■松下竜一 「ルイズ父に貰いし名は」 講談社文庫 2001年8月2日
大杉栄と伊藤野枝の娘ルイズの生い立ちを1年半もの時間をかけて取材した。その膨大な取材量にまず驚かされた。
著者自身が見たわけでもないのに、ルイズの祖母の様子、潮騒の音、家にたちこめる松葉をたく香りまでが伝わってくる。会話も丹念に再現している。細部の描写が圧巻だ。なぜこれほどの細かなインタビューと描写ができるのだろうか。
大正デモクラシーからファシズム、終戦の解放感からレッドパージへという、時代の流れに翻弄されて生きる苛烈な人生を繊細なタッチで描き出している。ファシズムというのは単に権力によって押しつけられるものではなく、ちょっと風変わりで異端な人を普通の隣人たちが抑圧する体制なのだ。君が代を歌わぬ中学生をPTAがいじめ、異端を排除する今の風潮は、戦前のファシズムから何ら変わっていないといってよい。
大杉と野枝というアナキストの娘として生まれ、父母の死後、祖父母を親がわりとして福岡の田舎で育つ。名前は、魔子は真子に、エマは笑子に、ルイズは留意子にかわった。
「アナキストの娘」であるが故にうける差別やいやがらせは、大正デモクラシーの余韻がついえ、ファシズムの空気が張り込めるにつれて激しくなる。大杉の娘であることを負い目に感じ、ひた隠しにしようとする。
傷痍軍人と結婚し、父母を殺した甘粕元憲兵大尉が権力をふるう満州へ。
大杉の思想を理解しているわけではないが、中国人や韓国人への差別やいやがらせと、それを当たり前と感じる日本人を生理的に嫌悪した。
終戦とともに、父母は英雄扱いされ、「大杉の娘」であることが評価される。だが、間もなくレッドパージが始まり、「大杉の娘」であるが故に夫は、電力会社をクビになりかけ、それまで生きがいにしていた組合活動をやめて第2組合に移り、酒とギャンブルにおぼれ、借金づけの生活に陥る。定年を期に離婚し、夫はまもなく自殺するかのように死んでしまう。
ルイズが父母をひたかくしにしたのとちがい、長姉の魔子は「大杉の娘」であることを堂々と表明してきた。だが一見明るく豪放に見えたが、本当の心のうちは見せないまま、不倫相手と貧しい暮らしを送ったうえに死んだ。次姉のエマは逆に自分の存在そのものを消してしまうような生き方だった。
ルイズは、社会意識のかけらもない自分に劣等感を覚える。安保闘争の高まりとともに、極貧の暮らしを支えながら勉強を始める。
自分が社会の現実を前にして独り立ちしたとき、ようやく、「お父さん」「お母さん」と素直に呼べるようになった。
−−−−−−−−−抜粋−−−−−−−−−
▽祖母ウメは、「この子を野枝のようにならないように」と皆の目の前で校長先生に土下座した。ウメは「あんたたちのおとうさんおかあさんは偉か火とやったとよ」とそっとささやき、野枝と栄のことを悪く言ったことがなかった。そのウメが土下座をしなければならない…。
▽被害者でしかない大杉と野枝の墓には、墓碑に名前を刻むこともできなかったのに、加害者である甘粕は刑務所を出て、権勢をふるうことになっている。
▽昭和天皇即位の大礼を慶賀しようとせぬ社会主義者ら危険分子は、何の確証もなくいっせいに事前検束されたが、そういう時代にはいっていた。(オウムへの別件逮捕など、今もそれに近いのではないか)
▽大杉と野枝を殺したのが単なる個人の行為とは思えなかった。鎖に連なっている群衆が2人を取り囲んで、手に手に鎖をうちおろしている戦慄すべき光景を、脳裏からかき消すことができなかった。鎖とは、盲目的服従を強いるあらゆる権威であろうし、世間の古い因習であろう。それは脳髄にまで食い込んで、人の自由な思考力を抑え込んでいく。
▽天皇陛下万歳といって爆死した爆弾3勇士の妹が同じ学校に。「この学校(高等女学校)にはとびきりの名誉ととびきりの不名誉がそろったってわけよ」。
