松山・久谷の47番から石手の51番へ

松山・久谷の47番から石手寺へ 1 20041123

 二日酔いの朝、近所の遍路道を歩くことにする。三坂峠のふもとの久谷にある47番八坂寺をスタート地点に選ぶ。
 寺の前の家の軒下にはネコがねころがっている。銀杏はまっ黄色で、青空に映える。山門の屋根には、仏陀の周囲を天女が囲む天井絵が描かれている。
 「極楽というのは、ハーレムなんやな。それにしちゃお釈迦さん、喜んだ顔してへんな。なんでむっすりしてるんや」
 早くも妄想がとびまわりはじめた。山門をくぐって、石段をのぼると本堂がある。わきには大きな新しい墓地あり、松山市の中心部までずっと見渡せる。
 13時5分発。山門を出てすぐに左へ、細い路地のような道へ入る。枯れ枝には赤い柿が3つ4つ。斜面にはミカンが実り、平地部にはイチゴのハウスがたちならぶ。秋と冬と春の幸が交錯している。寺で般若心経をきいたせいか、前々回の遍路のときに編みだしたレイザル風ダイエット経を口ずさみはじめた。
  「食う即ぜい肉…贅肉そく付く…」
「いいとこだねえ。でもさぁ。(松山市が進める)坂の上の雲の町づくりのサブゾーンになってるってのが気になるのよね」
 あぜ道を下るとすぐにため池があらわれる。そのわきを車道まで降りると、無数の黄色い葉が風に舞う銀杏並木があった。「冬ソナのロケ地やで」とレイザルが騒ぎ、ヒロインのチェジウのまねをして「写真撮れ!」という。
 畑のなかののどかな一本道をたどる。こんもりした神社がある。キャベツのような葉だけど、茎が木のように堅くで太い作物はいったいなんだろう。
 畦には黄色い和タンポポが咲いている。青空に掲げると、青と黄色のコントラストがみごとにはまった。白いタンポポもあるけど、在来種の和タンポポって何種類あるんだろう。きょうのタンポポは、花の中心部に、黒っぽいめしべ? が数本あった。 13時25分、別格9番の文殊院。「八十八ヶ所発祥の地」という。河野衛門三郎の伝説が残っている。
 「くさもち食べたいなあ……うどん食いたいなあ……」。腹が減ったのか食い物の話題ばかり。
 二車線の道路をわたる。この道を行けばうどん屋が何軒も集中している「うどん街道」に出るから、「ねえ、こっちいかへん」というが、「西林寺まで行けば目の前にうどん屋があるやん」と説得して、また細い道に入る。

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松山・久谷の47番から石手寺へ 2 20041123

 民家の庭に無数の菊が咲いている。「今年も菊が咲きました。どうぞご自由に中に入ってご観覧ください」と書いてある。数百本の菊は圧巻だ。
 道端、「温故知新居士」「温室知道大姉」と大正生まれの夫婦とおぼしき2人の名が刻まれた墓があった。「歴史にくわしいダンナさんだったんやろな」「じゃあ奥さんは、温室育ちのお嬢さんで、ダンナさんに大事にされたからかな」「菊かなんかの温室栽培をしてたんちゃうか……」などなど。
  墓といえば、軍人墓がやけに多い。札始大師堂の目の前の墓地にも軍人墓がいくつも立っている。「このへんもたくさん兵隊さんに行ったんやね」
 県森連の木材市場の看板に「間伐は緑を育てる深呼吸」と記されている。なかなかいいな。そういえば中山町の蕎麦屋に県知事が「蕎麦よし汁よし香りよし 惻隠の味」などとかっこうつけた色紙を書いていたが、「惻隠」などという大仰な言葉をことさらに出す心情は、惻隠とは正反対じゃないかな、と、ふと思い出した。
 重信川をわたる。西林寺のちょっと手前、大通りを渡ろうとしたら、
「あ、うどんや!」
 評判のよいうどんの「瓢月」だ。野菜天釜揚げうどんと野菜天うどんを注文した釜揚げうどんのほうが、うどんの微妙な甘みがわかっておいしかった。
 2車線の県道沿いは殺風景で風情もなにもないのだが、並行している遍路道は、重信川の伏流水をひいたと思われる用水路に透き通った水が流れ、気持ちがよい。
 西林寺の山門わきには、享保の飢饉の石碑がある。この近辺の村では人口の半数が死んだという。こんな温暖な四国で、なぜそんなに犠牲者が出たのか。
 「高井の里 名水」48番札所の西林寺。甲高い鳥の声が青空を切り裂くように響く。植木の根本に魔法使いのおばあさんの像がある。納経所のわきには、鉄鉢をもった僧侶姿の信楽狸がいる。遊び心が楽しい。山門前には、生まれたばかりの子猫が2匹、参拝客にじゃれついてくる。
 15時発。ここからは県道歩きだ。国道11号をわたってから左手の細い道に折れる。畑と住宅がまざった「郊外」の道をたどって久米小にぶつかったら右へ。伊予鉄道の線路をわたると、目の前の小高い山の斜面に浄土49番浄土寺が見えた。絵になる美しい寺だが、裏山には竹が繁茂している。
 車の多い県道をしばらく歩いたあと、遍路道は右に折れ、軍人墓がめだつ墓地のなかを抜ける。山際はミカン畑で、緑の山に黄色い無数の実が映える。
 「と畜場」という門があり、へいをのりこえて中で子どもが遊んでいる。ここには精神障害者の施設をつくる計画だったが、地元住民から反対運動が起きたと報道されていた。
 斜面を少しずつのぼっていき16時に50番繁多寺に着いた。ため池の水面が夕日に赤く染まっている。松山城や伊予灘の海も望める。
  鐘楼には「朝7時前には鐘を鳴らさないでください。深夜勤務で遅く寝る人が困ってます」という看板がある。寺の鐘の音でさえも遠慮しなければならないのか。
 ここからはペースをあげて17時20分には石手寺に到着した。

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