要塞・伊江島 記憶は深く@

1998年4月

 

 サトウキビとタバコ畑の広がる静かな島や。ダイビングにも最高らしいで。「ヌチドゥタカラの家」は大きな平和資料館と違って、島の人の手作りだから、生々しい。ぜひ見に行ってね。島の隅々までまわるには、貸し自転車が一番やな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 午後6時、もうすぐ闇に覆われる。1時間ほど、貸し自転車で走ることにする。
 家の門柱の上にはシーサーがある。神社のこま犬のようだけど、笑ったり、怒ったり、あくびをたり、と表情が豊かだ。
 サトウキビとタバコの畑が交互にあらわれ、ヤギや牛の声が響く。硬く尖った乳首のような城山は、海抜100メートルそこそこの山なのに雲がかかっている。
 畑のなかに三角屋根の石造りの家が、点々と、時には4つ5つまとまって建っている。人が住むには小さすぎる。肥料やら道具の置き場だろうかと思い、近寄ったら墓だった。まさに死者の「家」である。いまはコンクリート製が主流で200万円くらい。なかには大理石の2000万円の墓を建てる人もいるという。那覇の飲み屋で出会った子は「家の隣やら畑の中やらお墓だらけでしょう?」と笑っていた。

アニーパイル

 アメリカ風の芝生の真ん中に英文の石碑が立つ。 「1945年○月○日、この地で倒れる…」 ジープで通りかかったとき銃の乱射を受け即死した。米軍に従軍して島に上陸し、戦場で悩む無名兵士の姿をつづったという。40歳を超え体力の限界を感じ、もうすぐ従軍記者をやめるつもりだった。
 亡くなる前日の日記が残っている。
「兵士の間で眠ろうとするが、蚊で眠れない。僕の体はノミには免疫になっているが、沖縄の蚊は虫除けを全身にぬってもまったく効かない。いつも起きると顔中はれあがっている……」
 スケールはちがうけど、人間って同じだなあ、と思う。あの時代に僕がアメリカの記者だったら沖縄戦の現場を見たいと思ったろうし、華々しい戦果よりも住民や兵士の苦しみを描きたいし、同じように虫に悩まされ、同じように命を失ったのではないか。芝に腰をおろすとアニーが身近に感じられる。

 多くの住民が逃げ込んだ千人濠と呼ばれる洞窟は海岸沿いにある。陸側からは入り口は隠れている。
 自転車をおき、崖沿いにくだる。ヒルガオが紫の大輪の花を咲かせている。洞窟のなかは岩のすき間から光がもれ、砂地についた無数の足跡が神秘的な陰影をなす。岩間にうち寄せる海水は驚くほどに透き通っている。教室ほどもある広さ。何百人が声を押し殺して寄り添ったのだろう。    

【つづく】

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