切支丹息づく天草A

1999年2月

切支丹墓地

 道に迷い本渡市の資料館などは通り過ぎてしまった。島の内陸部にあるキリシタンの墓地を訪ねる。
 「鬼の城公園」という看板に従って車1台がようやく通れる道を20分ほど走ると大きな駐車場があらわれた。ほかに車は1台もない。
 竹下総理時代に一億創生資金の使い道に困って作ったのだろうか、「公園」はみるからに魅力がない。無視して、キリシタン墓地の方へ歩く。
 柑橘類の木が一面に植えられ、甘夏かハッサクの黄色い実がユラリユラリ揺れている。農家に荷物を届けにきた宅急便の軽トラックが追い越していく。そんなのどかな里山の一角に、数十基の石づくりの十字架が息づいていた。苔や土くれがしみついた十字架の林立。ホンジュラスのエルサルバドル人難民キャンプの墓地に似ている。
 内戦で80年代初頭に隣国に逃げて10数年、祖国に帰ることができないまま亡くなった難民たちの十字架は、和平合意が締結されて一斉に帰国したいま、雑草に覆われ、つる草が絡まっていた。昨年2月、元難民たちと9年ぶりにそこを訪ね、つる草をはらい、ブーゲンビリアなどの花を供えた。山里に隠れ住んだ天草のキリシタンたちの境遇も似たようなものだったのではないか。そのときの光景とオーバーラップしてくる。
 車を走らせて海岸線に出て、富岡城跡にのぼる。キリシタンの一揆勢に追われた武士の軍勢が籠城した城だ。もちろん石垣しか残っていない。さびついた展望用の櫓にのぼると、雲仙方面や眼下の富岡湾が一望のもと。新たな観光名所にするためか、石段などを整備している。まちがえても天守閣の復興などはしてほしくないものだ。
 夕方早めに、下田温泉の国民宿舎に飛び込んだ。海側の部屋は残念ながらいっぱいだったが、2食つきで6000円というのは安い。
 海沿いの喫茶店でくつろいだあと、風呂へ。
 敷かれているレンガ色のタイルは地元の石で作ったという。素焼きのようにしっとりと足裏に吸い付いて、ヌルヌルしない。湯は透明無臭、心なしか肌がツルツルになる。
 厚い雲の切れ目からオレンジの閃光が走った。水平線に沈まんとする夕日は宝石のようだ。

【つづく】

 

下田の国民宿舎から見た夕暮れ時の海