午前11時半、高知駅前で菓子パンを買いこんで出発。がっかり名所のはりまや橋を左に折れてから脇道に入る。川沿いの道にはセメントなどの建材屋が目立ち、昔ながらの商家の土蔵ような漆喰の建物が点在する。
昼過ぎ、橋を渡って五台山方面の山にとりつく。古くからの遍路道をのぼり牧野植物園は素通りして、12時50分に三十一番札所の竹林寺に着いた。
口をすすぎ、手を洗い、本堂と太子堂をお参りして、読経して……という作法があるらしいが、よおわからん。お賽銭を入れてポンと手を合わせて終わり。「お接待」を受けたときに名刺がわりに渡すという納め札(100円)と納経帳(スタンプラリーの帳面みたいなもの)だけ買う。白衣や笠はその気になった時にそろえたらいい。
石畳のような山道を降りて車道へ。川沿いを進み「遍路橋」という橋のわきを通りすぎようとしたら、「おーい、道はこっち」とおじさんに呼び止められる。こんな格好でも遍路に見られるのだ。
「昔は遍路道はもっとむこう。橋がつけかわって、道がかわっっちゅうが」
瑞山橋を右に折れ、田んぼのなかの一本道を歩き、武市瑞山(半平太)の旧宅をすぎ、15時、峠の石土トンネルを抜ける。「あーあ、予定ではこのへんなんかあっちゅう間にすぎて、今ごろ春野の温泉に入ってのんびりしてるはずだったのに……最初のつまずきをひきずっていくんや。豆はずぶずぶになって、筋肉が痛くて痛くて」
。レイザルはもうツボにはまりはじめている。
トンネルを出ると新興住宅地が広がる。「へんろ道」の札とのアンバランスさがおもしろい。
ビニールハウスが並ぶ田園地帯の小道を歩き、約400メートルの山道をのぼり、15時半に山上の三十二番禅師峰寺に着く。
眼下の平野にははビニールハウスがあちこちにある。社会の教科書に出てくる写真そのままだ。「春に来たら桜がほんとにきれいですよお」と参拝に来たおばさん。狸の置物があちこちにあり、「ファンシーな寺やな」とレイザルは感心している。
古い集落のなかの一本道を西へ。「船倉」という名は、昔日のにぎわいをあらわしているのか、それとも漁師町を示しているのか。出会ったおばさんは「このへんは昔はにぎやかだったんよぉ」と言う。冬のこの時期でも1日に2,3人はお遍路さんに出会うという。
大きなオレンジの夕日が行く手に沈んだ。 「でっかい夕日やな。きれいやな」とレイザルは感心しているが、暗くなると機嫌が悪くなるのは目に見えている。先を急ごう。
左手に浦戸大橋をのぞみながら歩き、17時半、種崎の渡船場に着いた。ふり返れば大きな満月。太陽も月も今日はひときわ大きい。自転車の小学生が2人とオートバイのおじいさんが乗り込んだ。県営渡船で、運賃は無料だ。約4分で対岸に。まだ赤みが残る西の空に、宵の明星が白銀色に輝いている。
18時、今宵の宿「関乃家」に着いた。雪渓寺に近く、70年前からの遍路宿だが、オフシーズンの今は客は僕らだけ。
【つづく】