遍路道のたぬき
11時前に窪津に到着。集落の中心には漁協が経営する「大漁屋」があり、伊勢エビや鰹など新鮮な魚を直販している。4周年記念ということで大漁旗がはためき、売店がいくつか出ている。たこ焼きと、ミニおこわと、サツマイモの天ぷら(計400円)を買って昼食とする。
ジャングルのような照葉樹の林の道でケーナを吹きながら歩いていると、自転車に乗ったおじさん遍路が追い抜きがてら、「ええのぉ、にぎやかで。チンドン屋が行きよんかと思った」。レイザルが目を見開いて怒った。「ちんどんやぁー! なんで私がチンドンヤやねん! そんな服装のセンス悪いか?」。そっくりやと思うけど。
正午、急に田圃が開けて権現という集落に出た。つづいて柳駄馬という集落に休憩所風の東屋がある。長髪で顎髭をはやしたおじさんと、20代の若い遍路がくつろいでいる。近所の山持ちがつくった善根宿だという。主人然としたおじさんは、もう何度も四国をまわっている。「今回は100日かけてまわったから、ここで10日ほどボランティアをしようと思って。乞食遍路を泊めるとどんちゃん騒ぎをして、家財道具も壊して大変なことになるから、見張ってるんよ。遍路のかっこうさえしてれば1日1万円くらいは稼げる。寺の前や商店街なんかで托鉢してるのはたいていそういう輩や。あんたらみたいな初心者には、2千円くれ、とか言ってくるだろうけど、相手にしたらいかん……」
「これから先、遍路道があるけど、入らんほうがええ。工事中だったり遠回りだったりするから。ただ桃の木谷橋?のところだけは、渡ってすぐに左に降りたら500メートルくらい近道になるから使いなさい」
「乞食遍路」は、宿毛あたりまでを行ったり来たりして物乞いをして暮らしているという。他人に迷惑をかけるのはいけないが、そういう人を受け入れる場になっている遍路道の懐の深さはいいなあと思う。一遍上人じゃないけど、乞食と聖者は紙一重のような気がするし。
約20分後、今度は右手に休憩所らしき建物があらわれた。テラスデッキの上に木製の小屋とベンチが3つ4つ。「ご自由にお入りください」と書いてあるが、よくよく見ると、オープンエアのカフェだ。ベンチに座ると、パラソルを広げてくれた。せっかくだからアイスコーヒーを注文する。
店の名前は「たぬき」。昨年秋に開店した。土日だけ営業している。オーナーはヒッピー風のおじさんで、12年前に高知に住み着いた。予想通り、共通の知人がいた。
サヨナラを言って歩き始めたとたんにレイザルは言った。
「たぬきにバカされたと思った。ご自由に……と書いてるのに、座ったあらメニューがあるんだもん。麻の実が入ったパンとかいうけど、大麻とか芥子とかが似合いすぎや。天然酵母とヒッピーとエコロジーって密接に結びつくんやな。え、あたしもか? 私はちゃうで。エコロジーは好きだけど、合成洗剤も使うし、節約とかいいながら浪費もするし、天然酵母もたてるけど、マクドのチーズバーガーも好きだし……一緒にせんでほしいな」。ご都合主義ってことやんか。
岬の先端に近づくにつれ、緑がますます濃くなり、ジャングルのような密林になる。人影のない暗い照葉樹林の極相林のトンネルがつづく。集落の近くに竹や杉などの林があるのは、そこに人の手が入ったからなのだと気づかされる。
14時すぎ、前方がざわつき、ぱっと明るくなった。足摺岬だ。それまでの無人の森がうそのよう。中浜万次郎の銅像周辺に観光客が群がっている。灯台を望む展望台へ。何度も来たことがあるが、歩いてたどり着くと違った風景にみえる。270度の海。白い灯台がすっくと立つ。陸側は屋久島と見まごう常緑広葉樹のジャングル。目がくらくらするほど緑が鮮やかだ。
金剛福寺へ。何度も前を通りながら、寺の門をくぐるのは初めてだ。本堂前、線香の煙がたなびき、がらんがらんと鐘がなり、般若心経がひびく。鈴の音とともにお遍路さんが訪れては去り、去っては訪れる。個々人には参拝は大きな意義があっても、寺にとっての参拝者は一瞬でゆきすぎる存在にすぎない。その刹那の連続が大きな川の流れのように年中つづく。不思議だなあと思う。
窪川から84キロを歩くことは、経済的にみれば非合理的以外のなにものでもない。ではなぜ歩くのか、という問いは、なぜ生きるのか、という問いに近いのかもしれないと、ふと思った。
15時前、西岸を北上する。民宿街を通り過ぎ、足摺岬小学校の横をすぎ、県道と合流する。50分ほどで大戸という集落に通りがかると、石鎚本社の社があった。午前中に出会ったおばあさんもそうだが、石鎚信仰が根付いているようだ。
断崖の上の道は太平洋の夕景がすばらしい。海の色が深い。「ハワイのマウイみたいやなあ」とレイザルは何度もため息をつく。
きょうの目的地の松尾という集落は、全長2キロほどの急斜面にへばりつくように家が建ち並んでいる。集落の反対側のはずれに小学校にほど近い、民宿「野村」には午後4時20分にたどり着いた。
50歳前後の元気な女性が経営し、その娘が手伝っている。「すぐにお風呂にどうぞ」。風呂からあがると、「お食事の用意ができています」。レイザルはすっかり上機嫌で、
「きのうとはちゃうやろ。絶対食事も期待できんで。やっぱ女の子がいる宿は清潔でええねん」。期待に違わず夕食も繊細でおいしかった。
(翌日、雨のなか土佐清水まで歩いた) 【つづく】