▽エスペラントを独習しはじめたが、「暗号のようなものを勉強している」と噂され、やめざるをえなかった。「暗号」「防諜」という言葉がささやかれはじめ、ルイズたちの生活をしだいに束縛し緊張させていった。
▽1940年になると、「新体制」という言葉が持ち出され、日々の暮らしはいよいよ細かな点まで相互監視の目に束縛され始めた。パーマの女性の通行を禁止する町まで現れてきた。
▽敗戦。「大杉と野枝の娘です」と名乗って出るなど思いも寄らない。自分はこれまで何も勉強してこなかったという、悔いと気後れ…。自分が大杉の娘であることを隠しこそすれ、誇りを抱いては生きてこなかった。どうしていまになって名乗ることができよう。大杉の名が公然と復権するのをうれしいと思いながら、その潮流から取り残されている自分がたまらなく惨めだった。
▽夫の和吉が敗戦のショックから立ち直るのは労働組合の運動によってである。「要求すればするだけのものが取れるなんて、なんだか恐ろしいごとある」
▽和吉が会社をクビになりそうになると、和吉の父は「女房のせいか」と。人の心の根本は戦前と何もかわっていなかった。
■秋山さと子 「ユングの心理学」
講談社現代新書 2001/8/10
心理学はそれほど好きではないのだが、だれかの本に「おすすめ」とあったため手にとった。
フロイトは、さまざまな精神の問題を引き起こす原因に子どものときに性欲との関連で培われた「無意識」が関与している、といった主張をした。それをさらにややこしく宗教のようにしたのがユング、という程度の認識しか僕にはなかった。
だから、「我思う故に我あり」という「人間イコール理性」というデカルト以来の西洋思想への反駁としての意味がフロイトの思想にはあった、と書いているのを見たときは「へぇ、なるほど」と思った。
ユングはさらに、古代からの神話と、我々の見る夢との共通点を調べ、そのなかに、人間の無意識をつかさどる基層のようなものがあらわれていると主張した。生まれたばかりの人間は白紙であり、周囲の環境との相互作用によって「人間」となっていくという主流の思想と正反対だった。プラトンのイデアという考え方に似ている。
例えば、「イカロスの翼」の神話の、空を飛び、太陽に近づきすぎて翼が溶けて落下してしまうというストーリーは、どこまでも自由に想像力を発揮できた子どもが、「現実」とかかわるなかで、そういった力をなくしてしまうことを示しているという。
フロイトもユングも、30歳代後半に不遇な時代があり、徹底的に自分の子ども時代を振り返り、子供時代に持っていた想像力を取り戻すことができたという。ユングは、砂場遊びのようなことを何度も何度も繰り返し、そこから「箱庭療法」を編み出した。
この本の著者の秋山氏も、ジャーナリズムの世界から34歳で足を洗い、大学に入り直すことで、自分を振り返る時間をもった。35歳前後である種の「危機」を感じ、そのときに徹底的に子ども時代をふりかえり、失っていた想像の力を取り戻す必要があるのだと主張する。
そういう時間をもたない男性は、定年時の「危機」に対処できずに老け込んでしまい、女性は、子どもが独立して虚脱感で老け込んでしまう。
最近ときどき、中学や高校、大学時代の自分はどんなことを考えていたのか知りたいと思う。これには意味があったんだな、と思った。過去を振り返るのは、「ニューシネマパラダイス」の映画のようにある種の寂しさを感じることだけど、やはり大切なんだなあ。
そろそろ1年くらい休職したいもんだ。
■司馬遼太郎 「沖縄・先島への道−街道をゆく6」 2001/8/16
司馬遼太郎の英雄史観はあまり好きになれないが、いつか先島に行ったとき、どうやったらいい紀行文を書けるのかなあと思って手に取った。
紀行文としての観察眼という意味ではそれほど印象に残らなかったが、歴史や民俗学の知識の豊富さには圧倒された。いったいこれだけの文章を書くのに、どれだけの文献を読みこなしているのだろう。
