ベトナム4 ニャツァン

ベトナム ニャツァン1

 午前6時半にバイクでバスターミナルへ。
 20分ほど時間があるから、フランスパンのサンドイッチを買う。パンだけなら3000ドンだが、肉なんかをはさんだサンドイッチは10000ドンという。もちろんサンドイッチにした。パリパリのフランスパンはおいしい。母娘でやっていて、娘は先生だから、ちょっとだけ英語をを話せる。氷入りの冷たいジャスミンティーはサービスだ。
 メルセデス製のマイクロバスは立派な車体だが、すし詰めにさせられる。
 出発してすぎにガソリンスタンドへ。給油中に助手がペットボトルの飲料水とお手拭きをくばる。おいおい。ガスくらい先に入れておけよ。
 海とついたりはなれたりしながら南下する。湾に漁船がたくさん浮かんでいる。沖合にトランポリンのネットのように吊ってある巨大な網は海老か魚をとるためらしい。
 8時50分、Tuyhoaで食事休憩となる。運転手が20分ほどかけて食事をしてから出発する。牛がぶらぶら歩く国道を、けたたましい警笛で自転車やバイクを押し退けるようにして走る。
 午前11時、ビーチで有名なニャツァンのバスターミナルに到着する。
 バイクのおっさんに「ビーチのほうは高い。町中のほうが安くていいホテルがあるから」といわれるままに1万ドンで市場近くのミニホテルにつれてこられた。
 エアコンつきのツインの清潔な部屋は13万ドン。明日のホーチミン行きのチケットとあわせて22万ドンを払った。奥まった部屋だから街頭の音がうるさくないのもよかった。
 近所の定食屋に入る。ごはんのうえに、香辛料で焼いた豚肉のスペアリブとかまぼこ?をのせ、青菜の透明なスープと、生トマトとキュウリがそえられて7000ドン。さすがに庶民の食堂は安い。
まずは北方の市場へ。ジャックフルーツやらなんやら、ホイアンと比べても熱帯色をいっそう強めている。
 豆腐はホイアンの市場でも見たが厚揚げらしきものがあって驚いた。
 ココナツとフルーツをまぜたものや、フルーツパンチのようなデザートが洗面器のような容器に3つ4つ並んでいる。
 「なあに?」ときくとどれも「ティエン」という。おそらく「甘いもの」という意味なのだろう。白いココのデザートを注文する。2000ドン。
  つぶつぶのボール状のものは。それにバナナ、モチ(おそらく米の粉)が入っているどろどろの白いげる状の物質に氷を入れてかきまわす。これがうまい。
 市場でチェスの駒をつかって双六のようなゲームををしているグループがいた。写真をとらせてもらったら「送って」といわれた。本当は奥のハンモックで寝ているおっさんのほうを写したかったんだが、さすがにカメラを向けられなかった。





ベトナム ニャツァン2

 ビーチの北のはしっこの橋は川の河口になっており、色とりどりの漁船が無数に停泊している。
 太刀魚のような魚をここでも干している。
 川の色は茶色い。海も風が強いせいか沿岸部は茶色っぽい。でも100メートルほど沖は濃紺そのものだ。
 延々とはるか南の先の先まで砂浜はつづいている。子どもが泳いでいたり、おじいさんが散歩していたり。沿岸は椰子の並木で、強い風に大きくゆれている。涼しい木陰では、トランプをしたり、カップルがいちゃいちゃしたり。なかには男同士のカップルも。
 白いあごひげのおじいさんがニコニコして「シンチャオ」(こんにちは)といって通り過ぎた。ホーチミンの肖像画にそっくりなのに驚いた。愛嬌と独特の威厳を兼ね備えた顔だ。振り返ったらもういなかった。幻だろうかと目を疑った。一瞬だけどすごい存在感を感じた。
 カニをゆでているおばあさんもいる。ホテル群に近付くにつれて、ビーチには椰子の葉でつくった傘が林立し、その下で白人の観光客が肥満体をさらしている。悪いけど、豚か牛かにしか見えない。
 泳ぎたい気がしないでもないが、カメラや財布もあるし、あきらめる。ビーチは一人で来るところじゃないな。
 浜辺のカフェでビールを2本たのんだ。風の音、波の音が、裏側の大通りの車の騒音をかき消して、別世界のよう。この落ち着きと静けさとけだるさはなんだろう。まさにリゾートの快適さなのだけど、むなしく、むなしいけど、惹かれてしまう。
 パラダイスのような空間と、目の前の物売りの子どもやおばさんをながめながら、朦朧としながら考える。考えるというより、ほおけている。
 町中を歩いて午後6時にホテルにもどってきた。
 「もう1日滞在したほうがいい。離島とかも見に行くべきよ」とホテルのお姉さんにいわれたが、脳みそが倦怠に染まらないうちに出ようと思った。
 午後8時ごろ夕食にでる。バイクと自転車が、遅い流れと早い流れがいっしょになって、うずまく奔流のように流れる。道路を渡るときは、ゆっくりと、相手の目に入るようにして、自分がよけるのではなく、よけさせるのがコツだ。あわてて走るのは事故のもと。
 ホテルのおばさんに教えてもらったシーフードレストランは見つからない。街の中心サークルに面した、ホテルの1階にある大きな大衆食堂に入った。制服姿の女の子たちが素朴でかわいい。
 メニューがわからんから、フィッシュはあるか? というと、「それはないけどこれはある」と言って、魚のすり身の天ぷらのようなものを指差した。いったい何がでてくるんだろう。めしの上にのってくるんかな、と思ったら、巨大な皿に生野菜だけがどっかり盛られてでてきた。なんだこりゃ? と思ったら、つづいて、ワンタンの揚げたもの、すり身の天ぷら? それからライスペーパー。生春巻きだ。これはいい。
  ライスペーパーに巻くのに悪戦苦闘していたら、女の子が来てすべてまいてくれた。
  「どこから来たの? 私は22歳 名前はリウっていうの」と片言の英語で話す。「きれいな名前だね」と言うと、ビューティフルって意味がわからなかったらしい。友だちを呼んできた。
  「名前が美しい」と言ったのを「彼女は美しい」と言ったと勘違いしたらしい。「サンキュー」と言って真っ赤になっていた。働いている子はみんな21、2歳。こういうところで「独身なの?」ときかれたら当然、「そうだ」と言う。
 年齢をきかれたから「30歳」と答えると、驚いていた。もうちょっと低く言わないと対象にならなかったか。でもさすがに20代というのははばかられる。
 浮いた話にはならなかったが、野菜たっぷりの生春巻きはおいしかった。