地道と舗装道
未明に目をさます。窓からときおり灯台の明かりが入り、白い障子を照らしだす。6時になると薄明かりになり、しばらくして東側の窓をあけたら黄金色の朝日が雲と雲の間から閃光を放っていた。
朝食をとり、8時45分に出発。「あーあ、今が10時だったら美味しいケーキを食べられるのに」とレイザルはブツブツ言いながらケーキ屋「風工房」の横を通過し、国道56号の手前の川沿いを左折する。
上流へしばらく歩くと「七子峠5.1キロ」とある。 「ナナコやで。そそるやろ」(レイザル)。
春のような陽気のせいか、川べりには菜の花がちらほら。農家の軒先で、菜っぱを桶に入れて流水にさらしている。
静かな里には、トンテンカンと金槌をふるう音と、除草機で草を刈る音だけがこだまする。
黒い幹の「黒竹」があちこちにはえている。籠などの工芸品に使うらしい。道端で黒竹を束ねる作業をしている74歳のおじいさんによると、太いものは10本、ちょっと細いと25本……一番こまいのは200本を一束にする。普通の竹よりは高く売れるが、何十年来値段は上がらず、小さい一束が今も昔も2000円。昔は海外への輸出が多く、一束売れば人夫賃が出たという。これだけでは食えないから、「この30年ばかり、ハウスで韮ばかりやりゆう」
急に谷が開けて集落と田んぼが現れた。川沿いには竹やら柿やら。葉が落ちた柿の木に真っ赤な実が1つ、2つ残っている。集落のどん詰まりから七子峠まで2キロの道のりは地道だから、足首への負担がずんと減る。竹林と雑木と杉の林の急坂を真冬というのに汗をかきながらのぼる。
ときおり、聖書の格言が記された札があるが、その多くが地面に落ちている。たしかにここに聖書は似合わないが、故意に落としているとしたら意地が悪い。神仏キリスト混淆が日本のいいところなのに。
上からトラックの音を聞きながら、100段ほどの長い石段をのぼりつめると、ササーッと冷たい風が走った。峠の向こうからの風だ。11時15分、七子峠に到着する。駐車場にはトラックやらRVやらがずらり。びゅんびゅんと車が行き交っていて、あっという間に現実に引き戻された。
それにしても、右足ばかり痛くなるのはなぜだろう。マメができたのも右足の小指と薬指だ。扁平足のせいなのか、右足の外側ばかり地面にあたるようで、そこに発した痛みが甲に伝播する。歩道のわずかな傾斜にも敏感になる。とくに、右側が高い傾斜が痛い。
長時間連続して歩くと、自分の体の弱い部分がわかってくる。体だけでなく、心の弱い部分も見えてくるかもしれない。
12時50分、影野駅を通過するころ、昨日のスーパー遍路おばさんに追い抜かれた。「きょうは須崎から旧の遍路道を歩いてきました。岩本寺のちょっと先までいきます」。10キロほど電車に乗ったことが申し訳なく思える。足を引きずる僕らの横を通り抜け、わき道に入り、線路沿いのあぜ道をすすみ、あっという間に消えてしまった。「さまになるねえ」とレイザルが感心している。
14時45分、「道の駅あぐり窪川」でレイザル殿はアイスを購入。四万十川の支流沿いを歩く。15時10分、根元原の分岐。岩本寺まであと1.5キロほどだ。
旧道に入ってトンネルを抜けると窪川の町があらわれた。目の前に屏風のように山がそそりたつ盆地の町。こじんまりと静かだが、歩いてたどりついたせいか、桃源郷のように思える。中国の雲南省の古都大理をバスで訪問したときの感動を思いだした。
15時半、窪川駅に荷物をあずけ、500メートルほど先の岩本寺へ。屏風のような山が町に落ち着きと威厳を与えている。町中を流れる川沿いに家が並ぶさまは震災前の宝塚のよう(レイザル)。ちょっとうらぶれた商店街周辺にはスナックやクラブがあり、かつてのにぎわいを思わせる。伊予と高知と中村からの物資が集まる集散地だったのだろう。
岩本寺の参道には、団子やもちを売る店が並び、昔ながらの門前町の雰囲気を残している。おばさん遍路10人ほどが本堂前で般若心経を唱えていると、突然、轟音が響き、裏山の木々が激しく揺れ、寺の裏山と思った木々の間を列車が通過した。鉄道まで借景にした寺というのは珍しい。
この日は宇和島を経由して松山へ帰る。四万十川沿いを約2時間かけて走る予土線は楽しいが、車両は悪評高い便所なし汽車。2時間トイレを我慢しなければならないから、ビールを飲むのも躊躇した。5分に1本電車がある都会ならいいが、1本乗り遅れると2時間後になってしまう田舎で走るべき車両ではない。国鉄の民営化の弊害の象徴だ。
宇和島で特急宇和海に乗りかえ、20時すぎに松山に到着した。
翌朝。 「ゴロー、ゴロー!」と階下から悲鳴がする。あわてて降りていきかけたら、
「大台こえちゃったぁぁ。あんな歩いたのに、なんでぇ。生涯で一番しんどい思いをしたのに、生涯で一番でぶったあ」
「でも体脂肪はへったやろ」
「体脂肪は減ったけどぉ……。弘法大師さまが与えてくれた苦難かな。そもそもダイエットにお遍路しようなんて言ってたし、怒ってばかりだったり、悪口いったり、むさぼってたりしてたから罰が当たったんやーー」
【つづく】