与那国島の項では、15世紀までどこの国家にも属さず、島のなかだけで自給自足を成り立っていた時代を紹介し、まずは首里王朝、それから薩摩藩、さらには明治政府、といった権力によって蹂躙される歴史を説く。それによって「国家」への疑問を提示する。
「日本」という国家を考えるとき、先島は「さいはて」だけど、いったん国家の枠を取り払えば、中国と日本の「中間」である。「国家」意識が、先島を「田舎化」させているといえる。そんな発想は鎌田慧の本かなにかにも書いてあったなあ。
−−−−以下抜粋など−−−−
▽波照間島の南にあるという伝説の「南波照間島」を探しにいく、という書き出し。1つの話題に焦点をあてることによって読ませる。
▽奥州の青森・岩手の両県が九州の五島列島とおなじ歴史の共同体験をするという時代は、秀吉の天下統一からである。
▽旧藩主を太政官のおひざもとの東京に定住させるのは、薩摩の島津氏も、長州の毛利氏も、琉球藩王の尚泰も同じである。
▽避難民の大群に逆行して軍隊を東京に向かわせるのにどうしたらよいか、という質問に対して、大本営からきた人は(住民を)轢き殺してゆけ、といった。……軍隊は自国の住民を守る者ではない。軍隊は軍隊そのものを守る。守ろうとするのは、抽象的な国家であって具体的な国民ではない。
▽昭和初期までの沖縄では、野遊びで通じ合った男女が娘の実家へ通うという風習が遺っていたが、自由恋愛や婚前交渉を不道徳とみるような観念はなかっという。だが糸満ではそうではなかった。夫婦べったりの農村とは違い、若い夫が長期間、漁に出かけていくのである。漁業の集落では、早くから貞操観念が発達した……。
▽八重山諸島では、最寄りの大都会といえば那覇ではなく台北なのだ。
▽竹富島では、申し合わせによって、旅館・ホテルのたぐいは許されず、民宿するという規定になっている。浜でのキャンプも許されない。この仕組みと意識の盛り上がりは、上勢頭亨氏という老人が種をまいた。
▽鉄を買い集めた者が富を得て、武力を得ることを沖縄が知ったのは、14世紀ごろと思われる。鉄器はすべて輸入品だった。鉄器を買ったおかげで遠洋用の船舶を造ることができ、さらに鉄器を買うという商行為から貿易の妙味を知った。貿易による黄金時代をつくりだす。竹富でも、鉄器を独占したものが権力をもつという仕組みが民話になっている。
▽日本の造船技術は中世を通じ、中国に及ばなかった。琉球はこの技術をとりいれ、宮古島方式から飛躍するのである。幕末の薩摩藩の大船も、船体の構造は琉球船からまなんだ。幕末には琉球船の方が進んでいた。
▽〓西表島では鎌倉時代の農法が見られる。
▽与那国は、どの政権の体制下に組み入れられることもなく、島人にとって島だけが天地のすべてという自由な歴史時間・「太古」が長く続いた。1510年に首里王朝の支配下に入ったらしい。
▽「沖縄人は、文字のない農村では、恋の語らいも旅の上の人とのやりとりも即興の琉歌をもってした」。社会が外来文化によって画一化されると、しだいになくなっていく微妙さが、「万葉集」と「おもろさうし」の成立の背景にもありそうだ。明治3,40年まで即興の琉歌をたえず口ずさんでいたとすれば、明治の小学校教育の普及が「おもろ」の息をとめてしまったのか……
▽琉球内部の方言の差は、青森弁と鹿児島弁の差よりも大きい。
■「加藤周一、高校生と語る」 かもがわブックレット 2001/8/15
高校生の感覚がおもしろい。小林よしのりの本の影響を受けているB男くんと、在日朝鮮人のA子さんの発言がとくに印象に残った。
「日本軍の虐殺とかウソ宣伝をしてまで、それを政治の材料にして日本から援助受けたり、国債踏み倒したりしてるんですよ」と小林一派の意見を代弁するBくんの主張はある種の説得力がある。その「わかりやすい」意見をきっちり受け止めて反論しきれていないのが、加藤周一を含めた大人の弱さでもある。敵の論をしっかり読んで、自分なりに咀嚼しておかなければあかんなと思わせられる。
