浜道
「安宿」はお遍路しか泊まらないから、朝食は朝6時から。オヤジの息子が、オヤジとそっくりの口調で、「靴のひもは結ばない方がいいですよ」とのたまう。ちょいとうるさいけど、ま、これも名物宿たるゆえんだろう。
6時25分に出発。次々と白衣のお遍路さんとすれ違う。この時間に歩いているということは、4キロ先の久百々に泊まったのだろう。
「久百々はええ民宿があんねん。あそこに泊まった人はさわやかな顔してんな。自家製野菜をつかったおかみの心づくしの料理らしいもんな。うちなんてオヤジの心づくしの料理やもん」。オレはけっこう気に入ったけどなあ。「なぜいやだったん?」と尋ねると、
「石垣のヤモリの民宿に匹敵すんで。あの煮魚、やけにでかくて熱帯魚みたいやんか」
海のむこうの半島がうっすらとかすんで見える。足摺はそのさらに向こうだ。蟻崎の小さな漁港を下に見るころ、山に分け入る遍路道に。イノシシや猿をよけるためか木の柵やネットで畑を囲んでいるが、どこも耕作をやめて草ぼうぼうだ。
病院のような白い建物(実はホテル)の裏を通って国道に出る。と、目の前には広大な砂浜。ごまつぶのようにサーファーが海面に浮かんでいる。「UMICAFE」という食堂や「マリンクラブ」という民宿。遍路宿とはずいぶん趣がちがう。
8時前、しばし休憩し、「安宿」のオヤジの助言通り、くつひもを先端の2穴分はずしてみた。差があるのかどうか確かめよう。
大岐海岸は、国道(2.0キロ)と浜道(1.6キロ)にわかれる。距離は短いし、あきらかにおもしろそうな浜道を選んだ。砂浜におりてすぐ、防砂林と思われる林に入って常緑広葉樹林の散歩道を歩き、行き止まって砂浜にでる。昼顔が咲き乱れ、ボードをかかえたサーファーが闊歩する。30分ほど歩いて小さな川を超えるとようやく浜がとぎれ国道にのぼった。砂のやわらかい感触になれた足には、アスファルトはガンガンと響く。
9時すぎ、「金剛福寺13キロ」の標識を左手に折れる。集落を貫く小道を進むとまもなく以布利港だ。大阪の海遊館の研究施設がある。「マンボウかなんかの研究かな」とレイザルがつぶやいたら、直後に「以布利マンボウパーク」という看板があった。干してある網は伊勢エビをとるためのもの。5月から禁漁だという。
港をすぎると、岩がごろごろする浜に出る。お遍路さんが1人、岩の上を跳ぶよいに歩いてくる。明治・大正までの遍路道はきっとこんな場所ばかりだったのだろう。
浜から急な斜面をのぼると、竹林や杉林、常緑広葉樹、柑橘の木々……とめまぐるしく植生が変化する。 舗装道路と何度か交差しながら静かな小道を進み、10時半に県道に出た。
【つづく】