2月の吉日の昼過ぎ、一行4人が上諏訪駅に集まったが、サルとユミさんは
「ハーモ美術館に行こう」「昼ご飯食べよう」と、なぜか諏訪湖周辺を離れたがらない。どうも「双葉屋」に着くのを遅らせたいらしい。
上諏訪から霧ヶ峰までズンズン登ると、雪がどんどん増え、冷たい霧が流れる。40分ほどで霧ヶ峰のスキー場の強清水に到着する。
スキー場の目の前にある「スポーツホテル双葉屋」を見て、
「思ったよりマシやん」(レイザル)
2階の屋根のすぐ下の部屋は六畳が2間つづきで片隅にコタツがある。畳は多少へこんで、ボールを置いたらころがりそうだが、その程度はご愛敬だ。
「よかったなあ」「これなら大丈夫や」(ユミさんとレイザル)
午後4時、さっそくクロカンのスキーを借りる。4人とも全くの初心者だから、靴を板にはめる方法から教えてもらった。
雪の積もったグラウンドで歩き方を練習し、夏場のハイキングコースへ。
木立のなかを縫うように歩き、たまの下りでズルゥー、ズルゥーと滑る。
「これや、これがクロカンやで。牧場のなかとかじゃ、あかんもんな。木立があるからええんや」とレイザルはご機嫌だ。
30分ほどで小さな神社に出る。と、ドカンと展望が開ける。八ヶ岳の峻険な山が赤く染まっている。雪の色もピンクに染まる。 「きれいやなぁ」と思わずため息をつく。
15分ほど歩いて、「そろそろ暗くなるし、もどろか」ときびすを返すと、ユミさんが呆然として
「また…戻るんか…ええけど…」
どうやらそのまままっすぐ帰れると思ったらしい。
まもなく太陽が地平線の下に隠れた。周囲はますます赤く染まり、汗ばんだ首筋が急に冷える。
ユミさんは無言で足を滑らせていて、声をかけても振り向かない。セージが雄叫びをあげて転倒してもチラリと目を向けるだけ。レイザルも真っ赤なほっぺたをして黙り込んでいる。
スキー場に明かりが灯るころに「双葉屋」に帰り着いた。
夕食は、イワナ塩焼き、馬刺、ホウトウ鍋、ナメコのおろし和え、など。川魚や山菜が苦手なレイザルはほとんど残した。でも、宿のオヤジのことは気に入ったようだ。
「警察犬を飼っていたけど、死ぬのがかわいそやからやめたんやて。それだけで、やさしい人やあ、とグッときたわあ」。気に入るだけならいいが、壁にかかった絵を指さして
「この絵はご主人が描かれたんですか」と尋ね、ついでに家族構成まで聞き出す。(要は独身かどうかを知りたかったらしい)
「手が早いなあ。オヤジころがしや。モーションかけてるもんなあ」とユミさんは感心している。
「双葉屋はいい宿や。どや、アタシが選んで予約しただけのことはあるやろ」(サル)
つい数時間前「怖い」とか怯えていたのはいったい誰だったのか。
「アタシがペンション経営したら、ここのオヤジを引き抜くねん」などとのたまう。よっぽどオヤジが気に入ったらしい。 【つづく】