ところが、A子さんの反論は、大人の迷いを吹き飛ばすような迫力がある。「自虐とかいうけど、自虐の反対は加虐になっちゃうんですよ。加虐するよりはそっちの方がいいんじゃないのと思ったりする。この人らの考えが主流になったら、うちは生きていけへんようになると思っています」。「論」対「論」にはない重みと実感がこもっている。
加藤周一が説くのは、何十年にもわたるナチの残党の追及によって戦前との決別を果たし得たドイツと、戦前の思想を背後霊のように背負っている日本との違いを見ること。それに、仮想敵国とされた中国が、70年代の国交回復によって一気に友好国に転じた事実である。国際紛争の解決には武力以上に必要なものがあることを示しているからだ。
■多湖輝「まず動く」光文社 2001/8/17
中学時代、「頭の体操」というクイズの本にはまったことがある。その著者だから懐かしくてつい買ってしまった。
「将来何をすべきか、何が人生の真理なのか、いまそのために何をなすべきか……」と迷い、「いかに生きるか」とか「人生論」みたいな題の本ばかり読んでいた中学・高校時代にこの本を読んだら何かを感じ得ただろう。
−−迷ったらまず動け。自分の弱さを認めてしまえば「自分はなぜ弱気なんだ」などと悩んだりしない。やることがわからなかったら人の真似をすればよい−−
どれもその通りなのだけど、「わかってるわい」という気分にさせられる。
ただ、「自分の死ぬ日」を決めて生きている人の紹介はドキッとさせられた。
抽象的には人生は有限だと知っているが、日々それを意識しているかというとNOだ。この人は、本は1日7種類以上のものを必ず読んで人間の幅を広げ、自分で本も書いている。自分の一生が決まっているから、早くやるべきことをしないとやり残すことが多くなる、と思うからだという。
■八木啓代 「喝采がお待ちかね−ラテン的悦楽世界へのご招待」
光文社知恵の森文庫 2001/8/19
メキシコを拠点に歌手活動をする日々をつづるなんとも愉快なエッセー集だ。
ミュージシャンが集まる飲み屋「アルカーノ」などを舞台に、詩人としては超一流だけど普段は酔っぱらいのスケベオヤジとか、女にだらしない一流アーティストとか……、脚光を浴びる表舞台には出てこない、恋をしてナンパして酒を飲んでクダをまくラテン男の生態がつづられている。
「キューバ崩壊間近」と騒がれていた90年前後にキューバ人宅に滞在した部分も、マスコミ報道の薄っぺらさを示していておもしろい。高級ホテル前に集まって「生活が大変だ」と訴える人の声がそのまま載っていたという。日本大使館員でさえも「キューバは崩壊しそうにないという報告書をあげたら上から役立たずだと見なされる」と悩んでいたという。
意外と知られていないキューバの高度な医療も、視力矯正手術を受けてみずから体験する。
家賃や医療費は無料、託児所も無料、才能があれば芸術の専門教育も無料。女性が1人でも自立できるから、離婚はザラ。届けを出さない事実婚も大流行。子供だけほしい女の子も多いらしい。
でも逆に、そうした社会で育ったミュージシャンがメキシコなどに渡ると、評判が悪い。
税金を払ったり、子育てにカネをかけたりする苦労を知らないから、演奏のギャラもメキシコ人の3分の1で引き受けてしまう。「すべてを享受してきた彼らには、持たざる者の痛みがわからないんだ」とキューバを支援してきた音楽家にも言わしめる。
大阪出身の著者が、ハバナを東京に、サンティアゴを大阪に見立てる視点も面白かった。たとえばこんなふうに。「サンティアゴ人は、ソンと革命の発祥地なので、キューバの中心と思っている…ハバナより食べ物が安くてうまい…サンティアゴ弁が世界標準語だと信じている…」
■加藤則芳「日本の国立公園」平凡社新書 2001年8月13日
