8時35分、定期船が出航。わずか10分ほどの航海だ。人口は50人弱。小中学校の生徒は9人だけ。
船浮の港には、ムラの案内図がある。外の人に開かれた雰囲気を感じる。こういう案内板があるとないとでは、ずいぶん雰囲気がかわってくる。小さな集落で何の案内もないと、入りにくいものを感じてしまうだろう。
民宿「かまどま」の前には「休憩所」と書かれた東屋があり、自動販売機のお茶でのどをうるおす。
海辺を100メートルほど歩いたら、めざす資料館は見つかった。
20代の息子らしき人に「あいてますか?」と尋ねると、「まだあいてないけど、どうぞ見に行ってください」とのこと。建物の隣には、猪と、ハブの小屋がある。
資料館は2000年に「開館の辞」を書いてるがまだ完成してない。昔感動しながら読んだ「どぶがわ学級」が数冊おいてある。この家の主人はここの学校の校長だったが、2年早く退職して、西表の隠れた歴史をほりおこしている。奥さんは今も先生。
−−もっと早く開館して資料集もつくりたかったが、たてつづけに事故にあってできなかった。11月には完成するよ。オヤジはここの炭鉱で働いていた。脱走する人は港に来る。そこに憲兵が待ち受けていて、つかまえた。目の前の島では今も白骨が見つかるさ。だれのものともわからないが、慰霊の碑をつくりたいな−−
役場移転問題にもかかわっている。「役場のなかには、合併したい人も3割くらいいるけど、島の人はこっちに役場をもってきたがってる。合併したいというのは、島を捨てた人だ。竹富島の人はどっちでもいいと思っているよ」。
【つづく】