いの店に入った。生ビールがあるのがうれしい。1杯5000ドンと缶ビールの3分の1の値段で割安だ。
 まずはホイアンの名物というカオルアをたのむ。平べったい麺の上に焼き豚などがのったシンプルな食べ物だ。ニュクマムをつけたり、生のにんにくをかじりながら食べるとこれがおいしい。しかも5000ドンと安い。さらに、アヒルの肉と野菜の炒めものをたのんだ。25000ドン。アヒルはちょっと野生味のある鳥肉という感じ。味付けもさっぱりしていて、日本人好みだ。生ビール2杯をのんで計36000ドンと安かった。缶ビールより生のほうが安いというのがおもしろい。
 もう1軒いこうかなあ、と思いながら歩くが、いまひとつピンと来ず、ホテルのほうまで戻ってきた。
 仕立て屋がずらりと並ぶ一画。店の前で座っていた女の子が知人の奥さんにそっくり。驚いていたら彼女のほうから、「コンニチハ」と声をかけてきた。名前はラン。猿年で6月6日生まれの24歳。隣の店の子はアンと名乗った。25、6歳かなと思ったら巳年(竜)の30歳だった。ベトナムの女の子でこういう晩婚は珍しい。それにしても、干支を意識しているのがおもしろい。
 ランは、「ホーチミン」の名を口にするときに胸に手をあてて目を閉じるもんだから、アンにからかわれていた。心底尊敬しているようだ。ホーチミンは中南米などの「革命家」像とはちがってひげのおじいさんだ。ゲバラのような「革命家」というより、儒者や年寄りを敬うのと同じような感覚があるように思える。
 ランは、大学ではベトナムや中国、タイなどの歴史を勉強して、卒業後は中学の先生をしていたが、今はやめて、親族がやってる仕立て屋を手伝っている。「この仕事をやめたら英語を勉強したい」という。
 アンにすすめられるままに缶ビールをのんだ。2本で3万ドン。「きみたちは飲まないの?」というと「ほんのちょっと味見をする程度。父はのむけど、1日1本だけ」「日本人はビールをのみすぎ」と言う。
 「日本語でアイラブユーってなんていうの?」
  「私の誕生日は6月6日。忘れないでね」
 ……てな調子で話が進めば、学生時代だったらこの町での滞在を延長するところなんだけどな。