安心院へD

2003年11月

農泊

 安心院といえばグリーンツーリズム・農泊が有名だ。温泉であたたまってから、安心院の中心部から車で15分ほどの舟板という集落へ。中山文弘さん、ミヤ子さん夫婦の家に泊めてもらうことになった。
 木造2階建ての古民家の軒下にトウモロコシやタマネギがひもでつってある。タマネギは吊ったほうが芽がでなくてすむという。ちなみにジャガイモは涼しいところにころがしておくのがいいそうだ。
 壁面には、木鍬や牛にひかせて耕す木製農具などが並んでいる。民俗資料館のようだが、昔のまんまに置いているだけ。2階の雨戸が開け放たれ、縁側部分にソファーが2つある。夏場にあそこに座ってビールを飲んだら楽しかろう。
 ミヤ子さんは威勢のいい典型的な九州のおかあちゃん、文弘さんは小柄で朴訥していて「かわいいおじさんやね」(レイザル)。
 囲炉裏には、大きな鉄瓶が湯気をあげている。竹籠に盛った地鶏の握り飯は肉がシコシコしてうまい。(〓鳥とごぼうに味をつけ、炊きあがる直前のご飯の上に置いて、蒸らす時間を長くする。最初にまぜてしまうとご飯の粒がきれて「花が咲いちゃう」)
 メインの料理は、安心院牛のすき焼き。鉄鍋で肉をたっぷりいため、タマネギとキノコを加え、出てきた肉汁で、白菜やミズナ、長葱、だんごを煮詰める。
  ゆねりやぜんまい、つけもの(みそ漬け、たくわん)、ダイコンナのみそいため、コマツナとチンゲンサイの漬物、茎が青いセロリ、囲炉裏で炒る銀杏とおかき、切り干し大根……]。
 食事をしながら、中山さん夫婦に昔の話をきいた。おじさんは、おみやげにもっていった甘いお菓子を「こりゃうまい」と食べながら焼酎をストレートでくびくびと飲む。
 隣の湯布院は貧しいところだったが、安心院は昔から水田が開けていた。戦後は中山さん宅も昭和57年まで養蚕をやっていた。昭和43年ごろからブドウ栽培をはじめる人が周囲で急に増えた。たくさん葡萄をくれたものだから、それで、自家製ワインをつくってみたという。ブドウ20キロに1キロくらい砂糖を入れて密封して置いておくだけでいい〓。
 グリーンツーリズムをはじめたのは7年ほど前だ。肥料や農機具の値段は上がるのに、作物の値段は下がるばかり。水田も減反ばかり。子育てが終わって、農業はダメで、先が真っ暗だったからグリーンツーリズムの誘いに乗った。
 ある日、仲間が男性をつれてきた。顔を見て驚いた。田崎真也さんだった。とっさに「ソムリエ」という名前が出てこず、
「ワインの方よね?」と尋ねると、
「そうです」と言う。
「こんな何もないところに、どうして来たんですか?」とまくしたてると、
「何が『なんにもない』ですか。ここまで2,3分歩いてきたけど、ツクシやノビル、菜の花、レンゲ、わらこづみ、それに、舗装してない道がある。小川があってメダカもいる。こんなとこ、もう日本にはないよ」
 そのときはじめて、多くの人が都会から人が来てくれる理由に気づいたという。
「田崎さんが言ってくれたおかげで目が開いた。グリーンツーリズムをやってずいぶん見方がかわって、明るい気持ちになりました」 【つづく】


中山さん宅の農泊の家

 


 


 朝ご飯の地鶏飯のおにぎり