宮良のオジイの民主主義@

2001年9月12

 

 起きたら大雨。横殴りの雨。台風16号は、来島した日は小さなかわいいヤツだったのが、4日間あっちこっちフラフラしながら停滞するうちに、「大型できわめて大きな」台風に成長した。衛星写真に写る「目」もくっきり黒い。久米島では風速50メートルを記録したという。テレビは米国の連続テロを報じ続けている。

大きいのは輸入バナナ、小さいのが島バナナ

 

伝統の重み

 午前10時前、ちょっと空が明るくなってきたから、タクシーで白保に向かう。家の周囲を囲む福木は、葉が生い茂っているから風を防ぐ。まっすぐに伸びるから、建材にぴったり。家の修理に使われたという。
 運転手によると、15年程前から急速にコンクリートの家が増え始めた。赤瓦に石積みの塀はどんどん減っている。古い家は夏は心地よいが、台風で物がとんできて瓦が割れると、修理が大変だった。古民家が減ったことで、かつてはたくさんあった瓦工場が、今は島内に1つしかない。
 白保の船着き場にはさすがにだれもいない。
 市街地に戻って八重山博物館を見学したあと、県内で唯一残った士族の屋敷「宮良殿内」へ。
 当主で管理人のオジーは、見学者と雑談に興じている。おしゃべりのレイザルとは当然馬が合う。長ーい歴史を語りはじめた。

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  米軍占領時代に琉球政府から「民族の精髄にかかわるからぜひ残してくれ」と頼まれた。重要文化財なんかになったら、財産価値はなくなってしまう。でも、南洋の国々のように自主性のない植民地根性になってしまったら大変だと思ったから協力した。
 米軍はえげつないさ。まず首里城をつぶした大学を作った。民族の誇りを奪おうとしたんだ。それから教員の給料を抑えた。馬鹿が教員になれば、権力に反抗しなくなるからだな。
  琉球政府の選挙でも、米軍の高等弁務官が来ると1日でひっくり返した。「道路を舗装してやるから」と。テコでも支持を変えない人には「棄権しろ」という買収もあった。
 選挙で買収を受けた人には「あの連中はおまえのことバカにしてんだ。今度はヤツラを馬鹿にしてやれ。金だけ受け取って票は入れるな」と説得する運動もした。でも、ほとんどの人はまじめだから、カネをもらってしまうと裏切れなかった。
 そういえば前回の知事選、不在者投票が8万もあった。ふだんは27000くらい。残りの53000円は、機密費を使った買収ではないかと疑ってるんだ。
 教育委員は公選制だったが、米軍は任命制にしようとした。20年間も抵抗運動を続けて、あきらめさせた。ところが復帰後、任命制にさせられた。やがて戦前のような国民教育が始まるよ。杉並区の公選制がつぶされようとしてるのに、全国の人が抵抗しないのが珍しいさ。あの20年間のワシらのケンカはなんだったんか!と思うよ。
 大正9年に生まれて、戦争は中国やマレーに行った。インパールへの途中の橋の警備をして、サイゴンで終戦を迎えた。敵前逃亡したら弟がいい学校にいけなくなるから必死だった。
 沖縄の民主主義は、アメリカと喧嘩して獲得してきた。ヤマトのは「配給民主主義」だ。今でも天皇制をひきずっている。沖縄の人はアメリカにいじめられた、民主主義のありがたさがわかるんだよね。
 本土の新聞はだめだな。読売や産経なんか政府の提灯持ちだよ。沖縄の新聞人は、県民を戦争にかりたてた懺悔がある。沖縄の新聞はホンモノだ。

【つづく】

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