アメリカのイエローストーンに始まる国立公園が、自然保護の父と呼ばれるジョン・ミューアによって、自然全体を連関したものとして考え残そうというエコシステムの考え方が作られた。彼は世界初の行動する自然保護団体「シエラクラブ」を設立した。
日本の国立公園は、生態系の保護のためではなく、「国民」の娯楽に供するためだったため、歓楽街のような国立公園が各地にできあがることになる。31年に国立公園法ができ34年に実際に国立公園が指定された。
旧環境庁の力が弱く、有効な保護行政ができないこと、とりわけ林野庁の圧力が自然保護を疎外していると著者は主張し、「環境省の応援団」を自称する。国立公園問題の全体像をとらえた本としては興味深いが、彼の環境庁(省)正義の味方論は、石鎚などの自然保護問題で「環境庁派」の学者が果たした欺瞞的な役割を見てきたためか、にわかには信じがたいし、能天気なものを感じざるを得なかった。
以下、日本各地の国立公園についての描写。行ってみたいなあと思わせられる。
▽西表国立公園。遊覧船の船着き場から縦走も。
▽釧路湿原国立公園ができてはじめて、カヌーやクロカンなどのアウトドア・フィールドとしての国立公園という視点ができた。
▽尾瀬の鳩待峠と沼尻の登山口は、観光バスの入域も禁止した。上高地はマイカーのみの規制だが、シャトルバスへの乗り換えを始める旅行会社も出てきた。
▽リゾート法で最も被害を受けた国立公園が裏磐梯。5つのスキー場ができた。
▽八幡平は、環境庁のレンジャーにも人気が高い。
▽小笠原の森は毒蛇などもいない、固有種の多い亜熱帯のジャングル。
■パウロ・コエーリョ 「第五の山」角川文庫 2001年8月
旧約聖書に出てくる予言者エリアが、故国イスラエルを追われてフェニキア(レバノン)の都市で暮らし、イスラエルに戻るまでの物語。
神の声に従って、王女に直訴したが故に故国の予言者の虐殺を引き起こし、エリアも隣国のザレパテに追われる。神の声に従って生きようとするが、愛する女性を殺され、町もアッシリア軍によって破壊される。
信じる神に裏切られ続けた末、「神との戦い」を決意し、破壊された町を復興することに力を注ぐ。
悲劇が起きたときに「俺の人生になんの意味もない」と打ちひしがれてしまえば、それで人生は終わる。悲劇を受け入れ、その恐怖をわきに置いて、「神との対決」を選ぶことで、神の愛に戻ることができる。「悲劇は罰ではなく挑戦の機会である」と記す。
ただ従順な信者・預言者でしかなかった主人公が、自らの強い意志で、自らの人生を生きる人間に成長する過程を描いている。
人間の主体性を失わせる大多数の宗教と違い、あらゆる権威におもねず、自らの人生を生きることを助ける「神」の存在を全編を通して示している。
僕は無宗教だが、「星の巡礼」以来一貫している筆者の(あるいは筆者の信じる神からの)メッセージには強く共感を覚えた。
以下、抜粋。
「神は公正でないと感じて存在の意味を求める者は、自分の運命に挑戦する。……臆病者が望むのは、状況が元通りになること……勇敢な者は、古くなったものに火をつけ、神をも含めてすべてを捨てて前進し続ける。……神が望んでいるのは、自分の人生の責任を自らの手に握ることだからだ」「あとで若さを失ったことを嘆いたりしないように、すべての瞬間を有効に使いなさい。人生のあらゆる時期に、主は自信喪失という贈り物を人に与えるのだ」「唯一の答えは過去を捨て、自分の新しい歴史を作ることなのだ」
■蝶の舌(スペイン映画) 2001年8月25日
スペイン内戦前夜、フランコが軍事クーデターを起こす直前の、とある田舎町の子供と老教師の物語だ。
引っ込み思案の主人公の子供を優しく包む老教師は、絶対に子供を殴らず強制しない。美しい詩を朗読し、子供たちとともに野を歩く。ゼンマイ状にまるまった蝶の舌が、甘い蜜のある花を前にするとスルスルと伸びる、といったことを説く。瑞々しい自然と、にぎやかな祭り、幼い恋などの日常を淡々と描きつづける。
