生命混沌 屋久島の山B

1997年8月

縄文杉

 翌朝、縄文杉へ。
 前夜、山小屋で出会った男性が、杉を正面に見て座り込んでいる。「どうも」と声をかけると、笑みを浮かべて無言でうなずいた。奈良の古寺の本堂で、仏像と向き合っているようだ。
 木々の間からチラホラとこぼれ落ちる朝の光は、水中にいるかのような錯覚を起こさせる。幹は何千年の年月に脈打ち、いくつもの顔が彫り込まれているようだ。さまざまな木々が幹の途中に寄生し、葉を生い茂らせている。
 上に目をやると、白いすべすべしたダケカンバのような木がある。さらに上には盆栽の松のような枝ぶりが青い空に映える。その青いスクリーンに、薄いインキをたらしたような淡い雲が時折流れていく。

 ウイルソン株のなかには祠がある。そのわきから泉が滾々とわいている。かすかに木の味がする。
 上をあおぐと、若い杉が数本、蒼天に向かって屹立している。渓流のザーザーという流れが風をおこし、その風に乗ってセミの声が流れ、大株が巨大な凧のように、それらすべてを受け止める。
 8時ごろになると、下からのハイキング客が次々に到着する。9時前、大株歩道の入り口に着く。あとはトロッコの軌道に沿ったゆるい坂だ。このトロッコを修復し、観光に使おうと地元自治体が考えているという。バカな話だ。その前に山小屋周辺のトイレを整備しなければ、山がウンコとちり紙に埋もれてしまう。今でも新高塚小屋のわきの森には使用後のちり紙が点々としているというのに。
 「三代杉」は、じいさん杉の上に子杉が、さらにその上に孫杉が伸びている。3500年のうちに同じ株の上で2回代替わりがあったのだ。
 10時15分発、最後の峠をこえて、あとは下り。午後3時すぎには川沿いのひなびた楠川温泉に到着する。入浴料300円。ぬるぬるの湯。
 だれもいない浴室は電灯が消え、薄暗い。チャボンザザザーという湯の音だけがひびく。体を沈めると流れ出す透明な湯は、神聖な雰囲気さえただよわせている。                 【つづく】

いろいろな木が寄生している縄文杉