主人公の父は共和派の共産主義者で、母は信心深い保守派だ。政治的には異なる意見を持っているが、なにやかにやと議論しながら幸せな日々が流れる。
映画の最終盤になって、時代は急テンポに展開する。
「だれにも秘密だよ」と言って主人公に「死後の世界の地獄なんかないんだ。地獄は人の心が作るものなんだよ」と説いた老教師が退職する際、「自由なスペインを守ろう」と演説した。その瞬間、町の有力者が自分の子供をつれて会場を飛び出してしまう。
フランコ将軍率いる軍が北アフリカでクーデターを起こし、次の場面では町に住む共和派の人々は投獄される。主人公の父は弾圧を避けるため、妻の言うがままに党員証を捨て、仲間を裏切る。
最後、捕まった共和派の人々が、処刑場へと連行される際、それまで近所づきあいを人々が「アテオ!(無宗教)」「ロホ!(アカ)」と罵声を浴びせる。連行される一団のなかに老教師もいた。主人公の少年は、「あなたも(悪口を)言うのよ」と母に促され、「アカ!」と叫びののしる。連行するトラックに向かって石を投げながら、「アカ」と叫んだ末に、「蝶の舌!」とひとこと。
救いのない映画のなかの、わずかな救いの言葉だった。
それにしても、脈絡もなく淡々と日々の風景をつづる前半8割の映像が、最後のたった1分ほどの場面ためにあるなんて……。最初から最後まで綿密に構成を組み立てるアメリカ映画ではあり得ないだろう。
意見を異にする人たちが半分いがみあいながらも共存していた社会が、一夜にして殺す側・殺される側に別れてしまう恐ろしさ。当時のスペイン程度にさえ論理的思考のできない人が多い今の日本は、当時のスペイン以上に怖い状況にあると思えてならない。
■竹中労「芸能人別帳」 ちくま文庫 2001年8月31日
非合法活動家、ラーメン屋をへて、28歳で「東京毎夕新聞」記者に。昼過ぎから夜の10時までストリップ劇場をまわり、小屋がはねるとストリッパーやコメディアンと飲んだ。翌朝9時に出社してまる1ページ書き、午後にはまた浅草へ。日蓮宗の汚職記事を金儲けの取引に使われたことで会社をやめた。
芸能ジャーナリズムの基本スタイルを作った。あれだけスキャンダルを書き飛ばしても告訴されたことはない。すべてを地の文で書き、「私はそう思う」といってしまえば反論できないという。会社員記者・新聞記者嫌いだからこそ「私」をきわだたせたという。
雑草のような芸人、苦労を重ねる芸能人に限りない愛情を注ぎ、彼らを搾取の対象にしてきた映画資本やナベプロなどと対決する。「強力なユニオンを作らぬかぎり悲哀はつづく」と言い、取材者というよりも芸人の同志であり活動家だった。
だから、ナベプロに造反した伊東ゆかりやキャンディーズ、森進一、フリー宣言をしたために映画界から閉め出された山本富士子を応援する。
安保という時代状況と芸能界の動きを連関させ、自民党的な権力を排撃し、共産党のソフトな官僚体制を批判する。
たとえば「ゴジラ」はリアルな危機感に裏打ちされ、人間には抵抗できない大悪魔を提示してみせた。なのに「高度成長でふやけた革新政党のごとく、ゴジラもぐっとおとなしくなっちまって有益なるバケモノに変化してしまったのでありました」「ウルトラマンなんか弱いものいじめ。怪獣に同情しちまうね。ウルトラマンがアメリカ帝国主義、もしくは自民党に見えちまうんだ。怪獣はベトコン、全学連だよ。ウルトラマンが落下してくる仕組みはつまり安保条約である」といった具合だ。
−−−−−−−−−−以下抜粋−−−−−−−−−−−−−
▽198x年、中曽根の首相公選論が復活し、道州制の実施とともに、第1回大統領選挙が行われた。革新陣営は長老美濃部亮吉を出馬させたが石原の若さと人気の前に惨敗した。(1970年段階での予言だが、まさに現代の予言になっている。裕次郎が慎太郎の応援をする、という想定は、早逝したためはずれたが)
▽安保闘争が挫折すると石原慎太郎は中曽根の知己を得てみごとに転向した。だが慎太郎よりいっそう恐ろしい敵を裕次郎にみる。庶民大衆をコントロールし、おそらくはネオ・ファシズムの道に導くであろう石原兄弟……(1970年)
▽67年、小生は錦之助と組んで映画「祇園祭」を製作しようとしたが、中途でプロデューサーをやめた。……挫折させたのはスポンサー面した「革新」京都府の小役人ばらであり、与党共産党の干渉であり……。「戦艦ポチョムキン」をしのぐ壮大な暴動のスペクタクルを創出しようという志だったが、入れ札(議会制民主主義ですナ)で秩序を回復するという、日本共産党路線に話の筋はすりかえられちょる……
▽20代前期における乱酔は、革命に失恋した悲しみの代償行為であった。……組織はアタシを疎外し、無頼漢あつかいにし、勝手なときだけ、「意見を求めに」やってくるのだった。
▽山田五十鈴は世間からアカくなったといわれた。「貧乏を憎み、誰でもまじめに働きさえすれば、幸福になれる世の中を願うことが、アカだというのなら、わたしは生まれたときからアカもアカ」
▽新珠三千代は、「在日韓国系有名人リスト」記事中に自分の名があるのを発見して激怒した。「名誉毀損で告訴する」と。もののわかった人は幻滅してしまった。
▽スポーツカーでレジャー、睡眠薬遊び、ボウリング、ツイスト、残酷ムード、登山狂時代……、60年代の時代風景。
▽吉永小百合はイイ年をして純情カレンを売り物にするな。25歳になってもお子さまランチから解脱できない処女オバケ。「歌って踊って恋をして、でも純潔だけは守ろうよ」という半モラリズムに陥没して、民青のミー子ハー太郎どもからチヤホヤされ……
かつてのサユリストの学生たちがゲバ棒ふるって闘争を挑んでいるとき、「花ひらく娘たち」などという時代錯誤の作品に出演し……。体制的前衛党の指導で会員がガタガタ減少していく労音でバカな歌をうたうことだけが小百合の革新路線となり果て……それもパーになって体制秩序のスターになった。
▽美空ひばり。砂が崩れるように親しい人々がドロップアウトしていく。率直に意見を述べ、忠告するような人々は遠ざけられ、神津・中村メイ子夫妻のような、タイコモチのような人種ばかりが集まり、奇怪な一家を形成する。庶民大衆から遠ざかり、弟の結婚式に田中角栄をまねいたりして、上流支配階級への癒着をはかっているひばりはやがて大衆に見離されるだろう。
ひばりが「世間」の非難に逆らって、どこまでも暴力団の弟をかばい立てするのは美しい行為である。かつて山口組と疎遠になった時期、彼女の裏切りを怒って危害を加えようとする動きがあり、竹中労が山口組の有力者と話をつけた。
▽コント55号。どさまわりの苦労。次々と働く店でくびになる坂上二郎。雑草のように荒れ地にしがみつき、わずかな水と陽があれば生きていける、そういう芸人にあってほしい。
▽雪村いづみ 9歳で父をなくし、働き通し。……反戦運動や革命といった話題をなぜか好んだ。「私ね、反戦歌ってもううたわないつもりなの。タダで歌うんなら別だけど、お金とってさ、平和も革命もないとおもわ……本当に人を泣かせる歌をうたいたい」
▽「宇都宮徳馬さん、あなた、ぼくはあなたを愛しますッ。だから岸さんを不信任にして下さい、おねがいですッ」と永六輔が叫んだ(安保のとき)。満場失笑・苦笑・哄笑……、石原慎太郎はニヤニヤ、大江健三郎は肩をしかめる。……何がおかしい! 永六輔・背いっぱいの男の殉情……。「あす国会議事堂の前に、車に乗って集まることにしましょう。私たちにできることから始めましょう」。六輔氏、たった1人で赤い風船を鈴なりにした車を運転して、、国会議事堂のまわりをぐるぐるまわっていたんだわさ。
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